第7話

 ポウトレクと別れた後のユライアスの動きは素早かった。すぐさま遠話で騎士団の陣で待機していた一番隊長セドレクを司令部に行かせた。司令官に作戦開始を具申するためである。セドレクはポウトレクの弟で騎士団の筆頭隊長だったが、しかしこれは荷が重かった。司令官ヘックナートはセドレクを前にすると気も違わんばかりに怒り、散々怒鳴り付けた。たかが蛮族の族長の息子の命と幾万の王国の将兵の命を秤にかけるようなことを自分に決断させるのかとか、偵察などと子供だましの言い訳を持ち出しても緋竜騎士団の軍令違反は逃れようもないだとか、とにかく司令官の考えはポウトレクを呼び戻す、ただ一点であり、いま全軍に渡河を命じるなど微塵も考えられないことだった。司令官は遠話で直接ポウトレクに命令しようとしたが、その頃ポウトレクの部隊はすでに戦闘に突入しており、遠話は叶わなかった。この状況はさらに司令官を激怒させた。


 セドレクが成すすべなく戻ってくるのと入れ替わりに、ユライアスが司令部を訪れた。彼女は司令官ではなく参謀長に申し入れた。この辺りは人を動かす上での機微といえる。誰かに難しい決断を迫るとき、違う立場の複数の人を通じて行えば受け入れてもらいやすくなる。そして彼女は単にポウトレクとカルダロサの救出を願い出たのではなかった。

 まず、ユライアスは現状から王国軍が取るべき手を説き、さらにヘックナートの作戦を補強する策を提案した。ユライアスの策は一見合理的に思えた。参謀長チリノールはもともとヘックナートの計画に不安を感じていた者の一人だったので別の策の提案は歓迎すべきことだった。しかし合理的なようでユライアスの策はそれを信じるに足る根拠が乏しいようにも思えた。いずれにせよ、デュラート野に陣を築いて以降、司令部ではヘックナート以外は自らの頭を働かせることを放棄していたので、この時もチリノールはユライアスの策を聞いても良いとも悪いとも判断することはできず、ただ、司令官に伝えるしかなかった。


 彼女は最後に重要な言葉を忘れなかった。

「ナトヒム卿は我が総長と共に河の向こうにおられます。」

 これにはチリノールも動揺を隠せなかった。ナトヒムはジーフリーグ家に入婿していたが、メロゾン大公家の末子であった。そしてそのメロゾン大公家は宮廷におけるヘックナートの数少ない、というより唯一と言っていい後ろ盾だった。単なる後ろ盾というだけでなく、ヘックナートの奥方はメロゾン大公家の息女、ナトヒムの姉であり、つまりヘックナートとナトヒムは義兄弟であった。

 ヘックナートはこの戦いで名声を高め上流社会での地位を確保しようとしているのに、ナトヒムを見捨ててメロゾン大公の支持を失ったのでは、むしろ地位を危うくしてしまう。ここに至って司令官は、ナトヒムを救いつつ戦に完勝するというさらに難しい課題に直面した。


 ユライアスが参謀長の前を辞してからほどなく司令官から全軍に作戦開始が命ぜられた。

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