第26話
この日の大勢は決した。
シカ族の潰走以降、特に戦局を揺るがすようなことは起こらなかった。アサナス人は森に撤退しその過程で王国軍はある程度の損害を与えた。
ポウトレクは本隊と合流し無事に森から脱出したがそこで撤退中のナエホ族と会敵した。これはナエホ族を追撃している御庭騎士団と第一連隊とともに敵を包囲する形になり、なかなかの戦果を上げた。
ポウトレクの脱出はユライアスがよく指揮した。彼女は作戦終盤まで戦場から遠く離れた人造湖に居た。武装を解いて堰の上に一人座る姿は遠目にはくつろいでいるアサナス人の作業人夫かと思われた。緋竜騎士団の紋章が刺繍してある額当を着けているが近づかないと分からない。
二度程「客」が来た。イムルーが様子を見に行かせたマバイオ族の者だ。その都度彼女は堰の上からアサナス語で呼びかけ相手が油断したところを部下に捕らえさせた。
確保した数人の捕虜のうち最も価値のありそうなのは最初の戦闘で捕らえた兵士であることは明白であった。この兵士は顔つきや肌の色、装備からエウロガーフの者ではなく、もっと南方の文明国の住人だろうと思われたが、持ち物などを調べても具体的な手がかりは得られなかった。兵士は黙秘の姿勢を貫いており、緋竜の騎士が多少「荒っぽい」聞き方をしても口を開くことはなかった。ユライアスはこの捕虜に聞きたいことがたくさんあったが、ほとんどが自分の所掌を超えることだと思われた。つまり、戦乱の背景のことでありそれは政治の範疇だった。彼女の目的はこの日の戦いを終結させ、単独行動を起こした緋竜騎士団がなるべく咎められないように始末を付けることだったので、この捕虜が持っているであろう情報のうち今どうしても必要というものは無かった。
やがて緋竜騎士団八番隊が増援として到着し、ユライアスは堰の確保を任せて前線に戻って行った。
司令官ヘックナートの落胆は大きかった。味方の損害は二千足らず、敵のそれは二万から三万といったところだろうか。これだけを見ると大勝のようだが敵は母数が大きいのでまだ大軍の体を保っている。
もう一戦するのか、そう考えると気力は萎えた。あれだけ考え抜いた作戦は全く機能せず、夜明け前から敵と味方に翻弄され続けた。
そう、「味方に」である。
彼にとって緋竜騎士団の独断専行は許しがたかった。あれがなければ自分の作戦はひょっとしたら上手くいったのではないかという考えに未だに囚われていた。もちろんこれは彼の偏った思い込みである。
一方で敵には計略があり、それを見破り無効化したのも緋竜騎士団だった。
騎士団長ポウトレクを目の前に呼んで怒鳴りつけたかったが、反論されて面目を潰される可能性を考えればそれはできなかった。
「ここで越冬か…」
それは最悪の結末だが、十分に現実味があるように思えた。そうなると宮廷での自分の評価は地に落ちる。戦が終われば王に謁見して事の経過を報告しなければならない。考えたくもなかった。
唯一の救いはナトヒムが無事に帰還したことだったがそれとて失点を防いだに過ぎず何ら成果に値するものではなかった。
取り急ぎ決めなければならないのは渡河した部隊をどうするかだった。まだ日は高いがやがて暮れる。こちらに呼び戻すか対岸で宿営させるか。その場合敵の夜襲への策はあるか。あの堰の扱いをどうするか。
決めなければいけないことは山ほどあったが彼はヘトヘトだった。
かわいそうな司令官に参謀長チリノールが進言した。
「対岸を放棄するべきです。あの地は守るに難しく蛮族に有利です。また、確保し続けたとしても我軍の次の手に繋がりません。
上流の堰は切りましょう。そうすれば今夜は安心して全軍を休ませられます。」
そして明日以降、陣を払ってデュラート野から後退することも献策した。
これらはすべてユライアスの入れ知恵だった。
疲れ果てていた司令官は一言、任せる、と言って自室に下がった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます