第6話  温泉宿は潰れたらしい

今はもう夢に見るほど懐かしい。

森閑とした山々が周囲を取り囲み、澄んだ空気が肌に突きささるようで心地よい。東京の主水源ともなる多摩川の上流に位置する奥多摩村は昔から湯治場としても有名であり、御岳山からの下山客をみこんだ旅籠が5件ほど軒を連ねているのでした。


 なんでも、むか〜しむかし、村の若い者の夢に仙人が現れ、仙人のお告げの通り松の木の下を掘り返したところ、温泉が湧き出たという伝説があるところです。


 その一番山側に位置する『旅籠神原』は6代続いた老舗であり、ここの主人が猟で仕留めた猪や鹿を食わせる事は地元でも有名で、一番辺鄙な場所にありながら客の入りはまずまずといったところ。


「いや、河野温泉全体が潰れたよ」

「えええ!」


 私たちは今もまだ、外作地におります。

 流石に全裸の遺体を疑問に思った日本人移民の世話役であり通詞でもある山倉さんの追及がかかり、結果、死んだ源蔵さんの遺体が小さな金の延棒を握り込んでいたことがバレました。


 この金を、山倉さんに一旦渡すかどうするかで揉めに揉めているので、その間に私と松蔵さんはお互いの近況を話していた訳です。


 私が生まれた旅籠は、両親の離婚後、一度として行ったことはないんですけど、まさか潰れているとは思いもしなかったな〜。戦後の不景気か、すごいな不景気。


「とにかく!みなさんお分かり頂けたでしょう!」

 普段はおとなしい山倉さんが居丈高に言いました。

「金を発見したとして、呑気に農場に持って帰ったらブラジル人に奪われてしまいますよ!」

 山倉さんの言葉に、みんな「「「うっ」」」みたいになっていますよ。


「そもそも金の換金場所とか知っていますか?迂闊にそこら辺の人間に頼んでも、ぼったくられて終わりですよ?」

「「「「うっ」」」」


「ぼったくられる位ならまだ良いですよ!普通だったら、強奪されて終わりです!貴方たちがきちんとポルトガル語が喋れるんだったら任せますけど、二年住んでても喋れやしないんでしょう?」


 喋れやしません、何処までも。なにしろ、こっちに来たら即大金を稼いで、故郷に錦を飾るために即座に帰るつもりですからね!こちらの言葉なんて覚える気ゼロですもの。


 珈琲は農作物、そんなもんを大量に摘み取ったとて、大金になるわけがないじゃない!まだ金鉱山に採掘に行った方が当たりを引く可能性があると思うけど、その金鉱山に居るわけじゃないからね。


兎にも角にも、こんな遠い国まで来ちゃったんだし、きっといつかは金持ちになれる!そんな淡い思いを抱き続けている日本人たちは、日本人たち同士でつるみ続けているわけですよ。


 そもそも、手に握り込める程度の金なんだから、この程度の量では目が眩むような大金になるわけがないこと。山倉さんがサンパウロの中央都市に戻った時に換金するけど、まずは遺族へ渡すことになるだろうということ。


「そもそもね、金を見つけたとか言って騒いでいたら・・ブラジル人たちにだって目をつけられますよ?」


 特に賃金労働者なんかは、金を奪ってとんずらしても何も問題がない状況なので、こんな状況で騒ぎ続けても碌なことはないと言われたら、みんな静かに黙り込んだわけですね。


 日本人が一番嫌がること、それはこちらの人間(ブラジル人)とのコミュニケーションを取ることですから。


「お前ら金を見つけたのか!って脅された時に対応できますか?」

「で・・でも・・源蔵さんが金を見つけたということは、何処かに金があるかもしれないわけで・・」


 そうなんですよね!何処かで見つけていなかったら手の中に握り込まれていないですからね!


「埋蔵金があるかもしれないわけで!」

「見つければ一攫千金!」

「探したければお好きにどうぞ!」


 山倉さんは突き放すように言いました。

「豹(オンサ)に喰われたければ、どうぞ!ご勝手に!」

 それなんだよね〜。山火事があってから農場の近くに移動して来ちゃっているから、この辺本当に危ない地域になっちゃっているんだよね〜。


「ちなみに!皆さんの安全を確保するためにここに来てくださった神原さんは賃金労働者(カマラーダ)として働くので埋蔵金探しには同行させませんよ。せっかく農場で働く日本人たちの安全を確保するために連れてきた人なんですからね?人の踏み込まないような場所に連れ出されて大怪我とか、果てには死んでしまったりしては困りますからね!」


 にっこりと笑った山倉さんは釘を刺すようにしてそう言ったわけなんですけれども、そんなことを言われたところとて、埋蔵金のためには利用してやろうみたいな感じで、松蔵さんのことをジロジロ見てくる人もそれなりに居るわけで、

「分かりましたね!」

 そう言ってパンパンと山倉さんが手を叩くのとタイミングを合わせたように、

「ウォワォォオオオオ」

 獣の声が外作地に響き渡ったのでした。


「今の獣の声って」

「あれはアメリカ虎(ジャガーチリッカ)の声だな」

「え?ジャガー?ちり?」

「豹よりも小さい、大型の猫みたいな奴なんだけど、まだ距離はあるとはいえ、そろそろ移動しないといけないですね」

「え?ジャガーチリ?え?」

「大丈夫、豹(オンサ)よりかは体が小さい奴だから」

「その、子熊だから大丈夫みたいな言い方が嫌だな」


 そう言って松蔵さんは顔色が悪くなっているけど、大丈夫だろうか?いや、戦争帰りなんだから大丈夫だろう。大丈夫って思っておこう。


「ところで松蔵さん、松蔵さんは戦争から帰って来てからは一度も湯宿の方に戻らなかったの?東京に滞在した末に、騙されて、神戸まで移動して移民船に乗っちゃった感じ?」

「その騙されたっていうのも気になるなぁ」

「まあ、まあ、すぐにも騙されたっていうことが理解出来るから」


 みんなが慌てて帰り支度を始めたので、とりあえず私は同郷の友である松蔵さんを居住地まで案内することにしたのだった。

 

「それにしても・・温泉宿は潰れたのか・・戦後の不景気すごいな〜」

「この状況でまだその話をしている珠ちゃんの方がすごいと思うよ」


 とりあえず源蔵さんのご遺体は麻袋に入れられて、荷車で居住地まで運ばれることとなりました。




     *************************




このお話は読みやすいように毎回短め、毎日18時に更新しています。

物語の性質上、ブラジル移民の説明の回がしばらく続きますが、ドロドロ、ギタギタがそのうち始まっていきますので、最後までお付き合い頂ければ幸いです!

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