第2話  持て余す者

 エドヴァルト・リンドストロームは、扱いに困る、手に余る奴だと良く言われるような人間だ。その日も、母の言うことを聞かずに訪問先である伯爵家の庭園の奥深くへと足を踏み入れたのだが、井戸の近くで倒れる少女を見つけて、

「何処の貴族もやることは一緒だよね〜」

 と、呆れた声を上げていた。


 世間の噂を信じるのなら、ゼタールンド伯爵家の娘であるビビという少女は苛烈な性格で、離縁をして出戻って来たペルニラ夫人と娘のマリンを、伯爵家の権力を使って虐めているのだという。


 ビビの理想は、ペルニラ親子を金持ちの老いた男の家へ嫁がせることであり、可能であれば娘のマリンは娼館にでも売り飛ばしたいと考えているらしい。そんな苛烈な娘の性格を矯正しようと奮闘していたヘレナ夫人の心労は著しく、その所為で病も悪化をして儚くも亡くなってしまったというのだ。


「あ〜ああ、可哀想に、その手もどうせ、ここのお嬢様に踏みつけられたんだろう?」

 明らかに手の甲の骨が折れているメイドは虫の息で、このまま放置すれば死んでしまうのではないだろうか。


 しゃがみ込んだエドヴァルトが、倍ほどにも腫れ上がった真っ赤な手を持ち上げながら問いかけると、痛みに苦しむ少女の顔を覗き込みながら、

「お前、名前はなんていうんだ?」

 と、問いかける。


 すると、目を開けた少女は虚な眼差しでエドヴァルトを見上げながら言い出したのだった。


「殺して・・今すぐ私を殺して・・」

 少女のグリーンサファイアの瞳を見下ろして、死を望む少女の細い首にエドヴァルトが手を伸ばすと、まるで自分の首を差し出すように顎を上げながら、

「もう・・辛いの・・死にたい・・殺して・・」

 少女は懇願するように言い出した。


 少女の痩せた皮膚には赤黒い痣の他に、紫斑がまだらに広がっている。その体に暴力と毒の痕跡がありありと残されているのを見て、

「ボリス、居るんだろ?ちょっとここまで来てくれるか?」

 木々の向こう側へと声をかけると、護衛のボリスがすぐさま近くへとやって来る。


「すぐに馬車へと移動する」

 無言で頷いたボリスは、倒れた少女を軽々と抱えて移動を始めた。

 その後ろをついて歩きながら、ふと、伯爵邸の方へ視線を向けたエドヴァルトは、

「ふっ」

 口の端から漏れ出るような笑みを浮かべたのだった。



     ◇◇◇



「お母様、エドヴァルト様はまだ?まだいらっしゃらないの?」

「マリン、少しは落ち着きなさいな」


 美しく結い上げたマリンの髪が崩れないように指先で優しく撫でながら、ペルニラは極上の笑みを浮かべた。


 病で亡くなったことになっているゼタールンド伯爵夫人ヘレナには姉が三人いる。一番上の姉は現在、リンドストローム公爵家に嫁いでおり、今日は弔問のために伯爵邸を訪れることになっている。公爵家は代々、幼いうちから子息を国外に留学させて学ばせるのだが、最近、ようやく嫡男のエドヴァルトが帰国した。


 今、王国内で一番人気がある貴族の令息と言えばエドヴァルト・リンドストロームであるのは間違いない。マリンは今回の訪問を機会に、エドヴァルトと親密な仲になろうと考えているし、出来ればマリンを公爵家に嫁がせたいとペルニラは考えている。社交界には出来損ないのビビがとんでもない悪女であるという話は広めているし、マリンは苛烈な性格であるビビに虐められている悲劇の令嬢になっている。


 ここで悲劇の令嬢は公爵家の嫡男と運命的な出会いをして、二人は恋に落ちる。そうなれば、ペルニラの嫁ぎ先だった侯爵家よりも高位の貴族の元へ娘を嫁に出すことが出来るため、ペルニラの溜飲も下がるというものだ。


「アリシア様、ようこそお越し下さいました」

 公爵家の馬車が到着し、出迎えに立ったペルニラ親子は、

「あら、ビビは出迎えてはくれないの?」

 という公爵夫人の言葉を聞いて、悲嘆を露わにしながら瞳を伏せる。 


 すると、侍女頭が恐れながらと公爵夫人に向かって言い出した。

「ビビお嬢様は、ヘレナ様がお亡くなりになってからも夜遊びをおやめにならず、今もまだお帰りになってはいないのです」


 出戻りのペルニラはあくまで伯爵夫人代理である。公爵夫人を前に、あくまでも言いづらい様子を見せながら口を開いた。

「申し訳ありません・・私がもっと上手く教育を出来れば良かったのですが・・」

 すると、母を庇うように前へと飛び出したマリンが、悲壮感たっぷりに言い出した。


「母を・・母を責めないでくださいませ・・母はビビ様をそれは気にかけ、心配りをし続けているのですが・・ビビ様は・・ビビ様は・・」

 かぶっていた帽子を取ろうと手を上げた公爵夫人に合わせて、怯えた様子でマリンが顔を伏せる。そうして、驚いた様子でマリンの肩を抱いたペルニラが、

「申し訳ありません・・娘はビビ様から日常的に暴力を受けているため・・ちょっとした動作に恐怖を感じてしまうのです・・」

 と、声を震わせながら言い出した。


「ふむ・・そうですか・・」

 自分の帽子を付き従う侍従に渡した夫人は悩ましげな表情を浮かべていると、大柄の男がそっと夫人の元へとやって来て、何かを耳元で囁いている。


 夫人が後ろを振り返れば、門の近くで停車したままだった二台目の馬車が、向きを変えるようにして移動をしていく。二台の馬車を使って移動をしてきた公爵夫人は、おそらく息子が乗っていると思われる馬車の方へと視線を送ると、

「ビビが居ないのであれば仕方がありません、私は帰ります」

 と言って乗ってきた豪奢な馬車へと体の向きを変える。


「あ・・あの・・少し待てばビビも帰って来ると思うのですが!」


 突然帰ると言い出した公爵夫人に慌てたマリンが声をかけると、一瞬だけ瞳を眇めた夫人は、無言のまま馬車へと戻って行ってしまったのだった。




     *************************


文字が読めないシンデレラ、毎日16時に更新していきます!!最後までお付き合い頂ければ幸いです!!

ただいま『緑禍』というブラジル移民のブラジル埋蔵金、殺人も続くサスペンスものも掲載しております。18時に更新しています。ご興味あればこちらの方も読んで頂ければ幸いです!!

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