第4話 死なせて欲しい
エステルスンド王国の貴族社会は、異端を許さない風潮にある。女性は美しければ美しいほど利用価値が高く、教養をある程度備えているのは当たり前。
そんな貴族社会の中では、文字も読めず、文字も満足に書けないビビの存在は許される物ではない。母は名前さえ書ければ問題ないと言っていたもののビビの物覚えがあまりにも悪かった為に、兄は軽蔑の眼差しを送るようになり、父はビビの存在自体を無視するようになったのだった。
そんな出来損ないのビビと従姉のマリンは同じ年。二人が並んで立っていたとしたら、父の視界に入るのは出来損ないのビビではなく、可愛らしくも溌剌としたマリンになるのは当たり前のこと。
「ビビ、貴女は自信を持って良いのよ?」
と言って母はビビの頭を撫でてくれたけれど、ビビは伯爵家の中で生きていること自体が辛かった。息を吸って吐き出す行為が、針を飲んで吐き出しているかのように辛くて仕方がないのだった。
「死にたい・・・死なせて・・・」
今までは、母が居るから生きていただけ。大事な母を守ることも出来ずに死なせてしまったのだから、自分も後を追って死んでしまいたい。
「死にたい・・死にたい・・」
体が沈み込む、泥の中に沈み込むようにして、水の中に沈み込むようにして、あっという間に頭の先まで沈み込んでしまうと、生きている間に感じていた何もかもが消えていくように感じた。
水の中はまるで包み込むように暖かく、周囲を滑るように流れていく文字が金色に光って見える。
「ああ・・ここは天国なのね・・」
グリーンサファイアの瞳を見開いたビビは、金色の文字に指先を向ける。今まで決して読むことが出来なかった文字も、死んでしまえば簡単に読めるようになったようだ。金の文字はビビに何が起こったのか、どうしてこんな体になったのかと問いかける。
「毒でお母様も殺されて、私も毒を盛られてしまったの。今まで死ぬほど辛かったから、今は本当に死ねて良かったと思っているわ」
金色の文字は誰が毒を盛ったのだと問いかける。
「ペルニラおばさまが毒を用意したのだわ、娘のマリンも私を痛めつけるのが好きな子だから喜んで毒を盛ったのでしょうね」
父は何をしていたのかと問われたビビは、
「お父様なんて最初から居ないようなものだったわ」
と言ってため息を吐いた。
「お父様もお兄様も、お母様が死んだのは私の所為だと思っているの。あの人たちはペルニラおばさまやマリンを愛しているから、私の事なんてどうでも良いの。お母様を悩ませる私は悪だから、その悪である私が死んでせいせいしていると思うの」
今まで文字を読めたことはなかったけれど、文字が読めることは素晴らしいことだ。こんなに簡単に意思疎通が出来るなんて。
「ああ・・早くお母様に会いたい・・お母様は何処にいるの?死後の世界だとしたらお母様に会えるはずよね?」
ビビがそう言って水の中を見回すと、金色の文字が渦となってビビの体を包み込む。そうしてビビがハッと我にかえると、息が出来ないことに気が付いた。慌ててもがくように手を動かしたビビが上へ、上へと移動をすると、やがて自分の頭が水面から飛び出して肺いっぱいに大きく息を吸い込んだ。
「なっ・・」
腕を引っ張られたビビが引きずられるようにして湖の畔に辿り着くと、水に濡れた若者がビビの体を引き寄せながら言い出した。
「無事でなにより」
「無事?」
無事とはどういうことだろう?
頭の先からつま先までびっしょりと濡れたビビの体に、大きな雨粒が叩きつけるようにして降り注ぐ。空を見上げれば、鬱蒼と生い茂る森の木々に囲まれた灰色の空が、何処までも広がっている。天国にしてはあまりにも空がどんよりとしていて、雨粒は慈悲の涙のように暖かく感じた。
「悪いんだけど、この森は一族の者しか入れないんだよ。だからこそ、今、君の世話を出来る人間は俺しかいないんだけど」
抱き抱えるようにして大きな欅の木の下へと移動をした若者は、漆黒の髪を掻き上げながら瞳を細めて言い出した。
「一族というと、お母様は?お母様は居ますか?」
「君の母親は死んでいる」
「だったら会えますよね?」
「は?」
「だって、ここは天国なんですよね?」
ビビは自分の剥き出しとなった手足を見下ろしながら言い出した。
「毒で出来た痣が消えていますし、すっごく元気になっています。だから、私、無事に死ねて今は天国に居るんですよね?」
「悪いんだけど・・・」
若者は視線を逸らしながら言い出した。
「君、まだ死んでいやしないんだよ」
「えええ?」
「悪いんだけど、君の望み通りに殺すようなことはしていないんだ」
「そ・・そんな・・」
ようやくこの世の地獄から抜け出したと思ったのに、ビビは未だに地獄に居続けているらしい。ポロポロと涙をこぼしたビビはくるりと後ろを振り返ると、今まで自分が浸かっていた泉の方へと足を向けた。
「嫌だ・・そんなの・・今すぐに・・死ななくちゃ・・」
ようやっと苦しみを終えて死んだ母の元へと向かったはずなのに、いつの間にか生きて戻ってしまったらしい。
何故、自分が見たこともない白い衣服を着ているのかとか、どうして森の中にある泉の中で目を覚ましたとかそんなことは関係なく、今すぐ自分の命を断ちたかった。
「死ななくちゃ・・早く死ななくちゃ・・」
「待て!待て!待て!待て!」
ビビの腕を掴んで引き寄せた若者は驚き慌てながら言い出した。
「なんで死ななくちゃならないんだよ!」
「だって!叔母さまたちに売られてしまう!」
ビビは震えながら言い出した。
「夜に男の人を送り込むって、次の日には娼館に売り飛ばすって、だったら死んだほうがまし、お母様のところに行きたい」
ビビは大粒の涙をこぼしながら言い出した。
「今すぐに死なせて!お願い!死にたいの!」
「待てって言っているだろ!俺はあれだ!お前の母親であるヘレン夫人の姉の息子で、お前の従兄であるエドヴァルトって言うんだよ!お前の歴とした親族!分かるか?」
歴とした親族と言われてビビは思わず動きを止めた。
「お前がまだ小さいうちに一回だけ会ったことがあるんだけど、覚えてないかな?」
黒髪でグリーンオニキスの瞳を持つ男の端正な顔を見上げたビビは、
「知りません!」
と、思わず大声を上げた。
「私の知っているエド兄様は、紅玉の瞳に灰色の髪でしたので!貴方は私の知っている方とは違います!」
「待て待て待て!昔は紅玉の瞳だし、髪の毛ももっと薄らぼけた色だったんだよ!精霊都市に行って色が今の色に定着しただけで、中身とか変わったわけじゃないし」
「エド兄様は蛙を私に押し付けました!」
「子供だった時の悪戯だろ〜」
十年以上も昔のことで、まだ母も元気だった時に、母に連れられて母の姉の嫁ぎ先を訪れたことがあったのだ。母が病で倒れた後、何度も公爵家にあてて手紙を出したのだが、無視をされ続けた末に母はあっけなく亡くなってしまったのだ。
「嫌だ!死ぬ!死にます!もう嫌なの!」
「待て待て待て待て!死ぬな!死ぬな!死ぬな!」
死にたい、死ぬな、の押し問答は雨が降りしきる中、しばらくの間、続くことになったのだった。
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文字が読めないシンデレラ、毎日16時に更新していきます!!最後までお付き合い頂ければ幸いです!!
ただいま『緑禍』というブラジル移民のブラジル埋蔵金、殺人も続くサスペンスものも掲載しております。18時に更新しています。ご興味あればこちらの方も読んで頂ければ幸いです!!
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