第4話
翌朝の決戦を控えた夜、謡い巫女による戦勝祈願の祈りが捧げられた。大勢の将兵に見守られながら宿営地の広場で弦楽器や太鼓の奏でる調べに合わせて巫女は戦の詩を歌い上げる。当然、対岸にも聞こえるので、敵に開戦がせまっていることを警戒させることになる。だが、ヘックナートにとってはそれは織り込み済みで、むしろ明日がその日であることを敵、味方双方が了解することで、互いに不測の行動を取れなくすることが目的だった。司令官の作戦は敵方にも脚本通りに動いてもらう必要があったからである。ただしこの目論見が妥当であったかどうかと問われると、多くの参謀達は首を傾げただろう。
祈りの最中に事件が起こった。
白の王子オズリエルは、当初はこの戦いへの参加を予定していなかったが、軍の中で彼が中心となって開発していた新兵器「翼装」がいよいよ完成したので、実戦で試すこととして急遽デュラート野にやってきた。
そのオズリエルとロルボスが出くわしたのである。オズリエルにとってロルボスは父ロスガールの仇である。王子は物静かで分別のある若者であったが、ただロルボスのこととなると感情を抑えられなくなることがままあったので、周囲も二人を会わせないように気を配ることが常だった。しかしこの時は祈りの場から退出しようとするロルボスと、ちょうど幕営に到着したオズリエルが折り悪く出会ってしまった。
場の空気は一気に緊迫した。オズリエルはロルボスの姿を認めたときから頭に血が上っているようだった。二人は二尋ほどの距離をとって対峙した。ロルボスは大男である。オズリエルは殺意を感じさせるほどの眼差しでロルボスを睨み上げた。一方のロルボスの眼に生気はなく、表情からは何の感情も読み取れない。動じていないのか何かを思案しているのか分からないが居合わせた者は皆その佇まいから不遜なものを感じた。
貴賤を言えばオズリエルは王族でありロルボスは臣であるが、国軍の中にあってはロルボスは王を除いた序列の一位でありオズリエルは一大隊長に過ぎない。
「何をしに来た―」
オズリエルが問うた。
「―逆臣が。」
ロルボスの主君であり王子の父であるロスガールの殺害に対する直接的な非難である。
「何と?」
「殿下。」
ロルボスの部下の一人、あご髭を蓄えた男が色めきだった。と同時にオズリエルの後ろに控えていた女の従者が王子を諫めた。
「王都に戻るところです。」
ロルボスは意に介せず静かに答えた。
オズリエルは一歩ロルボスに近づいた。突き刺すような視線を送っている。剣を抜く間合いを計っているのか。どちらの側の従者達も他の人々も一触即発の空気に固唾をのんだ。背後では祈りの太鼓が打ち鳴らされていた。
「また誰か無実の者の排斥でも企んでいるのか。」
王子の皮肉だがロルボスは表情を変えず沈黙で応え、ゆっくりと体を脇に寄せてオズリエルに道を開けた。部下達もそれに倣った。
王子は無防備に突っ立っているロルボスを値踏みするようにじっと見つめた。それから視線を外し歩き出し、ロルボスの前を通り過ぎながら、この成り行きに硬直している人々に言った。
「こんなところで刃傷沙汰にはならんよ。」
そして、
「だが私の前にいるとき、貴様は自分の命を危険にさらしているということを忘れるな。」
と続けた。
殺害予告とも取れる王子の言葉にあご髭の部下は憤慨し、オズリエルに抗議しようとしたが、ロルボスが低く強い口調で叱責した。
「控えよ。」
ロルボスは王子に向き直り部下の非礼を詫びた。感情を乱さないロルボスの謝罪は逆にオズリエルをますます苛立たせた。
「己は主を殺しておきながら、部下の不敬を咎めるとはまったくでたらめな男であることよ。」
「殿下。」
女従者がさっきよりも強く制止した。
ロルボスは変わらず感情のない表情で、では殿下、とその場を辞去しようとしたが、続いてあご髭の男が慇懃に一礼し、「オジリエル(空の王子)殿下」と呟いた。
「空(から)の王子」とは、ロスガールの廃位によって次の王位はもちろん、反乱を防ぐために領地や部隊も取り上げられたオズリエルを揶揄したもので、当時、伝統派の人々の口の端によく上った言葉である。もちろん陰でだ。しかし王族の名前を本人の前で故意に言い間違え貶めるなど不敬の極みと言っていい。
「貴様!」
女従者は素早く剣の束に手をかけ抜きかけた。が、それよりも早くロルボスが反応した。
ロルボスは自分の部下の胸ぐらを掴んで吊るし上げ、地面に叩きつけた。大きな音と歓声が起こり、祈りの歌が止んだ。ロルボスの顔には怒りの色が浮かんでいたが、自分の制止に従わなかった部下に対する怒りなのか、あるいはオズリエルに対する怒りを部下にぶつけているのか、周りの人には分からなかった。
ロルボスは地面に転がる男に、今後出仕を禁ずる、と言い捨て、その場を去った。
その後広場ではそれ以上の事は起こらず祈りの歌は奉納された。集まった将兵は翌日の戦いに備えて三々五々自営に戻っていき、騒がしかった広場は静けさを取り戻した。
シダラ族の陣が襲われたのはそれから数刻後、未明の頃である。
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