第15話

 戦場は俄に活気づいた。押し寄せるアサナス人を受け止めたのは中央の御庭騎士団と左右の翼の国軍第一連隊と第二連隊だった。

戦況は大きく変わり、それまでの遠距離主体の戦闘から全戦線で激しい白兵戦が展開された。

 司令官ヘックナートはようやく好機が到来したと判断した。緋竜騎士団の専行によって崩れかけてきていた自らの作戦計画を正常化する機会だと考えた。このあたりに彼の謂わば秀才の域を出ない能力の限界が見える。彼の作戦が機能していないのは緋竜騎士団が、彼に言わせれば「勝手な」行動を取っているからではない。敵は計略を持っており自らの作戦に基づいて行動していた。それを知らずに書かれたヘックナートの脚本どおりに敵が動いてくれるはずはない。そしてその計略が河を堰き止め、鉄砲水を作って王国軍を押し流すというものであるということはユライアスによって暴かれ翼装隊から司令部に知らされていた。にも関わらず当初の自分の作戦に固執するヘックナートの心理は、何十時間も費やして考え巡らした自らの思考活動への信頼と、その思考活動を放棄して全く新しく展開する状況に一から臨機応変に対応することの不安である。いわば、嵐を前にして住み慣れた小屋から、例えその小屋が嵐に耐えられそうになくても、逃げ出せないでいるようなものである。しかしそもそも戦争とは激動の連続である。目まぐるしく変わる状況にその都度判断し行動することの繰り返しである。それを受け入れられないのはヘックナートの役人然とした性格故であった。


 ユライアスは彼女が言ったとおり上流の堰を制圧した。彼女が感じていたこの戦場の違和感の原因はやはりここにあった。日照りが続いたわけでもないのに川幅に比べて水量がやけに少ないこと、そしてなにより決して協力しあうことのないアサナス人が示し合わせたように略奪の後にこのデュラート野に集まったことである。ここに罠が仕掛けられていた。王国軍はアサナス人を追い詰めていたようで誘い込まれていたのだった。

 堰のことは翼装隊によって司令部に報告された。ユライアスの次の目標は、ポウトレクの救出と戦闘の終結を同時に行うことであった。彼女はオズリエルの分隊にポウトレクの支援を依頼した。


 堰を後にしてイズミンは思った。この分隊はとても重要な働きをした。緋竜騎士団の副長の指示に従っただけだとしても敵の計略を無効化し、数千、あるいは万を超える味方の命を救った。軍団のおまけにしては破格の貢献だ。そう考えるとイズミンは肩の荷が下りた気分になれた。と同時に先程はディグリーンにきつく当たってしまったことを思い出した。ディグリーンは、先の曲芸飛行で多少は気が晴れるかと思われたが、変わらず不服そうだった。

「うまくやったな。」

「そうだな。」

「初陣にしてはなかなかの活躍だと思わないか。」

 しかしディグリーンはそうは思っていなさそうだった。

 二番機は隊長機を前方に眺めながら森の上を飛んでいた。

「殿下は俺達のことを大切にしてくれているよ。」

「ああ。」

「俺みたいな田舎者の平民にも隔てなく接してくれるし、お前だって本来は王族に目通りなんてできない家だろ。」

「分かってるよ。」

「王宮の門の前を歩くことも憚られるだろ?」

「ああ、あの通りは宿無しが自分の寝床だと思っているからな。」

 二人の間に笑いが戻った。

「なあ、黒の王子を知っているか。」

「何の話だ。そんな王子いたっけ。」

「ロスガール・イーンがロルボスに殺される直前に言い残したんだ。メグデビエルという王子の存在を。」

「メグデビエル、『王朝を閉じる王子』?」

「ああ。それが誰のことを指すのかは分からない。オズリエル殿下のことなのか、それとも王には世に知られていないご落胤が居たのか。噂だよ。そのメグデビエル王子がいずれロスガール王の仇を討つという人もいるし、伝統派と戦って新しい王朝を建てるという人もいる。それどころか王政を無くすという人すらいる。」

「それが黒の王子?」

「そう。」

「黒なんだったらうちの白の殿下は真っ先に候補から外れるな。」

「色の問題かよ。でも殿下は一番疑われている。居るか居ないか分からない王の隠し子よりも、オズリエル殿下こそがメグデビエル王子だと見られることは当然だよな。」

「そうだとしても遺言だろ? 白の王子が黒の王子だったとしてそれがどうしたんだ。王朝を終わらせる権利とかそういうすごい力を持っているわけでもあるまいし。」

「そこが問題だ。メグデビエルはただの言葉だ。それでもたくさんの人が信じている。というか期待している。」

「何を?」

「王朝が交代することを。」

「それは困る。」

「だよな、失業するとまた新しい職を探さないといけないよ。」

「せっかくこんな面白いモノに乗れる身分になったのに。」

といってディグリーンは機体を左右に傾けた。

「そこかよ。でも僕たちのように今の王様に満足している奴らばかりじゃない。」

「ふむ。貧乏人とか。」

「そうだ。ここ数年、貧困に苦しんでいる人が増えてる。ロスガール王が戦費調達のために発行した国王債が割り引きされたり紙切れになったりして生活に困っている市民はたくさんいるし、あと、あれだけ羽振りが良かったニートペベール達も今は悲惨だよ。」

「ほんと、あいつらはあっという間に消えたよな。」

「そういう不幸な人達がメグデビエルを信じているんだ。偉い人たちがピリピリしているのは、不満分子がオズリエル殿下をメグデビエルだと担いで反乱を起こすことだ。」

「いや、殿下はそんなことせんと思うけどな。」

「もちろん僕もそう思ってる。でも偉い人達はそうは思っていない。だから殿下のことをずっと監視してる。」

「まあ俺は殿下が反乱を起こすならいっしょにひと暴れするよ。」

「お前は目立ちたいだけだろ。」

「あのな、目立って何が悪いんだ。目立つということはそれだけすごいことをしてるってことだぞ。」

「その考えには付いていけないよ。」

「それは困る。お前が砲手をしてくれんと俺が暴れられんだろ。」

イズミンは肩をすくめた。

「安心しろ。俺は殿下のことが好きだ。」

 二人は虚界を通して眼下に無数の光点を見た。ポウトレクの救出に森に入った緋竜騎士団の上空に差し掛かった。

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