第53話 祖母は産婆
私がシャカラベンダ農場に配耕となって一ヶ月経った頃ですかね。日本人とは一緒に洗濯をするな!という意地悪をされていた私は、たった一人でブラジル人に混じって隅の方で洗濯をしていたんですけど、
「ヴヴヴ〜」
洗濯中のブラジル人の妊婦さんが、お腹を抱えた状態でその場で倒れちゃったんだけど、どうやら破水もしちゃったみたいなんですよ。
しかも、その日は日中に雨も降っていたものだから周りがぬかるんでいて、泥水の水たまりの中にボチャンみたいな。
「レンソ(シーツ)!レンソポルファボール!(シーツちょうだい)!」
その時、雷に打たれたように叫んだ私は、近くに置かれた洗濯待ちのシーツをひったくると、倒れたお母さんをシーツで包んで水たまりの中から移動させたってわけよ。
「ヴゥヴヴヴッ」
痛みに苦しむお母さん、丁度産み月だと思われる大きなお腹。スカートがびっしょり濡れているということは破水しているのは間違いない。
「エウソウエンフェルメーラ(私は看護婦だから)ナオンセプレオクーピ(心配しないで)!」
そう言ってお母さんの足を開いてみたら、
「「「ジャ!アパレッセウ!(もう出てる!)」」」
と、近くの奥様たちも動揺して声を震わせている。
そう、足を開いてみたら、もう頭がそこに覗いていたわけです。
「アグアケンチ(お湯!)ポルファボール(お願い)!」
私の魂の叫びで、動揺で動きを止めていた奥様たちが動き出す。
もう頭が出ているのなら、ここから動かすことは出来ない。ここで赤ちゃんが産まれるというのなら、お湯!たらい!バケツ!清潔な布!今すぐ必要!
「スージョ(汚れているの)ムイントフイン(とっても駄目)!アグア(水)!アグア(水)!」
ここで産まれるのならやるしかない。虐待されて以降、母方の祖母に引き取られた私は、村山という僻地で産婆である祖母の手伝いをしながら生活をしていたのだ。最後の方では祖母の仕事はほとんど私がやっていたので、自分のことを産婆と自負しても良いかもしれない。
汚れは生まれた赤ちゃんには大敵なので、泥水をかぶった部分はその場で洗い流して、洗濯待ちのシーツたちを問答無用で使用した。
「フィーカトランキーロ!(落ち着いて!)ナオンエスフォルサ(力入れないで)ジバガー(ゆっくり)アゴラジバガー(今はゆっくり)タ(わかった)?」
実は船を降りた後に滞在した施設でも、妊婦さんの出産を手伝う機会があって、その時にいたエンフェルメーラ(看護師)が言っていた言葉は覚えていたんだよね。
「ジバガー(ゆっくり)テンキジバガー(ゆっくり)フィカトランキーロ(落ち着いて)」
お産のキモは絶対にいきまない、陣痛が強くて強くいきみたくなるんだけど、ここでいきんだら大事な場所がビリビリに破けることになってしまうのよ。
その時にはブラジル人マダムのリーダー的存在であるエレーナもやってきて、周囲を目隠しするようにシーツを広げてくれたわけ。
とにかく、焦らず、ゆっくりと頭が出てくる部分を広げて、広げて、途中赤ちゃんの頭を手で押さえたりしながら、ゆっくりと赤ちゃんを出して行ったら、
「おぎゃあ!おぎゃあ!おぎゃあ!」
無事に男の赤ちゃんが産まれたわけですね。
お産は赤ちゃんが出たら終わりじゃなくて、きちんと胎盤を出すまでがお産なのです。胎盤をきっちり排出したら、真っ白でやたらと長い臍の緒を二箇所、木綿糸でキツく縛り、アルコールをかけたハサミでバチリと切断。
お母さんのおしもをお湯で洗い流して、きれいにシーツで包んだら、赤ちゃんをタライに入れて洗い流していたエレーナが、
「ボセエプロフェッショナルネ?(お前、プロじゃん)?」
と、言ってきたわけ。
「「「ノッサ」」」
「「「ノッサセニョーラ」」」
集まったご婦人たちが驚き、感動するのには理由がある。それは何故かというのなら、あっという間に赤ちゃんが産まれてしまったお母さんのシモが破れていなかったから。
「「「私、絶対に次のお産はあの娘に頼むわ」」」
シモが破れないなんて奇跡が起きるのなら、次のお産は絶対にあの娘(わたし)に頼みたい。そんな風に皆んなが思っちゃったみたいなんですよ。
「おぎゃあ!おぎゃあ!おぎゃあ!おぎゃあ!」
今日も今日とて、赤ちゃんが(シモが破れることなく)無事に産まれて、
「タマチャ!オブリガーダ!」
「オブリガーダ!タマチャ!」
と、サラマとその夫と、サラマの家族とその夫の家族が言ってくる。
こちらの産婆事情がどうなっているのかは分からないんだけど、サントス港の近くの施設に居た時には、看護師(エンフェルメーラ)がお産の手伝いをしていたんだよね。
私は看護師ではないんだけど、都合上、そんな風にここでは言っている。やっぱりお産って安心が一番大事だし、その安心の為にはエンフェルメーラの肩書きは都合が良かったというのもあるんだよね。
で、祖母仕込みのお産の技術をブラジル人妊婦さんにも活かしている関係で、
「日本人、ありがとう!」
みたいな気風がこの農場内で流れることになり、
「珠子は日本人とブラジル人の架け橋的存在だよ」
と、徳三さんや、死んだ辰三さんが言っていたってわけですよ。
サラマのお産を終えた私は、夜中に汚れた衣服を着替えて寝る支度をしていると、カンテラを持ったエレナが、
「ポルイッソ(そんな訳で)・・」
と、言い出した。そんな訳でって、どんな訳?
寝支度をしていた私が振り返りながら、
「ウケ(何)?」
と、問うと、エレナは何故か爽やかな笑顔を浮かべながら言い出した。
「農場主の奥様が妊娠中だから、何かあった時には珠子が近くに居た方が心配ない。もしも珠子が掃除婦だったら、奥様も拒否感を持つ可能性も大きいけど、家政婦としていつでも近くで働いていたら、奥様だって心を許してくれるかもしれないわけで」
「え?そんな理由で家政婦に抜擢?」
「そう」
えーっと、待って、待って、お産なんて無事に済むかどうかは時の運みたいなものもあるし、今日みたいに無事に産まれることもあれば、あっ、今回ダメでしたみたいなこともあるわけで、奥様の対応の時に、何か問題があったらば、私はどうなってしまうんでしょう?
「ノッサセニョーラ!」
私はその時、心の底から言っていた。ああ!マリア様!どうか奥様の気が変わって、こんな辺鄙な農場まで行くのはやーめた!と思えるように仕向けてください!荷が重すぎる!荷が重すぎる!私に妊婦の奥様の介助は重すぎるって!無理!無理!絶対!
一難去ってまた一難、せっかく凶悪な上に仁義なき家族から解放されたというのに!どうしてこうなった!
「ボアノイチタマチャ(おやすみタマちゃん)」
「ボアノイチエレーナ(おやすみエレナ)」
エレーナの家では昔、エレーナの娘さんが使っていた部屋を使わせて貰っているんだけど、きちんとしたベッドに潜り込みながら私はこの世のあらゆる神様にお願いをした。奥様対応は私には荷が重すぎるし、本当の本当に、無理!無理!無理!
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ちょっとブラジル小話・・
私はブラジルで出産したことがあるんですけど、その日は七人の出産があって、うち六人が帝王切開、普通分娩は私一人みたいな状態だったんですね。ブラジル人は赤ちゃんの髪の毛がほんと薄いんですけど、日本人の子供は髪が多かったりするので『ノッサ!カベルード』って言われていたらしい。頭が股から覗いた時に「旦那さん!赤ちゃんの髪の毛長い長い!こっち側に来て見たら良いよ!」と言われていたけれど「行っちゃダメ!絶対に!」と言って引き留めました。
股の方から見る出産はかなりグロイんですけど、田舎の出産は酷いんです。安いということで自然分娩を選ぶ人も多いんですけど、医者がノーアドバイスでお産が進んでいくので『ビリビリビリッ』とシモが破れるんです。私の友人も破れましたし、知人のブラジル人は「二回も破れたわよ!それも同じ場所!」と言っていました。怖い!怖すぎる!あそこが引きのばされた末にビリビリ破れると、縫合も出来ないし、自然治癒任せで時間かかるし、膿は出るしで、ほんと〜に辛いんです。私はビリビリじゃなくて、日系人の先生だったのでハサミでパチンと入れてくれたんですけども、やっぱりお産は、破れずに、ハサミも入れずに対応してくれるのが一番楽だって言いますよね!
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