第12話

 セドレクはなぜこんなにうまくいったのか分からなかったが、あれこれと考えている暇は無かった。すぐに自陣に引き返したがユライアスは出撃した後だった。遠話でユライアスに上手くいったとだけ伝え、残る騎士団の出撃の手配に取り掛かった。

 ポウトレクからカルダロサ救出失敗の報が入ったのはこのすぐ後である。


 既に述べたとおり、ユライアスはポウトレクの部隊を敵陣のさらに奥へ、つまり北に進ませるとともに緋竜騎士団の半数をその救出に向かわせた後、自分は数騎を連れて反対方向に別行動を取った。虚界の中、河の上流に怪しげな石の輝きを認めたからである。夜はすっかり明け、ユライアス一行は戦場から随分と南に上った。

 彼女は自分の行動を賭けだと思っていた。空振りに終わる可能性があったし、また、向かう先には思った以上の危険があるかもしれなかった。しかし必要な賭けだった。この戦場に漂う奇妙な空気の理由がここにありそうな気がした。

 虚界を覗くと一面暁色の世界の中、前方に複数の光る点が見える。つまり力を封じた石を持っている人間が、おそらく二、三人いるということである。奏術師なのか単に晶石を拾っただけの者なのかは分からない。奏術師とすればアサナス人ではない。また、奏術師だけでなく虚界からは見えない者がその周りに大勢居るかもしれない。どちらであれ戦場から離れた場所に人が居ることは不自然極まりない。


 おそらく矢を射ればまず命中する距離まで近づいているはずだが木々の影となって相手が見えない。ユライアスは遠話晶を使って虚界を見ていた。遠話晶が虚界で放つ光はごく小さいので相手からは見つかりにくいのだが、そうは言ってもこれ以上近づくと気づかれる恐れがある距離だった。

 決断する必要があった。相手は敵か味方かも分からない(いや、味方であることはないだろうが)、人数も分からない、地形も分からない、そしてこちらは相手に見つからないように遠話晶以外の石を持って来ていない。その中で奇襲をかけるか。

 ユライアスは茂みに身を隠し暁色の眼で空を見上げてその時を待った。


 司令部では司令官ヘックナートが苛立ちを隠せずにいた。

 戦局は進んでいたものの、王国軍にとってあまり芳しくなかった。ヘックナートは前衛として中央に出した御庭騎士団に続いて左翼に国軍第一連隊、右翼に第二連隊を配置し渡河させた。なお、先行して渡河していた緋竜騎士団は第一連隊のさらに左奥前方、すでに森の中であった。軍主力は河のこちら側に布陣し前衛の渡河の援護に徹していた。前衛の三翼の間は広く取られており、およそ連携が取れる距離にはなかった。これは司令官の作戦どおりで、この広い空間に敵を誘い込む目論見であった。ヘックナートの作戦の肝は前衛部隊を囮として敵に食いつかせ、敵が十分に食いついたところで主力が大きく包囲するというところだ。敵に先んじて部隊を渡河させたことは一見王国軍が戦いの主導権を握っているように思えるが実際は相手の反応待ちなのである。敵が攻め返してくれないことには次の一手が打てない。そして実際のところ敵はヘックナートの思うようには動いてくれなかった。

 囮の御庭騎士団は中央で敵を引き付けるべく包囲されながらも踏ん張っていたが、いまひとつ敵の食いつきがよくない。他の部隊が行う陽動や挑発も空振り気味で、戦場全体に活気がなく妙に弛緩した空気が漂っていた。

司令官ヘックナートは焦りを強くした。この日に決着がつかないかもしれない、このままここで幾万の軍勢を越冬させなければいけないかもしれない、そんなことになれば宮廷の自分への期待は失望に変わり、自分の名声は間違いなく地に墜ちる、そういった不安が現実味を帯び彼を襲った。また、ナトヒムの安否も心配だった。もちろん個人的な親しみの情からではない。そうした感情はナトヒムに対しては全く無かったし、むしろ難事を作られたことについての恨みすらある。ナトヒムへの心配とはすなわち自分の支援者の恨みを買うかもしれないという心配であった。

 優れた司令官の資質として辛抱強さがあるが元来神経質な彼にはそれが欠けていた。


 ヘックナートは何度も緋竜騎士団にポウトレクの部隊の状況を確認したが、カルダロサを見失って以降、戦闘を避けて帰投中という報告が繰り返されるのみだった。

「じゃああいつらは何をしに森に入ったんだ!」

 ヘックナートは周囲に不満をぶちまけた。周りの者にとってはとばっちりだったが、司令官の立場は同情に値した。


 当のポウトレクは帰投中と言いながらユライアスの指示どおり森の奥へと慎重に進んでいた。こういった場合の隠密行動に四番隊はうってつけだ。どこの騎士団もこういった特殊任務を得意とする一部隊を用意している。彼らは敵陣に忍び込み、情報を盗み出し、時に奇襲する。緋竜騎士団の四番隊も隊長ガンヒークを筆頭にこの時その能力を如何なく発揮し、最小限の戦闘で目的地に近づいていた。途中で合流したシダラ族のケスラもガンヒークの指示に従って索敵に参加した。

 ポウトレクは落ち着いていた。この戦が終わった後のことを心配する程だった。

「収監もあるかもしれんな。死罪は、まあ無かろうが。」

 司令官の命令に背いて単独で渡河したことである。無いよな、とガンヒークに確認したが、ガンヒークは首を傾げるだけだった。今、彼はそれどころではなかったから。

「私がうまく書きますよ。」

 軍監のナトヒムは戦後、緋竜騎士団の戦功を司令部に報告することが任務である。なるべく罪が軽くなるように報告書を書くことを請け負った。

「閉門蟄居ぐらいでなんとか済まんかな。」

「がんばりましょう。」

「いずれにしろ舟遊びはお預けか。」

 ポウトレクが嘆いたのは、ナトヒムの提案で、春になったら都の婦人達を招いて船上で宴を楽しむ約束のことだった。

「それはまた別の機会に。」

 どこまでも緊張感の無い二人だった。

 ポウトレクには、ユライアスが動いてくれているならなんとかなる、といった妙な安心感があった。


 遠話兵が何度目かの入伝を告げた。ポウトレクはうんざりした様子で、またセドレクが司令部に急かされているのか、と尋ねた。しかし遠話兵の応えは予想外のものだった。

「いえ、これは…白の、殿下ではないかと。」

「何!?」

 さすがのポウトレクも驚きを隠せず思わず叫んだ。白の殿下、つまりオズリエルである。述べよ、と遠話兵に指示した。

「翼装隊より緋竜騎士団へ。オズリエルである。卿らの副長ユライアスの求めにより我らは上空から卿らを支援する。」

 騎士団の将兵は一斉に空を見上げた。肉眼では見通しのよい所でないと見えなかったが、石を使えばよく見えた。明るく青みがかった光が暁色の世界の上空を移動していた。注意深い者は、光は二群に分かれ、それぞれの群は二つの機体で構成されていることを見て取った。虚界の空を石の光が馬の疾走よりも遥かに早い速度で飛んでいく。どの奏術師にとっても初めて経験する景色だったので、皆が空を仰いで一時目を奪われた。

「緋竜騎士団副長ユライアスよりオズリエル殿下へ。ご助力に深く感謝いたします。

早速ですが、我軍最左翼よりさらに南へ一里半乃至二里の地点を偵察いただきたい。」

「承知した。」

 以上です、と遠話兵が告げた。

「これは…」

 ポウトレクは憮然とした顔でナトヒムを見た。

「蟄居で済むのか?」

 ナトヒムは楽しそうに応えた。

「ユライアス殿に期待しましょう。」

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