第52話 エンプレガーダ
家を追い出された挙句に高熱を出してみんなに迷惑をかけまくった私は、体調が回復したのと同時に、パトロン(農場主)の邸宅で働くことになりました。
パトロンはサンパウロ中央都市に普段は住んでいるんです。そのため、農場主の邸宅は、支配人や事務の人が使う部屋しか普段は使用されていないんですよね。
邸宅の入り口のホールに入って左手が食堂と、家族が寛ぐスペースである居間。ホールの右手には上階に続く階段があって、二階部分はパトロンの家族の居住スペースとなっております。
階段の後ろがパトロンの執務室、その隣がサロンとなっていて、そのサロンの奥から事務所みたいな形になっているようです。
「丁度、サラマがお産で辞めたから、タマちゃんがエンプレガーダ(家政婦)として入ってくれて助かったよ」
と言ってくれたのが、カマラーダのリーダー、ジョアンの奥さんであるイーリャで、
「最初はファシネイラ(掃除婦)になって貰おうと思ったんだけど、珠子は色々と働いてくれそうだからね!」
と言って、ニコリと笑ってくれたのでした。
私が家族に暴力を振るわれていたというのは、最近では農場内でも噂になっていたので、私が珈琲畑に行かないで邸宅の方で働くようになって良かった!みたいに言ってくれる人も多いんです。
イーリャは元々、サンパウロ中央都市でパトロン御一家に仕えていたんだけど、シャカラベンダ農場にパトロンと一緒に来た時に、カマラーダとして働いていたジョアンに見染められて、ジョアンの熱烈なアタックの末に結婚。
丁度、使用人たちの管理をする人も必要だったからということで、イーリャは中央都市には戻らず農場に残り、ジョアンもまたカマラーダとして他の農場へは移動せずに定住するようになったということなんですね。
イーリャの発言力が大きいということもあって、私はお給料が高いエンプレガーダ(家政婦)として雇われることになったんです。別に掃除婦でも良かったんだけど、
「給料が違うから!」
と言う理由で、私は家政婦のお仕着せを渡されることになったのでした。
家政婦とか掃除婦とか、よく分からんと最初は思ったんですけど、家政婦というのは所謂メイドさんという奴で、ご主人様や来客の目に触れるような場所の掃除をしたり、給仕をしたり、人の目に触れることになるため、お仕着せ(ここの邸宅では濃紺のワンピース)が支給され、これを仕事中は着るようにということになるみたいです。
それでもって、掃除婦というのは、お客さんやらご主人様の目に触れないような場所を掃除する人のことを言うみたい。ちなみに、厨房に入ってお料理を作る人のことをコジニェイラと呼びます。ここの農場では、ファシネイラとコジニェイラはエプロンを支給されるけど、自前の服を着て働くことになるわけです。人の目に触れないからってことみたいですね。
「なんでこんな日本人がいきなりエンプレガーダになれるわけ!信じられないんだけど!」
怒りを露わにしているエンプレガーダが一人おります。恐らく私と年齢が一緒くらいかな?と、思われるカミラという娘が、初対面から敵意を向けて来るわけ。
「サラマが抜けた穴があったからタマちゃんに入ってもらったんだ、何の文句があるって言うんだい?」
「なんで!なんでなの!もっと相応しい人は他にも居るじゃない!なんでその娘が選ばれなければならないわけ!」
どうやらカミラは農場で働くお友達のダニエリをエンプレガーダとして引き抜きたいと思っていたみたいなんですね。お友達同士、キャッキャと楽しく働きたいという思いが強かったんでしょうけど、いきなり私みたいなものが現れてごめんなさい。
「半年後には(どうせ契約も切れるし)農場を出ることになると思うので、その後、ダニエリさんにエンプレガーダになってもらったらどうでしょう?」
「バカじゃないの?今じゃなくちゃ駄目なのよ!今じゃなくちゃ!」
「えー・・っと」
私も家族から逃れるために今だけでも邸宅で働きたいので、怒り心頭のカミラには、なるべく近づかないように気を付けようと思いました。とりあえず与えられた仕事を頑張るしかないです。
思わぬ形で松蔵さんと同居を始めることになった私ですが、松蔵さんはその後、オンサを狩るためにちょくちょく森に入らなければならなくなったので、松蔵さん不在の時にはエレーナの家にご厄介になることになっています。
エレーナとマティウス夫婦はこの農場でもかなりの古株住人になるので、住んでいるところも邸宅の麓にある小さな教会のすぐ近くの長屋というわけで、日本人居住区からだいぶ離れた場所になるんですよね。
松蔵さんがいない時にはエレーナの住居に移るわけですけど、
「ねえ、あの娘が最近邸宅で働き始めた子でしょう?」
「何あれ?」
「どうしてあんなのが選ばれたの?」
と、白人のブラジル人お姉さん方に陰口を叩かれるようになりました。
このシャカラベンダ農場には、肌が黒い人、茶色い人、黄色い人、白い人と、多種多様な人たちが住み暮らしているわけですが、肌の白いお姉さんたちは特に結束力が高いようで、同じように肌の色が白い人たちとつるんで歩いているわけです。
ちなみにエンプレガーダのカミラも白人女性なので、カミラの嫌悪感が他のお嬢さんたちに伝播して行ったということになるのでしょう。
「タマちゃんは気にしなくて良いからね」
イタリア移民のエレーナはこの農場の中では一番、肌の色が白いんじゃないんですかね。マティウスはポルトガル人とインディオの血が流れているということで、日本人っぽい顔をしているんですけど、白人女性の中では長老みたいな存在のエレーナ(46歳)が言いました。
「農場主の奥様が身重なんだけど、都会だと神経が休まらないということで、農場の方で療養した方が良いんじゃないかってことをお医者さんに言われたみたいなのよ。それで、近々この奥様が邸宅の方に来るって噂が流れているんだけど、こんな田舎から都会へと移動したいと考えている若い娘たちは大きなチャンスだと思っているわけ」
「なるほど!奥様に気に入られれば、サンパウロ中央都市まで連れて行ってくれるかもしれないんですものね!」
それは私も連れて行って欲しいと思うかも。
「丁度、お産でサラマが抜けるし、その抜けた穴には誰が入るかってことで若い娘たちは騒いでいたわけ」
珈琲農園で働く人はみんな肌の色がバラバラだけど、邸宅で働くエンプレガーダは白人ばかり。白人の若い娘たちが次のエンプレガーダは私だ!と、期待を抱いていたのは間違いない。
「あの〜、なんで私がエンプレガーダに選ばれたのでしょうか?そんなことなら最初に言われた通り、私は掃除婦で全く問題なかったんですけど〜」
「それはタマちゃん、あなたがタマちゃんだからよ」
「はあ?」
どういうこっちゃと思いながら、私とエレーナが珈琲を飲んでいると、
「タマちゃん!早く来て!サラマのお産が始まっちゃったよ!」
と、慌てた様子でサラマの夫が駆け込んで来たのだった。
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