第6話 精霊の怒り
公爵夫人であるアリシアは、雨が降りしきる墓地で泥まみれとなって引き上げられた棺桶に付き従って教会まで移動をした。
教会にはすでに王家から派遣された官吏と神殿から派遣された調査官が集まっており、申し訳程度に泥が拭われた棺桶が石床の上に置かれると、墓守たちは潮を引くように下がって行く。
棺を開けるのは調査官の仕事であり、その様子を官吏の一人が事細かに記入をしていく。そうして二週間ぶりに棺の外の空気に晒されることになった遺体は腐り落ちることもなく、紫の斑ら模様を全身に広げていたのだった。
「ペリギュラの根を使われたようですね」
「精霊殺しを使ったということか・・」
標高が高い山の森林限界を越えたその先に、純白の花弁を寒風に揺らすペリギュラの花というものがある。崖の上に見かけることが多いこの花は、花弁は咳止めに、茎や葉は煎じて胃腸薬にすることができるのだが、その根は精霊をも殺せる猛毒とされていて、体内に取り込めば徐々に、徐々に、体の中の血液を固まらせて死に至らしめると言われている。
美しい花の根を使った毒なだけあって、自然を愛する精霊すら殺すことが出来るとして『精霊殺し』とも呼ばれている。
「私はヘレナの葬儀にも参加しています。だというのに何故、気がつくことが出来なかったのでしょう・・」
死してもなお、体が朽ちずに人形のように横たわる妹の姿を見下ろしながら公爵夫人であるアリシアが問いかけると、官吏の一人が言い出した。
「ペリギュラの毒は、心肺を停止して一晩するうちに紫斑が消えると言われています。これには死後硬直が関係していると言う研究者もいるのですが、三日から四日後には再び皮膚に紫斑がもどります」
疫病を恐れる関係で、王国では最低でも死後の二日後までには遺体を埋めるようにと法律で決められているのだ。そう考えれば、紫斑が戻るまでの間に葬儀を済ませることが出来ることになる。
「最近、隣国の貴族の間でペリギュラの毒が使われたという話もありますし、我が国にも流れ込んでいるのかもしれません」
稲光が薄暗い教会の中を照らし出したかと思うと、雷鳴が轟くように響き渡る。世界中に轟くような轟音に身を竦ませた調査官の一人が言い出した。
「問題は、今の王都を包み込む天候が精霊の怒りによるものだということです」
この世界には遥か太古の昔には、精霊や魔族と呼ばれる者も住んでいたとされている。殺戮を好んだ魔族を排除するために、人と精霊は協力して戦ったというのは伝承にも残されており、今は楽園の世界へと精霊たちは移動してしまったけれど、その精霊の子孫たちは今でも世界に君臨をしている。
どこの国でも王族は精霊の血を繋いでいるし、自然を愛する辺境の地にこそ、精霊の加護は色濃く残されているものなのだ。
「これは・・かなりまずい状況ですね・・」
斑ら模様の遺体を見下ろした祭司が怯えたように開け放たれたままの扉の向こうに視線を向ける。降りしきる大粒の雨に混じって無数の雹が落下しているため、頭上から石礫を叩きつけられたような屋根の音が響き渡る。
「ご遺体が腐ることもなかったということは・・精霊の怒りがおさまらないことを意味しているのでしょう」
「全ては私の責任よ・・」
アリシアは握りしめた拳を震わせながら言い出した。
「ヘレナを王都に連れ出した私の罪だわ・・」
辺境伯の娘であるアリシアが、リンドストローム公爵家に嫁ぐ際に王都まで妹のヘレナを同行させたのは、ヘレナが王都に対して少女らしい憧れを抱いていたからだ。初めて参加したパーティーで出会ったのがニコライ・ゼタールンドであり、あっという間に恋に落ちた二人は様々な苦難を乗り越えて夫婦となったのだ。
「それにしても・・ニコライ・ゼタールンド・・あの男!絶対にヘレナを幸せにすると誓ったくせに!」
アリシアの怒りは天を衝くほどのものになっている。王国内には精霊の血を引く一族が数多く残ってはいるのだが、伯爵程度の身分でヘレナを手に入れたニコライは、最後までヘレナや娘のビビを守らなければならなかったのだ。
精霊の血は女系であればあるほど精霊の加護を受けやすい。精霊の加護を受けた者、特に愛し子の扱いは最大限の注意が必要だというのに、ゼタールンド伯爵家は全くその部分を理解していなかったのだ。
「とにかくこのままでは精霊の怒りを解くことは出来ません」
「王の差配される通りに、ことを進めなくては・・」
冷たい雨と雹は広大な耕作地に甚大な被害をもたらすだろう。早急の対応が必要なのは間違いないことだけれど、精霊の怒りを解くのは簡単なことではない。
◇◇◇
目が覚めたビビは、自分が見たこともない寝室に寝かされていることに気がついた。伯爵家の井戸の縁で倒れ込んだところまでは記憶に残っているけれど、その後に目を覚ましたのは水の中、しかも森の中にある泉の中だったのは夢だったのだろうか。
ようやく死ねると思ったのに、どうやら母の後を追って死ぬことは出来なかったらしい。そのことをようやく理解したビビが両手で顔を覆って泣いていると、扉を開けて部屋の中へと入って来た一人の若者が慌てた様子でビビの元へとやってきた。
漆黒の髪にグリーンオニキスの瞳を持つ若者は、乱暴にビビの顎を掴んで上を向かせると、
「今度は舌を噛んでいやしないよな?」
と、酷く物騒なことを言い出した。
「お前が死にたいのは良く分かったが、俺が絶対にお前を死なせない。絶対にだ!」
強制的に上を向かされたビビは、夢の中に出てきた若者が目の前に居ることに気がついた。
「エド兄様みたいな人」
「みたいな人じゃなくて、俺がお前の従兄に当たるエドヴァルトだ」
「エド兄様は紅玉の瞳で灰色の髪でした、貴方ではありません」
「またそのくだりから始めなくちゃいけないのか・・」
うんざりした様子の美しい顔立ちを見上げたビビは、もしかして、今まで見ていたのは夢なんかではなかったのではないかと思いだした。
「み・・水の中で文字が見えたのですが・・」
「精霊の泉にお前を入れたからな、精霊の加護を持つ者はあの泉で精霊とコンタクトを取ることが出来るし、加護の力で怪我や病を治すことも出来るんだ」
「せ・・精霊ってなんですか?」
「そこからかよ!」
エドヴァルトは漆黒の自分の髪を苛立たしげに片手でかき混ぜた。
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ただいま『緑禍』というブラジル移民のブラジル埋蔵金、殺人も続くサスペンスものも掲載しております。18時に更新しています。ご興味あればこちらの方も読んで頂ければ幸いです!!
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