第54話  僕の珠子ちゃん

 僕と珠子ちゃんの同居が始まって二ヶ月近くが経過した。年頃の若い男女が一緒に暮らしているというのに甘い雰囲気になることもなく、

「松蔵さん!朝ですよ!起きて!起きて!」

 問答無用で布団の上から揺さぶって起こしてくるのを何とかして欲しい。男の生理現象なんかもそれなりにあるので、極力こちら側は配慮している訳だけれど、珠子ちゃんはそこら辺が無頓着なんだよな。


 珠子ちゃんの母と姉とか、時には久平なんかがしつこく珠子ちゃんに会おうとして来ていたんだけど、それもどうやら徳三さんの登場によって収まったみたいなんだ。だから、僕も残っているオンサを狩りに森に潜るようになったんだけど、森に潜ると何日も家を空けることになるから、その間はエレーナとマティウス夫婦の家に珠子ちゃんを預けるようにしているのだった。


 最初に殺したオンサの腹から人間の一部が出て来たということもあって、周辺に住む住人に調査をしたら、やっぱりオンサの被害が出ていたみたいなんだ。出来るだけ早急に対処して欲しいってことだったんだけど・・

「毛皮の処理方法なんて知らない、知らない」

 と、言ってカマラーダは何の当てにも出来なかったので、僕自らが皮剥となめし作業をやらなくちゃならなかったってわけさ。


 珠子ちゃんが寝込んでいる間は、森に入らない言い訳となったので良かったんだけど、珠子ちゃんが働くようになってからは、僕が森に潜って、狩って、皮なめしまでするのって非常に効率が悪かったんだ。


 なにしろ、二匹目のオンサの腹からも人間の体の一部が出て来たから、早急に対応しなくちゃいけないってことになったわけ。だから、カマラーダの若者たちに(日本人、ブラジル人含む)皮の剥ぎ方、なめし方、特に脂分は丹念に除去する必要があるので、そこら辺を教え込んで、次からは僕が狩る人、待っているカマラーダは毛皮を作る人で役割分担をするようになったら、意外なことにルイスが才能を発揮するようになったんだよね。


「マツ!十匹でも二十匹でも!居るだけ狩って来てくれよ!」


 最初は僕らのことを『シネース』だとか『ジャッパ』だとか言っていたルイスも、最近では大分丸くなって、そんな冗談まで言い出す始末。え?冗談じゃない?いやいやいや、人に被害が出ているから駆除しているのであって、奴らが住まいを移したら追いかけてまで乱獲するつもりは全くないからね?


 森の主を毛皮の絨毯にした時にはそりゃ壮観だったし、支配人がサンパウロ中央都市にいる主人に送ったら大喜びしていたって言うけれど、乱獲するつもりはないんだよ。


 これから殺すにしても四匹か精々五匹程度で終わりかな。そうなれば群れが小さくなって、奴らも移動せざるを得なくなる。その四匹か五匹もきちんと絨毯にして友達にプレゼントしたいとご主人様が言っていた?


 そりゃ、森の主は相当に大きな奴だったからね、サンパウロでも話題になったんだろうさ。その子供を今は処分している所だから、あの大きなオンサの子供だとでも言えば、友人知人も喜ぶのに違いない。


「あとちょっと狩猟したらやめる?そんな腰抜けみたいなことを言ってんなよ!」

 皮なめしに才能を見出したルイスは怒り出しちゃって、

「それじゃあ!俺がオンサを殺して捕まえてくるよ!」

 と言って森に入ったんだけど、その日のうちに狼に追いかけられて帰って来た。


「やっぱり無理!」

 でしょうね、ブラジルの森は甘く見てたら駄目だと僕も常々思うもんなぁ。


 徳三さんが二回目のデング熱から奇跡の復活をしたので、日本人労働者の方はだいぶ大人しくなったんだけど、邸宅で働くようになった珠子ちゃんが家政婦として抜擢されたことから、今度はブラジル人の女の子たちが騒がしくなっているらしい。


 僕は直接支配人から言われたんだけど、珠子ちゃんはなるべく奥様の近くでお世話が出来るように今から仕込んでおきたいってことなんだよね。


 珠子ちゃんは産婆をしている祖母の家に引き取られてから手伝いをしていたみたいで、彼女自身、おばあさん譲りのお産の技術をしっかりと継承していたってわけなんだ。ブラジルの珈琲農場なんかで働いていると、現金収入って本当に少ないんだよね。だけど、自由に豚とか鶏なんかを飼うことは出来るから、ある意味、自給自足は出来るわけ。


 出産時にプロを頼むにはお金が掛かるので、経験者が見よう見まねでお手伝いをするというようなことを農場では続けられていた訳だけど、そんなところに産婆の技術を携えた珠子ちゃんが現れた。しかも彼女は高額な金銭を請求する訳ではなく、現物支給を望んだってわけ。


 珠子ちゃんの家に鶏がいたり、現地人並みに肉が提供されたりするのは、彼女がお産を手伝って獲得した戦利品だったりするわけで、珠子ちゃんが居なくなったあの家の食生活が一気に貧しくなった理由はここにもあったりするわけだ。


 とにかく現物支給でお産を手伝ってくれる珠子ちゃんをブラジル人奥様たちは重宝したし、産後、すぐに動けるようになるという噂を聞いた支配人も、

「素晴らしい人材じゃないか!」

 と、思っていたらしい。


 そんな珠子ちゃんが邸宅で働くことが簡単に決まったのも、農場主であるアレッサンドロ氏が身重の妻をフォローするための人材として興味を持ってくれたからだ。なにしろ珠子ちゃんは森の主(オンサ)を狩った僕の妻になる予定の人というわけで・・

「君たち夫婦にオーナーは非常に興味を持っているみたいだよ」

 と、支配人は言っていたけれど、まだ僕らは夫婦でも何でもないのだが・・まあ・・周りを牽制するには良いのかもしれないけれど。


「松蔵さん、サラマのところから大量のベーコンを貰ったから、エレーナのところと分けて来たんだ。今日はキャベツとベーコンのスープとベーコンエッグなの、朝から豪華でしょう?」

「本当に朝から豪華すぎるほどだよ」


 僕の食生活は配耕となった当初からカマラーダとして働いていた為、決して貧しかった訳ではないのだが、朝から肉入りのスープとか、それがうっとりするほど美味しいのに、その費用がほとんどかかっていないとか。


 金の卵を産む珠子ちゃんを、何故、彼らは大事に出来なかったのかなーと思わない日はないよ。決して返すつもりも、誰かにあげるつもりもないけれど。


「それでね、松蔵さん、エレーナに言われたんだけど、農場主の奥様が妊娠中で、何かあった時の対応をして貰うために、私を家政婦にしたって言うんだけど、そんなことを言われても本当に困ってしまうんだけど?」


「えーっと」


「だってね、お産って無事に産まれるかどうかはその時になってみないと分からない所もあると思うわけ。それで、万が一にも私が居る時に奥様のお産が失敗ってことになったら、私は一体どうなってしまうのかな?」


「うーんと」


「打首獄門は確実?こっちの刑法はどうなってるの?お産の失敗で縛首とかになったら・・私・・私・・」


「そんな訳がないでしょうに。もしも、お産の失敗で毎回殺されていたら、ブラジルに医者という職種が消滅しちゃうじゃないか」


 どうやら珠子ちゃん、奥様の出産に対して物凄い不安を感じているらしい。


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