第18話
「ガンヒーク、部隊を三乃至四に分けろ。多方向から同時に攻撃する。敵の不意を突け。敵を無力化したら兵糧に火をつける。半点後に攻撃開始だ。」
「総長は。」
「俺はここいらの二、三十人をやる。行け。」
ガンヒークは部下を引き連れて奇襲の準備にかかった。
「私は緋竜殿に加勢しましょう。」
ポウトレクが一人残されたのにやや驚いてナトヒムが申し出た。
「かたじけない。では俺の馬を頼もう。」
馬を?と首を傾げるナトヒムにポウトレクは自分の馬の手綱を預け徒歩になった。そして抜剣し、剣に対して詞を律した。正しくは剣の束に埋め込まれている晶石に対してである。ポウトレクの眼は暁色を灯し石は青緑色に光った。ナトヒムはこれから起こることに身震いした。
剣技に奏術を組み合わせる芸を奏剣道という。
この時よりおよそ十年前、ナトヒムが年少の頃である。彼は競技会において初めて奏剣道の試合を見た。貴族の男の嗜みとして彼も剣術を学んでいたし、歳の近い子らの中ではかなり腕が立つ方だった。しかしそこで見た試合は彼の学んでいた剣術ではなかった。虚界の力を得た剣は振りの途中で軌道を変え、あるいは加速した。剣士は人の背丈の倍以上も跳躍したかと思うと空中で真横に跳ぶこともあった。二人の剣士の動きはまさに
ロスガール・イーンの御前で開かれたその試合において、優勝したのはリズカブリーミ男爵という下級貴族の若き当主である。そして惜しくも男爵に敗れ準優勝に甘んじたのはハシュテッグ辺境伯の長男だった。つまりポウトレクである。少年ナトヒムは二人の名を記憶した。それ以降エウロガーフにおける剣士の双璧はこの二人と見做されたが、ロルボスの政変を受けて男爵が行方知れずになってからはポウトレクが王国最強の剣士とされている。
今、そのポウトレクがナトヒムの前で剣を抜いた。
「跳刃術…」
ナトヒムはポウトレクを凝視しながら呟いた。
「お、ご存知か。」
ご存知も何も、この術を操るポウトレクへの十年来の憧れが、命の危険を顧みることなくナトヒムをここに居させていると言っていい。
ポウトレクは敵に近づきつつ身をかがめて木々の間から相手の数を窺った。敵の強さを推し量っている。そうかと思ったら次はひょいと立ち上がり木の陰から出て平然と敵の目に身をさらした。アサナス人の数人がポウトレクに気づいたが、抜き身の剣を手にしているものの無警戒に、無防備に近づいてくる相手を見て、彼らは事態を理解するのに一瞬の間を要した。
その直後、ポウトレクの体はあり得ない速さで跳躍した。跳刃術で用いる奏術は、術者の周囲にある空気の一塊を強い弾性体に変えるものである。その空気塊をバネのように使って剣や術者自身の動きを速めたり方向を変えたりする。ポウトレクの初手の跳躍も足元の空気を反発力のある踏み台にし、それを蹴ったのである。
一瞬で間を詰められ、武器を取る暇もなく次々とアサナス人達は切り倒された。驚いて逃げる敵もポウトレクは背中から両断した。
続いて三、四人のアサナス人がポウトレクの前に槍を構えた。ポウトレクは彼らに向かって地面を蹴り、その体は背丈程も飛び上がって放物線を描いた。アサナス人達は一斉に槍を上に向け、落下中で自由がきかないはずのポウトレクの体を突き通そうとしたが、ポウトレクは敵の頭上でもう一度跳躍した。アサナス人達の槍は空を切った。ポウトレクは着地すると同時に敵に振り向く余裕を与えることなくこれを斬り伏せた。
ナトヒムは胸が踊るような気持ちでこの情景を見ていた。十年前に見た舞踏のような鮮やかな剣技そのままだった。ただしあの時は達人同士のしのぎを削る立ち合いだったが、今見ているのは大人と子供の戦いのように一方的だった。
騒ぎに気付いた敵が十人また十人と集まり、徐々にポウトレクを取り囲んでいった。ポウトレクは間合いを計るようにゆっくりと動いている。敵も安易に近づくことの危険に気付き、なかなか仕掛けてこない。敵の数は四、五十人にもなっただろうか、さすがにナトヒムは心配になった。その時、アサナス人の背後で別の喚声が上がった。ガンヒークの攻撃である。
一瞬、包囲が乱れた。その隙を突いてポウトレクは囲みの一角に飛び掛かった。目の前のアサナス人戦士は素早く反応しポウトレクの横っ面目掛けて斧を振り下ろした。ポウトレクはよける素振りすら見せない。斧がポウトレクの頬骨を砕こうとしたその一瞬、しかし斧は空気の壁にぶち当たり、振り下ろしたのと同じ勢いで跳ね返った。と同時にポウトレクの剣は戦士の胸をえぐり、さらに次の瞬間には隣の戦士の胴を払っていた。彼はうろたえる敵を一人また一人と切り捨てていった。
ガンヒーク達は足並みを乱す敵にありったけの光の矢を射た。
その中にケスラも居たが彼もナトヒムと同様ポウトレクの動きに目を奪われた。
この戦いは、数の差から一見そうは見えなかったが、アサナス人達はポウトレクとガンヒークに挟み撃ちにされていたと言える。敵が戦意を喪失するのに時間はかからなかった。騎士達は逃げ出す敵にも容赦なく攻撃を浴びせたが深追いはせず、ほどなく彼らは一帯を制圧した。
ポウトレクは息を整えながら離れた所に居るナトヒムを呼んだ。
「ナトヒム殿、火をつけよう。」
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