第11話
超重量の大バサミによる殴打が何より厄介。挟まれたらブツンと行くのだろうが、それよりも今は重たい鈍器で殴られる事が問題として浮上してきている。彼女の両脚を裁断したのもこんな大バサミだったのだろうか。祟りが原因で人が死ぬ事は滅多に無い。人が死んで祟りを産む事は珍しくないが。
ならばあの大バサミは二人目の被害者から連想してしまった物か。
そして全身が包帯で巻かれているのは硫酸で焼かれた彼女から連想したのかもしれない。
戦闘中はテレパスによる念話で意思疎通を図るが、これも慣れないとイメージの固着が疎かになり神降ろしの具現化を解いてしまう事になる。これから新入生の課題となるのだろう。
『巻き付いた鎖が邪魔で籠釣瓶が通らないか』
『今時エゲレスのパンクロッカーでもあんな鎖は身に付けん』
『柔道技はどうだ?内股とか払い腰とか』
『あの鎖、表面が鋭利な刃物のようになっておって掴む事が出来んのじゃよな』
『転んだだけで自滅しそうな祟りだな…』
『うむ。ケアルを唱えるゾンビみたいなもんじゃ』
例えが頗る解り易かった。
鋏を閉じて鈍器として繰り出される横の打撃を鎬を立てて受ける。祟りのお姉さんは余程良い物を普段から食べているのか結構な力持ちであり、敵である僕に衝撃を踏ん張る事が出来ず後方宙返りを誘発させる程の膂力で叩きこんで来る。
着地待たずの刃を開いての裁断。
スライディング気味に倒れ込み、左足の具足で祟りの向こう脛を、右足の踵で祟りの膝裏を挟み込み地面に引き摺り倒す。
蟹役らしく、カニバサミ。
全身の鎖は確かに刃物のようになっておりジジジと具足部のイメージが削られたように騒ぐ。視界には両脚の損耗を確認の文字。
霊力を消費し、具足部を補修。
『ダメだ。転ばせても自滅しねえ』
『現代の牛若丸はカニバサミも使えるハイカラさんじゃからな』
『チェインメイルみてえになってるから突き技をしても籠釣瓶が通らない。しかもそのチェインメイル、刃の鎧みたいにダメージを返して来る。防具が優秀だと攻め手は困るばかりだ』
『機械鞘もあるんじゃし、殿の必殺技である太郎焼亡で焼いてしまえばどうじゃ?』
『加害者狩りが全然終息する気配が無いんだ。多分、祟りはこの姉ちゃん一体じゃない。霊力と冷却マグパックを使い過ぎて次の祟りにガス欠で挑むというのが怖い』
『元々加害者である清美は前線に出せんが。ヒーラー抜きというのがキツいのう…』
鞘の中に爆炎を召喚して推力を利用する居合抜きである太郎焼亡は霊力の消費が半端じゃない。それに加えてライフルを模した機械鞘の強制冷却に必要な濃縮液体窒素も弾数に限りがある。加害者を狩る人間が祟りを産み出すのであるならば、主犯格を狩った時にこそ産まれる祟りが本命だ。勿論祟りが発生しないという可能性もあるが発生するという可能性が少しでもあるならば備えておくに越した事は無い。
グググと両腕に力を込めて立ち上がろうとする祟りの両足をガッシリとクロスさせ籠釣瓶を間に挟んで鍔と腹で固定。そのまま倒れ込み袈裟固め風に脚を拘束する。当然僕はズリズリと引き摺られるが、鎧を相手に有効な鈍器を持つ相棒がすぐ其処だ。
『クロスレッグホールドまで現代の牛若丸は使うからのう。全く、殿はハイカラさんじゃな?』
『その速度制限の道路標識が原型無くなるぐらいにまでフルパワーで叩きつけてくれ。鎖を砕いたら籠釣瓶が通る』
『了解じゃ。動いたら危ないからジッとしておるのじゃぞ?』
ブンブンブンと大槍を手に演舞する戦国時代の武将のように道路標識を振り回し遠心力と加速が充分についた外側に働く力をプラスした鉄塊を相棒は斜め上段から振り下ろした。
「ぬうりゃああああああああああああ!!!!!!!」
気合一閃。
背中の中心を丸い先っぽで叩かれた祟りはエビ反りにしなり、両足を拘束する僕までが少し全身の接地感を失う程の衝撃が縦方向に働く。
パラパラパラと飛び散る鎖は散りながらヤオロズネットに還っていく光の粒子となり消え去り、それが豪快に笑う現代の武蔵坊弁慶を彩る。
幼馴染攻撃・忠宗ver。
コールタールのような体液というか漏れてる燃料というか。粘性を持つ真っ暗な液体が祟りの背中を中心に飛び散る。籠釣瓶を手に前転して僕はそれを躱し、忠宗は纏った法衣で払う様に黒い返り血を弾いた。
『ヌハハ。どうじゃ!』
『鎖の全損を確認。背骨が折れてるみたいだし、ダメージも入ったみたいだな』
『なんじゃ、真っ二つにするつもりで打ったんじゃが』
『武器が道路標識じゃなあ…』
『公共物破損で始末書じゃな。誰がって、殿がなんじゃが』
『始末書なんか何枚でも書くよ。祟り祓えりゃ』
『これで邪魔な鎖はもう無いからのう。柔道家として存分に戦えるぞい!』
『敵は〈悪鬼〉クラスだ。こんなもんじゃないだろ』
再度僕は籠釣瓶を上段から正眼にゆっくりと下ろして構えを取り。
忠宗は道路脇にある輪止めのセメントを両手で一列引っこ抜いて脇構えに構えた。
公共物破損で始末書、二枚目が確定した瞬間だった。
忠宗の打撃によって背中の包帯が破けた祟りはその背中からハラハラと包帯が解かれていき、その中身を僕等二人に露わにした。
瞬きもせずに凶悪に嗤う表情を貼り付けた、顔色の悪い女子高生の姿だった。
◇
ビクビクビクと全身を痙攣させ、セーラー服の祟りは折れた背骨を修復し大バサミを手にする。表情が全く変化しないのでまるでよく出来た人形のようだと僕は場違いな事を思った。右手だけで大バサミを手にして、内側から弾けとんだ左腕の中からはミミズの大群を思わせる触手。
グロ過ぎてミニスカートも大きなオッパイも全く嬉しくない。
『誰じゃ、あれ?』
『見た事が無い。緑色のセーラー服もこの辺にある教育機関の物じゃない』
『顔色というか、皮膚の色が本当に白粉を塗りたくったように白じゃな。なのに口元だけが異様に目立つほどに赤い。更に片腕がウネウネしとる。食欲の無くなる見た目じゃなあ…』
『今、神降ろしに検索かけて該当する知り合いがいないか調べたけど、知り合いじゃない。猿勢力でも蟹勢力でもない。それにあの靴下、あれ確かルーズソックスって言うんだろ?』
『姉上が中学生ぐらいの時に流行っていたと言っておったあれか。ゴムが伸び過ぎておる。もしくはゴムが切れておるな。ワシなら即座に裁縫をして直すわい。全く、年頃の娘がだらしなくて見てられんぞい!』
『稲穂さんが中学生って事は僕の兄貴が高校生ぐらいって事だ。ならこの時代の概念じゃない。イジメを苦にして自殺したってのが話題になったのも丁度ルーズソックスが流行った世代辺りぐらいからだ。なら昔、僕と同じくイジメを苦に自殺してしまった誰かなのかもしれない』
『元は地縛霊か。なら〈悪鬼〉クラスなのも頷けるのう?』
『加害者狩りに呼応して地縛霊が負の思念と負の感情を身に纏った結果が祟り化か。籠釣瓶は目釘がギチギチに締め付けられてるから刀身を鳴らせない。地縛霊相手となると同じリズムで鈴を鳴らすのが一番なんだけど…』
虚無僧の方が錫杖を鳴らすのは土地を清める為。
土地に溜まった不浄の空気を綺麗にする空気清浄器みたいな役割があると前に忠宗から教えて貰った事がある。そして同じく刀を鳴らして土地を清める文化も日本各地にあるのだと教えて貰ってはいるが。
籠釣瓶は祭器じゃない。
女切の妖刀だ。
『ワシ、僧侶としての装備は全部実家において来ちゃったぞい?地縛霊が相手だと知っておれば準備もして来たんじゃが。半端に祓えば更に力を増して場に留まるじゃろ』
『曹洞宗のお坊さんは穢れに対しての修行も行うんだろ?』
『うーむ。供養という意味ではそうじゃが、そもそも浄化というのは神主の仕事で僧侶の仕事ではないからのう。御祓いは神社で行われるんじゃし、僧侶の修行は穢れに対して自分が道を見失わない様にとの修行なんじゃしなあ…』
『ムチャクチャ厳しい曹洞宗の修行も幽霊退治の為の修行じゃないだろうしな…』
『ヒーラーか山内が居れば何とかなったんじゃろうが』
こうなると困った。地縛霊の処理は爆弾処理のようなもので専門家が適切な処理をしないと普通に爆発してしまう。そしてその専門家は太陽神を宿すあのコスメ小娘なんだが、この案件に関してアンニャロウは積極的に関わる事をしないを決め込んでしまっている。そして現在カズホッチは演奏会に出かけているので日本にすら居ない。
僕の周りには場を浄化出来るタイプの神降ろしをしている人間が圧倒的に少ないのだ。
みーんな脳筋で。
みーんなアホだ。
『忠宗。経を唱えて供養出来ないか?』
『うむ。それぐらいならば寺生まれのワシも〈ベンケイ〉も得意分野じゃ。まあワシの様なエセ坊主が供養して成仏してくれるかどうかは別問題じゃがな』
『なら僕が祟りの動きを止める。お前は結界を張って供養の為の経を唱えてくれ。妖怪退治なら出来るけど幽霊退治となると僕も〈クロウ〉も門外漢なんだ。僕がルーズソックスを思いっきり引っ張ってハイソックスにしている間、なんとか成仏を促してくれ』
『まずは身なりから整えねばな。だらしない恰好はだらしない精神姿勢を産むもんじゃて』
忠宗はその場に座り込み、結界を張って経を唱えだした。武蔵坊弁慶も奥州へと落ち延びる際に各地で起こった戦乱の余波により滅んでしまった山村を供養して回ったという伝説が残されている。というか義経公より弁慶の方がそうした民間伝承が多いんだけど、それは仕方があるまい、義経公は武将であるし民の為に動く事はなかなか出来なかっただろう。京都で刀狩りをしていた頃の弁慶は確かに暴れん坊であったけれど、改心した後、つまり義経公の相棒となった後の弁慶がそもそも理想的な英雄であるのだ。
いつの時代も僧兵は欠かせない。
いつの時代も常識人な知識人は欠かせない。
僧侶にして武闘家であるモンクというのは殆どこの時代には居ないそうだけど。
呼吸を止める。
間合いは四歩。
遠間。
飛び込み面の距離ではあるが、ウネウネの触手がどんな動きをするのか不明の為に飛び込み技は使えない。新遠野市住宅地方面に向かわせないのに、加えて念仏を唱えている忠宗に近づけさせないという敗北条件が追加。全身を纏う鎖が弾け飛んだ事により籠釣瓶の斬撃は通ると判断。祓えば祓う程に怨念を強力なものにする地縛霊である為に強制的に祓う事は禁忌。自然、大火力の太郎焼亡は使用禁止。使える技は八艘飛びだけ。しかしそれも祟りがこの後に控える可能性が大である為、霊力の消費を抑える事が望ましい。
祟りは大バサミを手にしたまま、左腕の触手を伸ばして来る。一本一本の其等は鋭く尖った槍のようで僕じゃなく忠宗を串刺しにしようとした。
それを上から斬り落とし、続いてそれを下から切り上げる。
地面に落ちた触手はビチビチと陸に揚げられた魚のようにのたうちやがて真っ黒な液体となって溶けだす。斬った感触は悪くない。手ごたえは充分だ。
巻き戻しをした時のように祟りは触手を身体に引込め、大バサミに何本も絡めた。恐らくフレイルや鞭のように振り回すつもりなのだろう。僕は機械鞘に取り付けたホルスターからXDMを抜き出し弾倉に入る分全てを腹部に向かって連射。
XDMがスライドオープン、同時に祟りと肉薄。
小手打ちで大バサミを打ち落とす。
引き面で肩口を斬りつける。
更に飛び込み面。
握りを左片手に直し、両目を袈裟がけに斬りつけその勢いそのままに右の拳で殴りつける。
殴られた祟りはゴロゴロと転がる。
町の騒然とした喧騒と忠宗の低い経をBGMに、僕は知らない女子高生と殺し合い。
柄を両手で持つ。
カチャリと、鳴らない筈の鍔が鳴った。
『ふむ。今日も殿の剣道は冴えわたるのう』
『経はあと何節だ?』
『まだまだ読み始めたばかりじゃ。じゃが、供養は効いておるようじゃな。いずれこの地で起きた地縛霊の原因となる様な事件の事を調べ、献花しなくてはなるまい。まあ、献花の前に喧嘩しとるんじゃが』
確かに祟りの周囲がぼんやりと優しい光に包まれている。
供養は効いている、これなら二人で祓う事も出来るだろう。
『地縛霊の祟り化なんて案件は初めてだな。確かに良くない存在は良くない物を引き寄せやすいんだけど、一度概念として定着した存在が在り方を変えるなんて事が出来るなんて在り得ないだろ。元々0と1だけで構成されるプログラムみたいなもんなんだぞ?』
『この加害者狩りがそのプログラムに異常を組み込んだのかもしれん。犯罪は犯罪を招くとは殿の口癖じゃがな、これはもう暴動じゃろ。どんな影響を与えたのかは解らんが、そうした奇跡を可能とするのがヤオロズネットじゃ』
『その辺は融通利かせろよと思うけど。お役所仕事じゃねえか』
『ヤオロズネットそのものは力場でしかないんじゃから、仕方のない話じゃよ』
祟りは身体を起こし落ちていた大バサミを拾い僕と対峙した。
表情は変わらない。
目を女切で深く斬ったので、其処から真っ黒な闇を垂れ流している。
この世の中には絶対という事は無いと僕は思っている。それはあの大神降ろし事件という何もかもを奪われ何もかもを失っただけの騒ぎで覚えた事だった。クソみたいな人間の意思を全身に撃ち込まれる役割を与えられた人間として唯一学んだ事でもあった。正直、あれ以上に人間の悪性を知った事は無い。賢い者は自らの罪を償う為の準備を粛々と行い、愚かな者は自らの過ちを認めようとしない。それも絶対という言葉が何も約束しないという現実と一緒に僕の脳髄に刻まれた真実でもあった。
まあ加害者についてはその内に僕が何か復讐という程に大それた事ではないけれども、実名を公表して世間様に何が在ったのかを縷々纏綿と語るぐらいはやろうかなと考えているのだが。
それでも失った物は帰って来ないし、無くした物は戻って来ない。
人殺しの罪を知らんぷり。
ならご家族の方に罰を代わりに受けて貰おうと人々が考えるのも自然な流れであろう。
僕であってもそう思う。
子供がいるならば子供に死んで貰うぐらいは考えるだろう。僕等は高校生でそんな事は無いけど。そして加害者は加害者で「どうしてそんな事を」と自らが奪われる事に対してはヒステリーを起こしたかのように声高に自分の権利を訴えるのだろうけど。
ま、人を殺しておいて何にも御咎め無しなんて都合の良い事は無い。
要はこの加害者狩りという流れも当然の事であったのだ。
システム的な話であり、所詮帳尻合わせに世界は動くという事なのだろう。
阿頼耶識だの意識の海だの難しい話は不要だ。
良い事は自分に返って来るし、悪い事は自分に返って来るだけ。本来シンプルであるべきその仕組みを複雑化して自己正当化を図っていた事でややこしくなっているように見えるだけで、実際は全然ややこしくも何ともないのだ。
愚かな者は自らの過ちを認めようとはしない、である。
つまりどういう事か?
簡単だ。
狩られる側の加害者一派の一部が、加害者狩りに対して反撃に転じたのだ。
当然、ヤオロズネットには急速に負の思念が溜まり始める。
「このクソ忙しい時に何を考えとるんじゃ!」
「頑なに謝ろうとしないんだけど。これ此処まで頑なだと病的でもあるよな…」
大鋏の祟りに加えて新市街の何処かで祟りが発生したとの通信がナノマシンを通じて入るが僕も忠宗も戦闘中で動けない。幹部級は全員がそれぞれの事情で動けず、伝統工芸科は今から戦支度の為に迎撃に間に合わない。
「どんだけガキなんじゃって話じゃろ。他人様を自殺に追い込んで家庭崩壊を招いてそれで誤りも何もせんのじゃぞ?謝ったら自分が悪い事を認めるとか頭の悪い事を思ってそうじゃ」
「事実、連中の頭は驚くほどに悪い。人を殺しておいて『裁判するつもりなら受けて立つぜ!』とか言いたがるほどだ。そんな程度の低いモラルしか持ち合わせがないから反撃に転じるなんて最悪な暴挙に出たんだろう」
「これ、展開としては新市街滅ぶ可能性あるぞい?」
「自分の事を優先する人間は国民に損益しか与えないって証明だな。動ける神人が居ないのに祟りは現れるわサルカニウォーズは残党狩りから一転して敵味方入り乱れての喧嘩になるわ、僕の誕生日のこの日だけで被害総額どんだけ行ったのか考えたくもねえ」
新市街が滅んだら経済が回らなくなるので、やがて新遠野市が滅ぶのだろう。祟りを野放しにする事は山火事を放置する事にも等しい。別に新市街が滅んだら本来の遠野市である旧市街に変な貴族街がくっ付くだけなのだけれど。
それでも人的被害を考えると放置とはなるまい。
人の未来を奪われて何もしませんでしたでは幕府の信用問題に関わる。
何でバカの尻拭いを僕等がしなくちゃならないのかと腹が立つ気持ちも当然あったが。
「あの大バサミ、お前の妖怪モードでなんとか出来ねえか?」
「地縛霊は祓われれば祓われる程に強力な存在となって帰って来る。普通の祟りであるならば問題は無いが自殺ベースの祟りとなるとワシの妖怪モードでは逆効果じゃろ」
「それに妖怪モードを使えばお前がこの後動けなくなるを意味するか…」
「ガソリンタンクに入っている分全部を一気に燃やすのと変わらんからな」
何度吹っ飛ばしたのか数えるのを止めたのは三十回ぐらいからだ。籠釣瓶は既に刃毀れが物打ちから鍔元まで達していたし、忠宗の武器になるような公共物は既に周辺には存在しない。
そして祟りは大バサミを開いて。
狂ったように金切り声を上げて絶叫し_。
自らの首を、その大きな鋏で断ったのだった。
◇
善も悪も判り易い行動であれば人間は対応策を用意しやすいという。シンプルであるならばある程に敵味方双方にプラスに機能するというのは警察や幕府だけの話ではなく学校での自分もそうだし部活の時の自分もそうだろう。周りに与える影響がシンプルな方が周りは安心するのだ。それが正の方向に働くのか負の方向に働くのかを問わず、行動原理が何によって支えられているのかが明確な者は社会の中で生き易い。
で。
「おい。僕の見間違いじゃなけりゃ、今、《祟り》が自殺しなかったか?」
「まだ成仏しておらん。あれではまた現れてしまうか。しかし、一体なんなんじゃ?」
僕等はホトホト困ってしまっていた。〈悪鬼〉クラスの祟りとなれば簡単な知性を持つとはいうが成仏する事を嫌って自殺するなんて複雑な思考は出来ない筈なのに。
自殺。
自殺である。
「自殺というのは信仰の否定、教えの否定じゃ。殿にそれを言うのは釈迦に説法になるが、それとは別に畏れをも否定するじゃろ。地縛霊の源である畏れさえ否定するなんぞ聞いた事が無い。そもそも祟りが自殺をするなんて事は今まで聞いた事が無いんじゃが?」
「一応、祟りを祓うって任務は終わったけど。これ絶対また発生するだろ。しかも今回より強力な存在になってだ。次は刃の鎧じゃなくて闇の衣を装備してくるかもしれん。そしたら僕等には打つ手が無い。だって光の珠ねえんだから」
「ヤオロズネットへの負の思念の溜まり具合がえげつないぞい?ガソリンを補給されてるみたいな速度で溜まっておる。此処まで来るとこれはもう充填じゃな」
「今日は僕の誕生日で命日だ。そして加害者狩りが暴動となって新遠野市で起きてる。だから負の思念や負の感情が溜まり易いってのは在るかも知れないけど…」
充填と呼べる程にすぐさま溜まる負の思念なんか聞いた事が無い。それこそ集まろうという明確な意思を持ってヤオロズネットに悪いものが集まっているかのようなものだ。
僕も忠宗も神降ろしを解いて現場検証に入る。
検証もクソも無いんだけど。
此処までワケが解らない事態に直面した僕の健康状態を検証して貰いたいぐらいだった。
夜の筈なのに新遠野市は嫌な感じに明るい。
町の方で火事が起きている事もそうだが、月が嫌な感じに明るい。
「これ、もしかしてルーズソックスの姉ちゃんもう一回出て来るか?出て来るなら出て来るで今度こそハイソックスにしてやるだけだけど?パッツンパッツンになるまで上に引っ張ってやるだけだけど?」
「もう殿が嫌になってしもうておるじゃろ。これはワシ等だけじゃ手に負えん。もう此処まで来たんじゃからヒーラーをバディに加えるしかないじゃろうな。嫌だとゴネるようじゃったら殿お得意のリバーブローでも叩きこめば言う事聞くじゃろ」
「僕のリバー、平坂に弾き返されるんだよなあ……。そんで削岩機みてえな勢いでリバー返して来るし……」
平坂のリバーブローを喰らうと強く叩かれ過ぎて肉が柔らかくなって肝硬変が治るんじゃないかと錯覚を覚える程だ。僕は一度喰らった事があるが、その時は神降ろしによる肉体の修復が間に合わず三時間近く悶絶していた事がある。
ムチャクチャ可愛いが、そのパンチ力は鷹村さんクラス。
アイツ、拳に捻りを加えるから貫通力もあるからな!
「活発で元気いっぱいじゃが、喧嘩も強いんじゃよな、ヒーラー…」
「徳川千本桜が格ゲーになったら確実に隠しキャラだ。普段はナビゲーター役なんだけど『お疲れ様でした!』とかエンディングで言いながら画面をデッカいハンマー使って叩き割ってモゾモゾと画面内部に入り込んで『おっしゃー!かかって来いやー!』とか劇画タッチでいう真の意味でのラスボスな?」
「普通のラスボスはワシ等のお目付け役である紀康殿なんじゃろうが…」
「あのクソ兄貴をコテンパンに出来るんだったら僕も参戦しよう。ゲームを楽しむプレイヤーとしてだったら僕はすぐに死ぬ不良のジョーや変態イケメンの井伊君を使う。ジョーは技を追加入力で追い打ちが出来るボクサーだろうし、井伊君はまず操作してるだけで絶対に面白い」
「見た目だけなら大奥の綺麗処が揃っておるからな。格ゲーでは変則的なキャラを好む傾向にあるワシとしては、やはり山内を使うんじゃろうなあ」
「女性キャラには当然のように水着コスチュームがあるんだろうけどな。しかし男性にだって水着コスチュームがあるのが徳川千本桜だ。カズホッチが旧スクール水着でお前がふんどし、超絶イケメンである井伊君は葉っぱ一枚で良い」
「そんな恰好で喧嘩するんじゃから警察官の紀康殿がラスボスになる訳じゃよなあ…」
「井伊君のグラフィックが楽しみだ」
「殿は冷たい眼差しの男の子で、ワシはニヤニヤしておるんじゃろうな。清美は流し目で山内は変わらず無表情。ヒーラーは、やっぱ元気いっぱいな笑顔かのう?」
もう二人で現実逃避。
僕が自殺した日に祟りが自殺してんだから。
なんだその要らない願掛け。
仕方ないと僕は平坂にチャンネルを合わせてテレパスを開く。すぐさまサブカメラに平坂が表示された。どうやら寝ていたと思っていたお姫様はまたベッドの上でオヤツを食べながら漫画を読んでおられる御様子。
『ヒメちゃん、起きてるかい?』
『なんだい?康平君』
すぐさま応答してくれるレスポンスの速さが有難い。
『祟り強くて大変だから、手伝ってくんない?』
『やだ』
クソが。
レスポンス速過ぎだろ。
クソが。
なんでそんな整った顔立ちしてんだよ。
『康平お兄さんと忠宗お兄さんは大変なんだよ。ヒメちゃん来てくれたら助かるんだけど?』
『私、『はじめの一歩』読むのに忙しいのです。間柴さんと沢村さんの対決は本当に手に汗握る展開ですよねえ。問題児同士の対決というのが私は好きでして』
『敢えて一歩君と千堂さんの対決をチョイスしないお前のそのセンスの良さだよね…』
『王道というか誰が読んでも感動するお話ってのはやっぱ面白いですけどね。一歩君や会社の皆さんと触れあって段々と丸くなりつつあった間柴さんが同じような問題児と戦う事によってドンドンと本来の姿を取り戻していくその哀愁というか情念というかが泣けるのです』
『いや、祟りが自殺しちゃってな?多分次に現れる祟りはブライアン・ホークみてえな奴なんだよ。其処で天照大神を宿す、新遠野市の鷹村さんであるお前の力を借りたいなーと』
『やだ。だって私、ベルトに興味ねえですもん』
頑ななお姫様。
なら興味を持つものを餌にするは定石。
『来てくれたら忠宗が体育座りのままでカタパルト使って吹っ飛ぶ様を見れる』
『え!なにそれ!面白そう!すぐ行く!待ってて下さい!』
チョロい。
楽しそうな事を提示すればすぐさま来てくれる太陽神。
「ワシ、身体バラバラになっちゃうぞい?」
「良いんだ。来たら来たでそんな事忘れるんだから」
倒れたままの首の無い女子高生は光の粒子となってヤオロズネットへ還っていく。しかし成仏という感じではない。負の思念を意味する真っ黒なコールタールに飲み込まれているからだ。
「自殺しちゃった祟り、消えてしもうたんじゃが…?」
「いや、向こうを視てみろ。早くも再登場だ」
そして先程と同じ、全身包帯と全身鎖の祟りが大バサミを手にして此方に向かって早速歩いていた。地縛霊は原因を突き止めて原因を取り除くか供養をして成仏させなければ情念を強めて何度でも復活する。より強力に、よりパンチを効かせて。
それを見て、ゲンナリする僕等。
「…お早いお帰り、何よりじゃな……」
「…見た感じ、顔色も良さそうで元気そうだしね……」
加害者狩りがヤオロズネットに溜め込む負の思念が多過ぎて、祟りが即座に現れてしまうのだろう。これではイタチゴッコもいいところだ。先程より足取りも軽やかに祟りは僕等を目指してゆっくりと歩いて来る。
「全身の鎖がさっきより太くなっておる。大バサミもビリビリと威勢よく帯電しておるのう」
「死の淵から蘇るとパワーアップするんじゃねえの?」
「それサイヤ人じゃろ」
「サイヤ人みてえなもんだろ、あんなもん。傷付けても勝手に死んで勝手に復活するんだから」
それは僕と何が違うのか。
自殺をして強くなった祟りと。
自殺をして弱くなった僕。
成長と退化の違いこそあれ。
勝手に死んで、勝手に終わろうとした僕と。
何が違うのか。
「聖水だのなんだの、場を清めるアイテムとか何か持っておらんのか?」
「岩塩弾を撃ち出すシナジーは僕も置いて来ちゃったからなあ」
「ならば、御神酒を加工して作り出すとするかのう?」
「まず場を清める為に絶対必要な塩が無い。妖怪モードを使ったとしてもアンデッドである地縛霊に対して暗黒剣が通用しない様に僕の妖怪モードじゃ回復されちゃうかもしれん。んじゃお前の妖怪モードならっていっても結局は同じだ。幽霊相手に妖怪モードは逆効果でしかない。妖怪を倒した僧侶の伝説が多いこの国じゃ妖怪に対するアンチテーゼがお坊さんだと思われてる事からも幽霊に対してお坊さんが有効な存在だと思われていない。平家の亡霊に耳を引き千切られた耳無し芳一が良い例だ。逆説的に考えて耳だけが宙に浮かんでいるのを発見した平家の亡霊さんの方がホラーな気分だったと思うぞ?」
「巷で大騒ぎの猿蟹合戦。その舞台裏が一番大変なんじゃよな…」
「サルカニウォーズするならするで蟹に意見を求めろって話だろ。僕は沢蟹じゃないけど」
「んじゃ何蟹なんじゃ?」
「同じ淡水で生きる蟹ならガザミが美味いらしい。味噌汁にしたり鍋物にしたり」
猿蟹合戦の蟹がガザミだったら美味しさを理由に蟹が狙われていたかもしれない。
はぐれメタルが苛められたからと復讐を手伝う者はいない。
寧ろ、はぐれメタルに近付こうと仲間になる者がきっと大半だ。
そして仲間のフリをして後ろからズブリ。
「東北は川の生き物を喰う文化が弱いじゃろ。牛は日本一美味いと思うが」
「岩手県ならば前沢牛、山形ならば米沢牛、宮城県なら栗駒牛があるからな」
特に宮城県の牛肉は美味い。
栗原市で栗駒牛を食べて、気仙沼まで足を延ばして秋刀魚と白魚、岩手県まで北上して山田町辺りで魚介を楽しんで奥州市に一泊して新遠野市に帰還するというのが太平洋側の東北グルメの旅・黄金コースではないだろうか。
日本海側の東北グルメの旅となると秋田県と山形県だが。秋田は横手焼きそばと稲庭ウドンときりたんぽがあり、本当に静かな穏やかな時間を過ごす事が出来るし。山形県といえばラーメン消費量日本一の文化に支えられた日本一美味しいラーメンと大根おろしの搾り汁を蕎麦汁に入れる激ウマの蕎麦や効能が強過ぎて湯当たりするレベルの温泉を楽しめる。
廃仏毀釈を免れた歴史を学びつつ、僕等が暮らす新遠野市とグルメを楽しむならば太平洋側。
身体と心を癒すグルメと温泉を堪能する人間オーバーホールをするならば日本海側。
東北の旅はそんなコンセプトでどうぞ。
何はともあれ_。
再度、祟りです、お母さん。
「全く、あれだな。ロックのジレンマって奴だな」
「ロックのジレンマ?なんじゃ、それ?」
「皆が幸せになる事ばかり周りは望んでロックみたいな音楽は迫害され喫煙者みたいに隅に追いやられていくんだ。バカだよな、ロックこそ必要な人間が世の中には居る筈なのに」
「まあ、そうじゃな。世の中全てがバラードでは語れん」
「だからこその幕府だろ。世の中と言うモノが正方形なのだとしたら公的なサービスは円をその正方形の中に入れるに等しい。角っこにはその公的なサービスが届かなくても大半を援助してるんだから少数派はごめんねってのが公共のサービスだ。ロックってのはその隅っこを表現する音楽でその隅っこを掬い上げる平和維持活動であると僕は思うんだよな」
「ふむ」
「だけど逆に大きな円に認められる事が無いから結局は意味が無い事なんだと自信を失ってしまう。ロックを演奏する人間こそロックを信じる事が出来なくなる。力無き弱き人々を助ける為の活動は草の根活動でしかなく陽の目を見る事が無い。それが加害者狩りの本質だった筈だろ」
「じゃな。失うばかりであった殿の為に始まった事じゃ」
「皆が幸せになって良い筈なのにな」
「じゃな。幸せになる為に生きておる」
「んじゃなんで自殺させられるんだって話だろ」
「成程。死ぬのはロックンローラーの方、それがロックのジレンマじゃな?」
「人間、能力なんか不要だ。ただ、優しければそれで良い。重たい荷物を持つ人が居れば手を貸して、忙しそうな人が居たら手伝う。それだけで良いんだ」
「蟹は考える事が多くて大変じゃな?」
「今の世の中は柿が赤く染まれば意地悪な猿を殺せって言うけど。猿はただガキなだけだろ。独り占めしたいとか他者が欲しがる物を自分だけが持つんだとかいう優位性に酔いたいというか。他人に優しくない、自分が可愛いだけのガキを殺してどうすんだ」
「悪は倒すものではなく正すもの。殿の口癖じゃなあ…」
「蟹の為にと始めたサルカニウォーズが結局蟹を困らせてるだろ。祟りは出るわ、僕は軟禁されるわ、加害者は加害者で身勝手に動くわ、扇動者である猿は出て来ないわで大変だよ。サルカニウォーズの規模がデカ過ぎんだよ。町一つ丸ごと暴徒化してんだから」
加害者狩りの流れは加速した。
けれどもそれは町全体を潤すものでは無かった。
信仰を歪めただけの、人々を不安にさせるものでしかなかった。
確かに殺すだけ殺して逃亡をしている加害者は許せない。悪いのはと聞かれれば彼等がそうだと誰もが言う。法律家の先生やお巡りさんが判断したとしても自殺幇助に自殺教唆の罪は免れない。でもそれを許さないという行動は優しさから生じるものであるべきであって攻撃性を孕んだ感情が先んじるべきではない。
結果があれだ。
あのビリバリと電気を纏う大バサミを持って元気いっぱいに歩く祟りだ。
民話信仰の町だからこそ民の意識の総和が形になり易いのか。総和が挿話として介入というかお邪魔虫としてやって来てしまうのか。作中作として物語の中に新たな物語を添加するなんて方法は五十年ぐらい前に搾取し尽くされた手法ではあるのだが。
介入してくんじゃねえ。
猿蟹合戦の主役は脇役じゃねえ。
これは、蟹である僕の物語だ。
「平坂の到着を待って祟りを祓おう。そのまま町中に進んで暴徒化した住民と衝突しているお巡りさんを手伝う」
「まあ、ワシは殿の意思に従うだけじゃ」
僕等はそれぞれの武器を構え、祟りを迎えた。
迎撃すればするほど強くなって帰ってくる地縛霊ベースの祟り。
原因を特定して原因を何とかしなければ解決しないのは祟りだけじゃなく。
加害者狩りという流行は僕という『原因』なんか見向きもしない。
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