第56話  危機一髪

 とりあえず、農場主の邸宅で家政婦(エンプレガーダ)として働くことになった私は、松蔵さんの家から邸宅まで通うことになった訳ですよ。


「サイアドメウカミーニョ!(どいてよ!)」

 ドンと突き飛ばされた私は、前のめりになって転んでしまった訳ですけど、そんな私を見下ろした同僚のカミラが、

「キ!ノージオ!(本当に最低!)」

 と、見下すように私を見下ろしながら、蔑みの言葉を吐き捨てて行ったわけですね。


 せっかく空いたエンプレガーダ枠、可能であればお友達を入れたかった所、何の因果かよく分からない日本人(私)が入った訳ですからね、怒りが凄いことになっているのでしょう。


 だけどね、今、貴女が突き飛ばして転んだせいで、膝から血が出ているし、支給されたお仕着せに穴が空いてしまうしで、

「どーしよこれ・・」

 状態になってしまった訳ですよ。


「珠子ちゃん!大丈夫?」

 たまたま通りかかったカマラーダ四人組が助け起こしてくれたんですけど、もうこの時には、エンプレガーダは辞めようかなって思っていた訳です。


 農場の都会に憧れる若いお嬢さんたちは、農場主に気に入られて都会まで連れて行って貰えることを願っている訳だけれど、私には、契約終了した後なら都会まで連れて行ってくれる山倉通詞がいるし、そこまで邸宅で働きたいわけでもないし。


 最近になって徳三さんがようやっと復活したようで、うちの家族も一気に大人しくなったと噂には聞いているし、徳三さんの家に厄介になりつつ珈琲畑で働けば、私のことに敵意を向ける日本人の気を逸らすことも出来ると思うんだよなぁ。


「とにかく珠子ちゃん、カマラーダの休憩所で治療をしてから出勤した方がいいよ」

 と、清さんが言い出したので、私はみんなの手を借りながら移動することになったわけ。そしたらすでにカマラーダとして出勤中の松蔵さんが、

「珠子ちゃん、どうしたの?」

 と、慌てて駆け寄って来た訳ですね。


 なにしろ私のスカート泥だらけ、膝の傷には無数の小石がめり込み、くるぶしまで血が流れているような始末。スカートの一部には穴まで空いているから、どんだけの勢いで押してくれたんだって感じですよ。


「珠子ちゃん、エンプレガーダの女の子に後から突き飛ばされていたみたいだったよ」

 どうやら現場を目撃していたらしく、茂さんが松蔵さんに進言すると、

「珠子ちゃん、怪我の治療をしたら一緒にマンサオン(邸宅)まで行こうか?」

 と、松蔵さんが言い出したのだった。


 なにしろ森の主(オンサ)を狩ってからというもの、松蔵さんは農場で一目も二目も置かれているような状態なので、

「ジョアン!エウエンビオタマチャ(珠子を送ってくるよ)!」

 と言うと、

「OK!」

 あっさりとジョアンが承諾をしております


 傷口を水で流してアルコールで消毒をして貰ったんですけど、ガーゼをして包帯で巻いるので、上の方まで血が滲んでいるような状態。歩くのに松蔵さんが手を貸してくれたんだけど、本当に彼は面倒見が良いお兄さんのような人です。


 面倒見の良い兄のような松蔵さんは、邸宅まで到着するなりイーリャを呼び出すと、

「エラセファッサデジスチールエンプレガーダ(彼女には家政婦を辞めさせるよ)」

 と、宣言しました。


「オウトロエンプレガーダ(他の家政婦が)プッシャダタマチャ(珠子を押した)、エラマシュコウジョエーリョ(彼女は膝を怪我したし)エウナオンアグエンタマイス(僕はもう耐えられないよ)」


「エウボウエスプリカーパラジョアン(ジョアンに僕から説明して)タマチャアジューダパラミン(珠子は僕の手伝いをさせるよ)」


「ナオンダ(それは出来ない)」

と、イーリャは宣言するように言いました。


 妊娠している農場主の奥様が来る予定なので、珠子には絶対に奥様のフォローをして欲しいので、邸宅で働いてくれなくちゃ困るって言うんですね。


「ケンプッショウ(誰が押したの)?」


 と、イーリャは物凄くお怒りになり、すぐさまカミラが呼び出されることになったんですよ。これ以上、珠子を虐めたら、カミラの方を辞めさせるとイーリャが宣言。

 

「エラエエンフェルメーラ(彼女は看護師だから)」

「ドナプレシーザジタマチャ(奥様は珠子が必要よ)」

 と、周りも言ってくれたので、カミラは何も言えなくなったんですけども、私を睨む目つきが相変わらず怖いんですよねえ。


 そんな訳で、わざわざイーリャにまで物申してくれた松蔵さんですけれども、

「何かあったらいつでも僕に言って?僕の方で始末するから」

 と、言い出した。

「えっと・・始末するって〜」

 不穏な意味での始末する(殺す)とかそんなんじゃなく、私の代わりに対応するってことなのかな?


 私の方が何年もブラジルに居るのに、松蔵さんはすでに私よりもポルトガル語が達者だから(彼は外国語とか、そういうものも戦地でも学んでいたから、慣れているみたいなんだよね)私の代わりに交渉に当たってくれるっていうことになるんでしょう。


 その後は、カミラも大人しくなったんだけど、掃除中にバケツをひっくり返したりだとか、そういった嫌がらせはちょくちょくやられることはあったわけ。だけど、私的には、母とか姉とかに比べたら全然だし、なんかこっちに向かって文句を言ってきたりするんだけど、ポルトガル語が分からないしで、なんとなくスルーしちゃっているまま月日が経過してしまったのです。


 そうこうしているうちに、農場主の夫妻がやってくることになって、使用人たちは集まってお出迎えをすることになったんだけど、

「・・・!」

 なんと、なんと、カミラがわざと私の足を引っ掛けて来たので、私は使用人の列から飛び出る形になっちゃったのです!



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