第7話 五月九日の悪夢

 家族を殺された者にとっての命日というのは加害者について考える物であるし遺族の事が先行しないのは仕方がない事であろう。命日というか殺日。つまりは奪われた日なのだから故人を偲び命を尊ぶなどの余裕が無いのも当然だ。さて、誕生日が命日である僕の場合、なかなか周囲の人間は如何対処したらいいのかに悩むらしい。「おめでとう♪」と祝福すれば僕の自殺を肯定し、「この野郎!」と激怒すれば僕の誕生を否定する。どっちも僕の存在が消えている点を問題視している事がミソ。誕生日に僕を殺そうとした『彼等』は一体何を考えてこんな悪辣な真似をしたのかは考えが及ばないし考えるのもバカバカしいのだけれど。僕は考えなくてはならない。何故僕が自殺したのかではなく、何故彼等が僕を誕生日に自殺させようと思ったかをだ。

 さて、物語は五月九日。

 僕の誕生日で、僕の命日が話題で主題。

 その日はアイスクリームの日らしい。スタンドのクリームは空間を削る能力だったような気がするけれど、それはそれで皮肉が効いていた。その反則みたいな能力のスタンドを使う強敵の名前がヴァニラ・アイスだからだ。

 僕の存在を削り取られたアイスクリームの日。

 イジメによる自殺は全てが犯罪である。

 ならば正しくアイスクリームの日なのだろう。

 I、スクリームの日なのだろう。


 物語はドンヨリとした曇天で気温は高いという最悪な天候の中、鬱屈とした気分で始まった。自殺した時のように絶叫したいぐらいのマグマのような怒りが身体を支配していた。




「会長さんってそんじょ其処等の有象無象に比べたら人間スキルが高いじゃないですか。人間スペックというんでしょうか、それとも人間MILスペックというべきなのでしょうか。頭の回転は速いですし運動神経も良いですし動物好きで優しいですし後輩の羨望を独り占めしているような絵にかいたような生徒会長じゃないですか」

「うむ。殿は剣の腕も立てば料理の腕も良い。他者と衝突するような思想も信念こそも無いが、世の為人の為そしてワシの為に日々研鑽を積む最後のサムライじゃ」

「僕がそんな完璧超人だったら今日の財布の中身が五百円だけなのはなんでなんだ…?」

 その日、僕等は生徒会長と副生徒会長というある意味では幹部重役だけで学校の外に出歩いていた。お散歩の時間と言う訳ではない。ヒロインの女の子だけはお散歩気分である事は間違いなかったけれど。右手にフランクフルト、左手には唐揚げ棒を手にして、行儀悪く歩きながら食べているのだから。

 しかしながら、それでも美しさが失われないのは流石であろう。

『癒しの姫君』と呼ばれるこの平坂陽愛は世界的な女優の娘であるのだし、平坂信条館女学院・通称『大奥』は政界・財界の第一線で活躍出来るような淑女を育成する教育機関である。

 訓練された立ち振る舞いというのは身体に染みつくもんだ。

 新遠野市の貴族街というのは基本的に男子禁制の聖域なのだがこうして僕と忠宗の二人は例外というか特例として貴族街に足を踏み入れている。伝統工芸科の作品を配達する時なんかは生徒会長権限で貴族街に入る事も出来るけど今は伝統工芸科の実習の時間ではない。

「しかし凄いのう。貴族街の絢爛さは遠目に見ても解る程じゃったが、こうして路地裏を歩けば尚の事どれだけ贅を尽くしこの町割りが行われたか理解出来る。ワシ等の税金はこういう所に消えていくんじゃな…」

「私達、高校生じゃないですか。税金そんな払ってないでしょ?」

「消費税とガソリン税がある。僕と忠宗はバイク通学だし、僕に限って言えばスーパーで何が安いのかを下調べしてから食材を買って暮らす自炊生活なんだ。消費税というけど消費する事が贅沢だった時代はもう終わっているんだよと言いたいのは僕だけじゃ無いだろう。忠宗は未成年なのにタバコ税も払ってる」

 今日はスーパー東雲旧市街店で卵と牛乳が安かった。

 それと片栗粉と天ぷら粉もそろそろ買っておかなくてはならん。

 もう一人の同行者、本多忠宗はその巨体を狭い貴族街の裏通りに擦るようにして歩く。

 珍しい貴族街の中心部にすっかりご満悦なようであった。

「殿の場合、毎日ヒーラーに美味しい御飯を作るからエンゲル係数が高いんじゃぞ?」

「そうだよな。理事長から食費だよって毎月頂く分の倍以上は食ってるからな…」

「えへへー。会長さんの作るご飯は美味しいのでついつい食べ過ぎちゃうのです!」

 毎月、結構な金額を理事長から頂くのだが。

 父親も大変だ、娘がコレじゃあな…。

 僕の財布に現在五百円しか入っていない理由もこの辺に解答がありそうだ。

「さて、そんなお料理の腕がプロ級で凄い性能の持ち主である会長さんが自殺に追い込まれた理由ですよ。会長さんが誕生日に自殺してるからこそ、私達、こうして貴族街に御呼ばれされちゃったんじゃないですか」

「なんで僕は誕生日に自殺したんだ忠宗?」

「ワシに聞くでない」

 そう。

 普段入る事が出来ないどころか貴族街を眺めるだけでも怖い警備員のお兄さんに「おいテメエ、今、何見てた?ちょっとジャンプしてみ?」なんて言われて小銭を巻き上げられるような町なのだ。そんな場所に入るには相応の資格が必要になるのも当然。正当な理由があって生業を果たす為にロングスパンで計画を立てて手続きを済ませてお客様として入るか、普通に中にいる人間から御呼ばれするか。後者は警備上の資格というか死角なのだけど。そんなことまで考えてしまう様に僕の人間性にはお巡りさん一家であるという事情が機能しているのか。

 訓練された立ち振る舞いというのは染みつく。

 蝕まれるに近いか。

 忠宗は貴族街の絢爛豪華なロードス島旧市街にシチリア島の高級住宅街を足して混ぜたかのような景観に圧倒されたのか、極自然な動きで制服の内ポケットから煙草を取り出し自然な動きで口に銜えて火を点けた。

「ちょっと忠宗君!これから偉い人に会いに行くって時に高校生が喫煙はヤバいっすよ!私達にも臭い付いちゃうでしょお?」

「お、おお。これは気付けんかった。裏路地の石畳があまりに美しく我を忘れてしもうた」

「別にこれから会う人物が友好的な訳でもないんだし、此処いらで旧市街に戻って田圃に落ちたままの姿で行っても良いんじゃないか?旧市街の田圃の水は冷たいんだ。冷たい雪解け水で稲を育てるから米は美味くなる。その冷たい雪解け水にダイブってのも高校生らしい若さだと僕は思うけど?」

 会いたくもない人間に呼ばれてコッチが出向くというのが気に入らない。

 会いたいならお前が来いや。

 そう、僕が言いたくなるのは器が小さいからなのかどうなのか。

「犯罪心理学の第一人者と会うって時に泥塗れで行くんです?いや、やるならやるで楽しそうですから構わないんですけど!でも私がジャージに着替えるの待ってて下さい!」

「いや、やるわけないじゃろ…。ヒーラーの判断基準が面白そうか否かという二極だけなのは充分に理解しておるが」

 大奥の制服はそのままミサでもサバトでも参加出来るような尼僧服のような形状をしている。そして驚く事無かれ、その材質は絹だ。真っ黒なビロードのシルクを雪解け水で汚したくないというのは女子高生でなくても普通の反応であろう。

 雲に覆われているというのに少し籠り始めた熱気を風が掃えば土と石の匂いが町中を走り回る。今はその匂いに唐揚げとケチャップとマスタードの匂いがサービスで付いて来た。

 クチャクチャと食べながら町を進む先頭は案内人としての役割を与えられたお姫様。

 否、案内人としての役割しか与えられていない。

 これは御呼ばれした先方に僕が出した条件の一つであった。


・道が解らないので貴族街で暮らす平坂陽愛の同行を願います。

・僕の自殺は母を殺してしまった友人にとっても問題。友人の同行を許可願います。

・神降ろしが『起動』した時点で対談終了します事をご理解ください


 この三点の条件付きとして御呼ばれに返信したのだが、意外にもアッサリと承諾というか快諾されてしまったので肩透かしを食らった気分になったのは此方の方であった。これならば、「オメエが暮らしてる屋敷に全校生徒で押しかけちゃうぞぉ?」というような平坂が言いそうな事も条件付きの強化案として盛り込めばよかったかもしれない。

 僕に味方はいない。

 忠宗は親友で仲間だが味方じゃない。

 自殺した時点で僕は僕さえも敵になった。

 急に「お話しませんか」などとメールして来る人間が味方の筈がない。

 そして神降ろしの『起動条件』を彼は知っていた。

 そんな人物の下へ丸腰で来れる訳もなく、僕等は全員武装済みである。

 知りたがり世界一、ウザさナイアガラ級、落ち着きの無さビッグバンを自他ともに認めるウザデレラ系ヒロインである平坂が案内人だけを役割とするというのも珍しい。それは僕と忠宗という本来のツーマンセルに戻っただけともいえるのだが。

 自殺の僕。

 殺人の彼。

 そんな、いつもの仲良しな二人に戻ったというだけ。

 忠宗も同じ疑問を抱いていたのか前を歩く平坂に質問を投げかける。

「殿の事となると目の色を変えるヒーラーが物語の外に出されて平気な顔というのも珍しいんじゃが。お主、今回は水先案内人だけでええのか?」

「私自身がそもそも会長さんの自殺後にこの町に来てるじゃないですか。だから私、会長さんの自殺を全くもって知らないのです。五月九日は会長さんのお誕生日であると同時に命日。きっと私、メインキャストとしてこの物語には関われないんだと腹を括ってます!」

「首括った僕より良いよ。お前は案内人と不測の事態に備えた警固要員として働いてくれ」

 腹括るお姫様に。

 首括る僕。

 映画にありそうなタイトル。「クビ・ククル」である。

 それがなんだと言われたら僕には返す言葉もない。

 このまま何処か単車を転がしてグルリと旧市街の田園風景を楽しめればさぞ心の休暇にもなったのであろうが、悲しいかな呼び出しはあるわスピードトリプルにはガソリンが入っていないわでその有意義な過ごし方を叶える事は出来なかった。宝くじが当たったらまず一番最初に何をするのだろうと考えた事が無い人は居ないと思われるが、きっと多くの人間はフルサービスのガスステーションに赴きハイオク満タンを頼むのではないだろうか?

 当たりもしない宝くじが当たった場合の事を考える事と死後の世界を考える事は同義であると僕の横で貴族街の町並みに心奪われているハゲは話した事が在ったけれども、果たしてそれが本当にそうなのかどうかは理解出来ていない。「宝くじを買うという行為は夢を買う事だと世間一般では言われているがワシはそうは思わん。この現世からの脱却を図るという意味ではそれは夢ではなく逃避を可能とする可能性を買っておる」だのなんだの相変わらずの説教好きな寺生まれが言う事には何一つとして共感出来ることはなかったけれど。

 誰もが僧侶にはなれない。

 抜きんでて厳しい修行を行う曹洞宗の僧侶はそのまま特殊部隊になれるんじゃねえかと思う程に強い者であるが。だからこそ、寺の坊主の常識は世間には当て嵌まらない。今回の呼び出しだって恐らくは世間一般の常識に照らし合わせて僕に対する悪口を言う機会に過ぎないのであろうと思っている。

 何で自殺しちゃったんですかー?

 結局、人々が聞きたいのはそれだけだ。


 そしてそれを教えたら、加害者の人生が終わる。


「それで、どんな御仁なんじゃ?殿を呼び出した犯罪心理学者ってのは」

「警察にプロファイリング捜査の協力を多くしている方で専門は臨床心理学だ。昔は警察大学校で教鞭を振るっていた事もあったらしいけどな。今は引退して貴族街でアドバイザーとしてチョロチョロ働きつつ余生を過ごしていると聞いている」

「随分と不遜な御方なんですね。よりによって会長さんの誕生日を語りたいなんて」

 五月九日。

 誕生日。

 今ではそれより強い意味合いに塗りつぶされてしまった特別な日。

「祟りは現世の負の思念に呼応して現れる。自殺に呼応した祟りなんぞ半端じゃない存在になるのは眼に見えておる。恐らく、今のワシ等じゃ勝てんぞい?」

「しかも僕の自殺は同時に多くの犯罪を巻き起こした。略奪に殺人、放火に威力妨害。五月九日に起きた大神降ろし事件は何が基点となって祟りに成るのかが判断出来ない。全員が武装して自宅待機してるだろ本丸は。なのに僕等だけこんな呑気にお散歩ってのもな」

「祟りと神降ろしは似通った存在ですからね」

 ヤオロズネットが如何なる判断を下すのか。

 どの負の思念を祟りに形作るのか。

 でも間違いなく、否応なく、祟りが発生するのだろう。

「殿を自殺させた奴等を矢面に並べて罪の浄化を行うぐらいせんと割に合わん」

「それ、確か昔の中国で捕虜に行った処置ですよね」

「自分が何をしたのか理解出来ない連中だろうからなあ…」

 先を行く平坂は古めかしい一軒家で止まる。

 どうやら、此処が目的地らしい。

「さ。着きましたよ!」

「忠宗、裏口の確保だ。平坂はそのまま正面玄関を監視。逃走経路を塞いでおいてくれ」

「犯罪心理学者じゃぞ?まあ、念には念を入れてという殿の意向ならば従うが」

どんな事を言われるのか、またどんな人なのか。

 僕はまだ希望を何処かに残していた。

 もう、誕生日じゃないんだと。

 五月九日は命日なんだと。

 僕は認めたくなかったかのかもしれない。




「苦労をしたのと苦労をさせられたのではまるで意味が違う。前者はプラスに働く積立となるが後者は借金を返す行為に等しい。そういう意味では君のイジメによる自殺が君に齎した結果は経済的な打撃という意味ではハッキリと被害者であると定義しても良い。加害者はそんな事をしようとは思わなかったというかもしれない。けれどそれは結果論であって二元的に傷付けようとしたか否かで問えば傷付けようとしたんだ。今の君のように孤独になれ、不幸になれとハッキリとした明確な悪意と害意が君を被害者に仕立て上げた。私は犯罪心理学を専門とする立場から客観的に言おう。君は殺されたんだよ、徳川君」

 心理学者というからどんな老獪な学者先生かと思えばまだ若い。大学を卒業したばかりだと言われれば信じてしまうそうなぐらいといっても過言ではないし、別に過言であろうとなかろうと僕にとって彼がどんな人間なのかは少しも動かない。

 屋敷は貴族街には珍しく質素な佇まいでありながら掃除が行き届いている事を思わせるぐらいにはさっぱりとした印象だった。それは物が単純に少ないからという理由も存在したのだが。

 僕は座ってくれとの提案を断り、立ったままで彼に対峙する。いつでも飛び出し喉を掻っ捌く事が出来る距離で、敵でも味方でもない、ただの犯罪心理学を学ぶ者として話してみたいという彼に対峙した。

「君のような誹謗中傷やその後の経済活動に支障をきたす様なストレスを受けた者を直接的ではない被害を受けた犯罪被害者として二次被害者とも呼ぶのだけど。君の場合は直接被害を受けている所に追い打ちでそれがやって来たんだ。その結果が人格障害、いや、もう君の場合は人格破壊とでも呼んだ方が良いね。直接・間接を問わずに君は奪われ続けたんだ。そして奪われ無くした物を補完する為に今の君は生きている。傷付け奪ってしまった加害者が弁償したり賠償金を支払ったりして普通は罪を精算するものなのだけれど、君の場合はそれが無い。それどころか加害者は君が不幸になる様をまるでオペラでも楽しむかのようにしているね。自分で演出し自分で脚本を書いた舞台、罪の精算をしないのはその舞台が終わってしまうからだろう。扇動者、アジテーターが望むのは君の死じゃない。君の不幸だ。ならば何故君はその演出された不幸に従わなくてはならなかったのだろう?そんな勝手な舞台装置、作り上げた人間は全員刑務所にぶち込んでしまえるというのにだ」

 何故かを考える必要は無かった。

 それこそが僕の償いだからだ。

「君はこの一連の責め苦に耐える事を何かの贖罪としているようだが、それも違う。贖罪の期間、禊の時というのは意外な事に短いんだ。けれど君を殺した者は君の禊の期間が終わる事を望んでいない。つまり彼等は君の贖罪として死を望むを意味するね。君は聡明だ。それに気づいたからこそ君は何の躊躇もなく首を括った。君の自害には驚いた人間が多かっただろうが、しかし絶対に存在してはいけない人間も存在した。そう、『君の自殺を喜んだ人間』だ」

 ふむ。

 主犯核のキヨミンの事ではなさそうだ。少なくともキヨミンは焦っていた。

 ツーンと咎められた事に対して啖呵を切る者とも違う。

 喜んだ。

 喜んだ?

 加害者の中に在ってそんな事が在り得るのか?

 大人数で独りを嬲ってお祭り騒ぎがしたい連中で人殺しじゃねえぞ?

「うん。その思案顔はきっと何か疑問を抱いた顔だね。此処でこの前過ぎてしまったが何の日なのかを思い出してみると良い。五月九日、アイスクリームの日であり、ピッコロ大魔王の誕生日であり、そして君の誕生日でもあり、何より君の命日だ。君の誕生日を命日とするように計画的に仕込んでいた。それはあまりに言い逃れが難しい程の悪意。それはもう殺意と言い換えるべきだろうね。君の事が気に入らないから殺したんじゃなく、誰でも良いから苦しむ顔が見たいという残忍性が見受けられる。その事から君の死を喜ぶ者というのは幼少期に何か劣等感を覚えるような経験をしたんじゃないかな?」

 幼少期こそ犯罪係数を高める時期であると提唱したのも確か犯罪心理学者ではなかったか。

 親の離婚や親の不仲を物事も判らない時期に経験すると一般的には異性に確執するような人間性が出来上がるだったか如何だったか。逆に幼少期に高齢者に深く関わっていると素朴で世話好きな人間に育つという。欧米諸国が高齢のベビーシッターを雇う風習はそんな事にも裏づけされている。しかも人種の異なる者が好ましいらしい。だからこそベビーシッターという職業が難民受け入れの為の器となってしまい今じゃ幼児よりベビーシッターの方が多い町もあるのだとか。公共の電波などの発信媒体で『コレが良い』という固有名詞を出すのは頭の良いやり方じゃない。災害避難所のお年寄りがテレビの取材で「毛布が欲しいです」と呟いた結果、全国から大量に毛布ばかりが届いて結局は使い切れなかったなんて話も実際にある。善意は善意として尊ぶべきだが。本当に被害者の事を思うならば、どんなニーズがあるのかをしっかり調べてからの方が優しい。企業が公休扱いで社員をボランティアに参加させているという活動も今は多い。たとえ助けてというSOSだとしても情報を鵜呑みにすると危険だという話だ。

 僕はそれで自殺に追い込まれた。

 毛布をいつまでも大量に送っていたらそりゃ殺されるのも当然なんだが。

「幼少期の劣等感と言うと、自己崇拝の崩落でしょうか?」

「いや、自己崇拝が始まるのは試験結果で優劣が数字になって表れる少年期だ。もうちょっと簡単で単純な話だよ。家庭内だけで育っていた子供は保育園や幼稚園に預けられて自分と同年代の子供と初めて他者との比較を経験する。其処で自分がただ愛されるだけの存在じゃないと知るんだけど。まあ、それは良いんだ」

 僕は保育園に居る時、雲梯という遊具の遊び方が解らず上を歩いてバランス感覚を養う物であると信じていたものだ。当然落ちて泣くのだが、そんな僕を冷ややかな目で見て来た綺麗な保育士のお姉さんの事は忘れられない。「危ないって言っただろ、お前」みたいな眼。そんなモン、三歳児が理解出来る筈ねえだろと僕は初めて理不尽を体験する事になるのだが。

 一緒に遊んでも良い?と聞くとオモチャのブロック投げられたりな。

 急に遊戯場から僕以外の人が掃けたりな。

 結構、保育園とか幼稚園ってデューティーなリアリストの集まりだぜ?

 まあ女の子みたいな男の子が来たらそりゃ怖くなって逃げるんだけどな。

「君は独りぼっちで遊んでいた事は在るかい?」

「遊んでいた事があるかも何も…。今も独りぼっちで遊ぶ事が常ですけど…」

 オンラインゲームじゃ名指しで悪口。最近じゃそれがアイデンティティにさえなって来ている。だからこそ人に好かれやすい支援職を選ぶようになったのは秘密だ。

ロンリーウルフを気取りたいわけじゃないしアナーキストを気取りたいわけでもない。

 寂しいから仲間に入れて欲しいだけなのに。

 いっつもロンリーなアナーキー。

 きっと、僕のキャラクターネームが『為替市場・円安ドル高マン』なのが原因なのだろう。新聞の見出しでキャラクターネームを付けるのは僕の悪い癖だった。ちなみにサブキャラには『公定歩合・引き下げマン』と『ユーロ圏・経済不安マン』がいる。

 僕は経済面が好きなのである。

 ちなみに英国の狂牛病や中国の冷凍食品が問題視された時には勿論『輸入牛肉マン』と『冷凍食品マン』も作った。皆からコッチくんなと言われて寂しい思いをしたもんさ。その寂しい思いは現在進行系で続いているんだがね。

 見かけたら、仲良くしてやって下さい。

 最近は専ら『イベリコ・ブタゴリラ』って名前でネットゲームやってますので。

 見かけたら、仲良くしてやって下さい。

「普通、独りで遊んでいる子供は泣くだろう?」

「ええ。何度問いかけても手を振ってみても、助けてのサインを何人にも送ってみても、大抵は知らんぷりばかりが人間です。僕は四歳の時点で世界を憎んでいました」

 何で僕だけ独りぼっちなんだ。

 そう思わない日は無かった。

 いつの日か、「ならば、こんな僕にだけ優しくない世界は今すぐ滅びてしまえば良い」と考えて大好きな『桃太郎』の絵本を床に投げ出したまま、世界を滅ぼす手段としてその方法は料理だと確信した僕は『こまったさんシリーズ』を読むようになったのだが。

『こまったさん』で育ってきた。

 いつか、対談出来る日を望もう。

 ハンバーグに叩いた黒胡椒の実と鷹の爪、ソースにはほうれん草とシメジが良いですよ。

 そう、言ってやろう。

 殴られるかも知れねえけどな。

 少なくともスパイシーハンバーグは園児が喰うもんじゃねえ。

 乳製品であるバターを使ったソースが辛さを和らげますので、よければどうぞ。

「だけどね。一人で遊んでいて笑うんだ、そういう子供は。世界と自分が隔離されている。世界を自分が暮らす『領域』ではなく観賞対象である『景色』としてしか認識出来ない。犬が苛められていれば徳川君は激怒してその苛めていた子供を半殺しにするだろう。それは自分が暮らす同じ世界で悲しい事が起こる事を許せない優しさを持つからだ。しかしそうした人間はより自分が観賞する『景色』を楽しくする為に穏やかな湖面に一石を投じる事を悦としている。サイコパスって呼び名はこの度合いが行き過ぎたある種の特別枠なのだけれどね、そんな人間は驚くほどに多いんだ。なにせ生きる『領域』は普通の人間の枠内なのだからね」

「潜在的な犯罪者ってわけじゃないのか…」

「そう。《犯罪を犯罪であると認識したうえで如何にそれを乗り切るかを考える人間》。それを我々犯罪心理学者は『犯罪者的思考の持ち主』と呼んでいる。自分がつまらないからって騒ぎを起こしたがる人間だよ、そういう者は。犯罪を鬼ごっこだと考える人間だ」

「僕を自殺させた人間の中にもそんな嫌な奴がいるんですか?」

此処で先生は静かに微笑みながら僕に濃い珈琲を出してくれた。香りは過ぎる程に深いのにカップを満たす色は浅い。苦みを楽しむ種類じゃない。銘柄は僕や忠宗が好むスマトラマンデリンやトラジャか。

「神降ろしを起動すれば一発で解るだろう?」

 先生は笑ってそう言う。自分の考えている事が丸解りというのも不気味なもんだ。

「いや。神降ろしの起動はこの対談の強制終了を意味しますから…」

 マンデリンやトラジャにしてはツンとしないのは何故か。

 飲む前に銘柄を当ててこそ料理通として知られる者の矜恃。

 ふーむ。

「そう。君のように訓練された者は珈琲でさえ推理する。君はきっとこの珈琲をスマトラマンデリンかトラジャだと考えたのではないかな?カップの底が見える程の濃さなのに香りが部屋を満たす程のものであるからね。しかしね、答えはノーだ。これはインスタントだよ。今は香りと酸味を楽しむタイプが多く、甘党の私も助かっている」

「甘い物にはマンデリンってのが鉄板でしょうからね…」

「このメーカーさんはフェアトレードされた豆しか使わない豪気な方でね。国を弱い者いじめしないという意味ではフェアトレードというのはなかなかに考えられている方法だ。必死になって国を再興しようとしている方々に風評被害を視野に入れず品質の良さだけで評価するというのはなかなか出来る事じゃない。それが利益を上げる事を優先するビジネスマンなら尚更だ。徳川君は甘い物は平気だったかね?」

「生クリーム以外なら」

「なんと。洋菓子の王道そのものを否定すると?」

「生クリームの中に在る酸味が苦手でして。酢豚のパイナップルが嫌いなのもきっと同じ理屈なのでしょうけれど。甘い物というならばクッキーやカカオが多いチョコが好きです。準チョコレートは甘過ぎて食えませんけど…」

「チョコレートにこそブラックコーヒーだよ。知っているかな?大人になりブラックコーヒーを嗜むようになった者は喫煙する傾向にあるという。それはブラックの珈琲が鼻から抜ける芳香を楽しむ嗜好品であるという共通点からなのだろうね。逆に珈琲に味を付けたがる私のような人間は珈琲を食後のスイーツを食べる際に舌のリセットする為の飲み物であるとの認識である者が多い。実際は全然違うんだが」

「ランチをリセットして食後の余韻をゆっくりして貰う。それがユーロ圏の嗜みであるかと。だから欧州の人間は食事中に煙草を吸う人間が殆どいません」

「ラーメン食べて煙草吸って水飲んで仕事に戻るなんて忙しい人間は日本だけだよ。ランチタイムというのは、ゆっくりする為の時間なんだけどねえ」

「時は金なりの意味を履き違えている国ですからね…」

 その言葉に含まれてる価値全てを現金にすんな、日本人。

 どんだけ現金好きなんだ。

 ちなみに僕も嫌いじゃないけどな。

 生きる為に必要なお金が無いんだから嫌いになんかなれないさ!

「ちなみにお昼ご飯をどれだけ早く食べて煙草を吸う時間を確保するのか、これは世界的に見ても日本人が断トツで巧い。早食いスキルが社会人の文化として根付いている」

「だから四畳藩の老中だったって伝わる会津の侍は胃を壊してたのか…」

 世界観が交差して良い事無し。

 僕はすぐさま別の物語の主人公を脳内から消去した。消える際、ウェーブの長い髪が特徴的な綺麗な女性が侍の隣でずっとピースしていた。元気の良い美人な方は奥さんだろうか。侍は侍でタバコ吸ったままで「消すならワザワザ呼ぶな。あ、コッチの物語も宜しくな!」なんて夫婦揃ってピースをしながら消えて行った。

 侍は光に包まれ、奥方様は闇に飲み込まれ。

 彼等の時代へ消えて行った。

 確か、奥方様は自殺されているのだったか。

「さ。なら、良い機会だから彼等のような人間がこういう三時のティータイムに現れたと仮定して話を続けようか。彼等はね、他人を否定する事しか出来ないんだ。だから飲んでいる飲み物の銘柄であったり吸っているタバコの銘柄であったりをバカにする。そして自分は変わった事をすればそれで良いと思っている。此処でクエスチョンだ。私がここで述べた犯罪者的思考の持ち主の特徴には矛盾が発生する。何処か解るかい?」

「他人を否定したがるくせに他人と違う事をしようとする、でしょうね。本当に自分という生き方というか生き様が確立してしまっているような人間なら自分が好きな物を好きなようにしたらいい。しかしそれをしないで敢えて人々の興味の外を突くような選択をするというのであれば。_そうですね。人間をバカにしてはいますけど、人間嫌いじゃないのかもしれない」

 俺はお前と違うから。

 それを言いたがるような、そんな人物像が浮かび上がった。

「なら此処で心理学者の真似事だ。君は幼少期、祖父か祖母、どちらでもない御老体と一緒にいる事が多かったね?」

 どちらでもないに反応してしまう。

 顔の皮膚が、眉が、ピクンと反応してしまう。

 それを見逃す犯罪心理学者じゃない。

「そう。君は。近所の御老体と一緒にいる事が多かった。自宅で虐待があったのかな?君を少しでも多く自宅に帰さない様にとの配慮が見受けられる。徳川君が地域の老人の支援に力を入れているのはそうしたバックボーンが在るからなんだろう。そして君は虐待をされながらも優しさの中で必死に育ったからこそ、優しくなく浅慮な人間を許せない」

「まるで超能力者みたいですね」

「ホームズだってこれぐらいはやるだろう。科学者というのは証拠が大好きなんだ。たとえ、それが状況証拠にすぎないものであってもね。そして君は見た目とは裏腹に思慮深過ぎる。優し過ぎる。常に全体の動きというか流れを考えなくてはならないから積極的に自分を殺そうと自分の意見を言う機会をワザと見逃しているね?ああ、なるほど。君は自分が意見を述べる事によって決まりかけた案件がざわつく事を嫌う性質か。《だから、きみはいつも独りなのか》。そして鍛えるという行為を他人に見られる事を嫌うね?それは他者に攻撃性があると思われる事を忌避しているからじゃないかな?」

 まあ、正解。

 自分が気持ちよくなりたいから。

 その判断基準に噛み付いているだけなのだが。

 ワガママも過ぎれば人を殺す。

《若いんだから、しょうがないよね☆》

 それ。何が、しょうがないの?

 単に自分が遊びたかっただけだろ?

《德川はさー?》

 それ。他人に期待し過ぎじゃねえ?

 まず自分を見つめろよ。

 人殺しは黙れ。

 そして一生、申し訳なさそうにこうべを垂れて生きろ。

 まあそれは贖罪じゃなくて生き様で。

 贖罪とは、それとはまた別にある法的な物だが。

「そう。君は御両親共に死別している。君のその家庭的な振舞はそれが原因だね。だから珈琲よりカップの産地に気がいくんだろう?それはハワイの民芸品だ。ハワイの陶器は縁が厚くデザインがどんな料理とも喧嘩しない。これ良いでしょ!みたいな押し付けのデザインじゃないのが良いんだ。ホッコリするデザインが私は好きでね」

「先生はデザイン学も?」

「いや、これは単なる私の価値観の押しつけだよ」

「価値観の押し付けこそがデザインみたいなのは昔から在りますけど…」

「装飾が気に入らないのであればデコレートが気に喰わないというべきであって、アイテムのデザインが気に喰わないというのは荒唐無稽で本末転倒だ。私がダ・ヴィンチならば『よし、デザインを頼んでおいてデザインが気にくわないとはなんたる無礼な!えーい、水没させてやる!水の都にしてやる!』ぐらいは憤慨すると思うけど?」

「ダ・ヴィンチ、絶対そんな面白人間じゃねえ…」

 水の都は嫌がらせによって出来た。

 そんなのは認められない。

 食べ物も美味いし、気さくな方々が住んでるし、美人が多いし。

 ま、その美人ってのが殆ど人妻なんだけど。

 そんな事を言うと平坂は「流石情熱の国ですね!」なんて言うのだが、

 情熱の国はスペイン。そもそもヴェネツィアはイタリアの都市である。

 デザイン学的にいえば、現代における主要水道をワザと浮き上がらせただけに過ぎない。

 それがムチャクチャ利便性が良かっただけなのだが。

 諸説ある。

 ちなみに後ろ漕ぎがとんでもねえ、可愛い純粋な女の子は未確認。

 あらあらうふふが魅力な、凄腕おっとり先輩も未確認。

 件のあのカンパニー、地球支部は無い模様。

 僕としては社長を誘拐出来れば、それで良いんだが。


_水の都です。

_話題は。


「全てのジャンルにおいてデザイン力があるというのは魅力的だがね」

「それでも人をデザインする事は無かった…」

「お弟子さんだね」

「しかし天才は天才を知ります。共感覚というか、共有意識で」

「類は友を呼ぶ。出来る者の友人が少ないのはこれに起因する」

「出来る人間が単に嫌われ者である事が多いってだけでしょうけど…」

 出来るとは何か?

 沢山お金を稼ぐ人?

 否。

 沢山の人の命を救う人だ。

 しかしそうした者はプライドが高く他人を見下す事がしばしばある。

 僕は厚いカップを手にして満たされた液体を口に運ぶ。インスタントとは思えない香りが身体中に満たされていく感覚。放課後の気だるげな気持ちが引き締まる。それはきっと珈琲が美味しいからではなく先生が持つ雰囲気がそうさせるのだろう。

「ふむ。そして君はその場の雰囲気で何となく物事を進めてしまう事が多いね。本音を言うという事を恐れている。それは大人数に人格を否定された事に起因しているのかな。対人関係とはこれまでの傷付いた経験則から傷付かないような自己の在り方、外的要因に対して自分を守る為の仮面、所謂ペルソナを形成していくものだけどね。君の場合は傷付いた経験の傷が心臓まで達している。なんせ自殺させられているんだからね」

「心臓というか、脳味噌なんでしょうね…。僕は確かに自分の意見を言うという事が比喩表現無しに苦痛で仕方ありません。胸の辺りが裂かれるような思いというか」

「重篤患者なんだよ、徳川君は。犯罪被害者が自殺するというのは我々のような法に携わる人間からすれば『負け』そのものだ。そうならないようにと動くのが我々なのだからね。しかし徳川君を自殺させたからといって、それが『勝ち』にはならない。ああ、今のは『勝ち』と『価値』をかけてみた」

「駄洒落も挟んできますか…」

「言葉遊びだよ。そもそも駄菓子の駄というのはお駄賃の駄だと言われている。ならば駄洒落というのはお駄賃で買えるような安い洒落という意味なのだろう。しかし言葉遊びと駄洒落はまた異なるものさ。ラップの作詞も韻を踏む事が重要だろう?」

「ラップで授業とかされたら最高ですけどね…」

 生徒だけ迷惑というか困惑するだろう。

 先生の自己満足に付き合わされるのだから。

「まあ君の場合は親からの虐待という重要な要素もあるからね。一概にイジメによる自殺だけが原因で狂ったわけじゃないのだろう。狂うべくして狂わされた。壊されるべくして壊された、ならば君がこれからやらなくてはならない役割とは何か?」

「人は知らずして役割を与えられるってやつですか?」

 与えられるというか縛られる。

 全ての不幸は自分が何かを為すべき為の準備だという、悲しい事を沢山経験した人間は大きな事を為し遂げるのだとかいう俗説だが。

「君の役割とは加害者に復讐する事じゃない。それとはまた別に、『イジメ』や『虐待』という他人の気持ちを考えない人間を変えてしまうような大きな事を為すのかも知れない。君が犯罪者に成った場合も同様だ。君はチンケな殺しで捕まる様な程に軽い傷を抱えていない。国家を揺るがすような政治犯、もしくはシリアルキラーだろうね。まあそういう特別枠の人間は魚が死んだような眼をした濁った双眸を持つ事が多いんだが。徳川君の場合は眼に力がある」

「瞳の色が琥珀色だから、光の加減でそう見えるだけなのでは?」

 意外と東北の人間にとっては珍しい事ではない琥珀色の眼。

 これは荒吐族の血統である為らしい。光が当たると透き通るような色になるのは僕だけじゃなく旧市街住まいの人間は殆どそうだ。狼の眼と呼ばれる事から大神の眼とも当て字され縁起が良いと言われるが、その縁起がいい眼を持つ筈の僕は自殺歴が付いてお先真っ暗。

 さよなら。

 おやすみ。

 それは言われる方にとって同じ意味である。

 だから僕はおやすみを言われる事が嫌いだった。

 何の話か?

 こんな僕にも在った、初恋のお話だ。

 こんな僕にも在った、自殺のお話だ。

 この縁起が良い筈の眼を刳り貫こうとした事だってある。事実、そうしたのだが、神降ろしの命の固定は僕に自殺を許さなかった。

 嬉しくて涙が出る程に。

 神降ろしってのは僕を死なせてくれない。

「眼の力というのは他人が感じるものだよ。雰囲気といっても良いかも知れない。君の眼の力は他人を威嚇し威圧する類の物じゃない。寧ろ君の周囲の人間をシャキッとさせるような風格が滲み出ている。それは恐らく、生徒会長という経験が君の雰囲気を変えたのだろうね。本来の君は素朴で真っ直ぐで悪ふざけが好きなだけのお人好しだろう。だが君が自殺をキッカケに変化したのとはまた別の変化も君には起こっている。自殺による変化を『変質』といい、経験による変化を『成長』と呼ぶ。生徒会長は大変だけど良い経験だよ。平坂博士は君に良い立場を与えになったのだねえ…」

「アクの強い人間ばかりで困るのが毎日ですけどね…」

「有事の際に機能する人間というのは平時の際は異端にみえるものさ」

「そういうものでしょうか…」

 二杯目の珈琲が注がれる。これは挽いた豆から抽出したものだとすぐに解った。

 立ち昇る香りが壁に反射するからだ。インスタントにこの反射する程に強い香りは無い。

「それに君の料理の腕はプロ級らしいじゃないか。これはプロファイリングではなく風の噂で聞いた話なのだが、君は和食と洋食、そしてユーロ圏の料理ならば大抵おいしく作る事が出来るらしいね。これから段々と暑くなっていくだろう。ならば徳川君、君はどんな料理を作って暑さを乗り切ろうと考えているんだい?」

「えっと、そうですね。冷やし中華が定番でしょうし、正直冷やし中華以外思い浮かばないんですけど。きっと僕ならば生野菜を多く入れた冷やし中華を作るんじゃないでしょうか?市販の冷やし中華にオリーブオイルを垂らして粗挽きの黒胡椒をムチャクチャ強めに振ってパンチを効かせて、細切りにした大根と人参とスライスしたトマト、其処にニンニクと塩胡椒と豆板醤でカリカリに炒めた豚挽肉と半熟卵を乗せて、レモンを搾ってどうぞと。オリーブオイルと黒胡椒が入っているので仕上げに粉チーズやアボガドソースを使っても美味しくなるでしょう。野菜を多く子供に食べさせたいと思う親も多いでしょうし、これならば食べやすいので」

「ふむ。噂に違わぬ料理の腕だね。君達幕府が強い絆で結ばれているのも君の料理で胃袋を掴んでいるからかもしれないな。では冷やし中華ではなく、私が好きな焼きそばだった場合はどうするかね?」

「えっと、そうですね。シーフードミックスを使った海鮮焼きそばになるんですけど。暑い時にこそ辛い物を食べるのが良いでしょうから。シーフードミックスを日本酒で臭み取りして普通に海鮮焼きそばを作ったら、其処にタマネギとモヤシとニンニクの芽を胡麻油と山椒と豆板醤とピーナッツバターで甘辛く炒めたものと和えて、最後に砕いたピーナッツとカシューナッツを振りかけて食べるようなアジアンテイストな屋台料理風にすれば良いでしょう。暑い時は東南アジア諸国の料理が喜ばれますから」

「…そのアジアン屋台風焼きそばのポイントは何処になるのかな?」

「冷蔵庫に余りがちな豆板醤とピーナッツバターをフライパンで熱して作るソースを辛味が際立つように作る事でしょうか。甘さが勝たずに辛味が勝つぐらいで調整すると夏場の暑い時にガッと来る味になります。担担麺もそのソースを使えば簡単に出来ますから」

「…何処でそんな料理を学んで来たんだい?徳川君、本気でプロ級じゃないか…」

「アチコチです」

 こうした話術を曲学阿世というのか?

 詳しいことを話す気にはまだなれない。

 なんとなく。

 この先生が持つ雰囲気は学者というよりも。

 意地悪なバイトの面接官に近いと感じたからだった。

 そして。

 なんとなく、で。

 身構えるには、充分過ぎるほどの理由だろう。


 此処で、学者さんの表情が引き締まる。

 此処からが本題という事らしい。

 寧ろ今までが前置きだったのか。

 だとすれば、随分と長い前置きだ。

 恐らく、僕が警戒を解くまで前置きを続けたというのが正しい。

 解いちゃいないが。

 少なくとも会話する姿勢にはなっていた。


「さて。本題だ。犯罪者的思考の持ち主だけどね。私の見立てでは君を自殺に追い込んだ一派の中に三人存在している。一人は男性、自己肯定と自分の正当化を謀るために周囲に攻撃的になってしまったような幼い部分が見受けられる。幼少期、厳格なお父さんから厳しく育てられたのか、それともお母さんがスパルタだったのか、元々徳川君の友人だった可能性が高いね。もしかしたら初めは徳川君を助けようとしていたのかもしれない。頭の良い子だ。犯罪者的思考の持ち主であっても根っこは善人だろう。彼の事は許してあげれば良い。それほど深い罪も無いだろうからね」

「誰だ?そもそも僕の友人に頭の良い奴なんか居たか?」

 バカしかいねえ。

 類は友を呼ぶである。

「二人目。これは女性だね。うん、幼少期に深い孤独を味わったのだろう。他人に依存する傾向が強いね。生い立ちで女性の人生が決まると本気で考えているような程に家族を忌み嫌っている事が伝わる。自立したいけどまだ親の庇護無しでは生きられない事を悔しく思っている。男性を恋愛対象ではなく自身を救済してくれる存在だと考えている節がありそうな子だね。そして救ってくれた者に対する感謝の念が希薄な子だ。成程、男性と多く時間を共有して来たから自分で考える事を放棄してしまっているのかな?だけど一人目の彼と同じく犯罪者的思考の持ち主であっても基本的には優しい無害な子だ。優し過ぎたからこそ孤独に耐えられなかったのだろう。許してあげなさい。孤独は人を強くするが、強過ぎる孤独は人を壊す事もある」

「僕が救おうとした彼女の事でしょうね…」

 孤独過ぎて、自分が何処にいるのか判らなくなった彼女。

 辛かったねと終ぞ伝える事が出来なかった彼女。

 自分だけで世界が完全に閉じていた彼女。

 救えなくて申し訳ない。

「そして問題は三人目だ。この子も女性だけど、女が腐ったような感情を徳川君に向けている。ふむ、小さな頃に容姿をバカにされた経験でもあるのかな。幼少期、そうだね、男性から酷く苛められていた経験があるのかもしれないね。だからまるでお姫様扱いをされるのが好きな子に育ったんだろう。理想と現実のギャップに悩みつつ、そして自分の無力さに絶望しつつ、全ての嫌な事を君への攻撃衝動と変えているような、うん、『少女』だ。背伸びのまま生きていればいつかその背伸びに追いつくと勘違いをしている節も見受けられる。個性を押し出す事こそが自分を認めて貰える唯一の手段と信じて日々努力しているね。だが、だからこそ君のような不真面目で優柔不断なのに優秀な人間が許せない」

「ちょっと、待ってください。加害者についてはなんの情報も無い筈なんですよ?流石に其処まで見透かすような事が出来るわけがない」

 こんな事は警察関係ならば誰でも出来る技術ではあったが。

 しかし、これ以上の見透かしはただの暴力だ。

 彼女が問題だとしても。

 彼女が主犯だとしても。

「見透かす?いいや、見下してるんだ。人一人の人生を滅茶苦茶にしておきながら自分は幸せになろうとしている犯罪者をね。問題の三人目の女の子、恐らくは徳川君の自殺未遂で満足なんかしちゃいない。その女の子、《それを知っている筈だ》。五月九日が何を意味するのかを知っている筈だ。徳川君が死んだ事を喜び、徳川君が活躍し始めた事を疎ましく思うような、そんな犯罪者的思考の持ち主だ。私が君を此処に呼んだのは『この三人目の彼女について気を付けなさい』と言う為であるのだから」

「五月九日がどういう日なのかを知っている?んじゃ知っていたら、『三人目の彼女』ってのはどう行動するってんだ…?」

 動きの先読み。

 これも犯罪心理学の分野である。

 他人の思考をトレースする事が自分に齎す恩恵は大きい。

 コツはやはり、もしも自分ならばどう考えるかに尽きる。

「逃げるか隠れるというのが一般的なまだ普通の人間として活動出来る範囲の犯罪者的思考の持ち主なのだろうから其処は大目にみるのが人情だろうけど。彼女はサイコパスギリギリだ。自分が男性を自殺に追い込んだ事を戦いの勝者であるという自己肯定に結び付けている可能性が高い。幼少期に男の子から苛められた女の子はね、成長してから男性そのものを攻撃対象として看做すんだ。此処まで言えば徳川君なら理解出来るんじゃないか?」

 出来るか。

 僕はポワロじゃねえ。

「怖がるんでしょうか…?」

「いいや、逆だよ。その日こそ自分が男性に勝った日であると勝ち誇る。五月九日は自分が徳川康平に勝利した、男性に苛められていた自分が男性に勝利した日であると記念日にするぐらいは思うのだろうね。普通は悲しい過去というのは優しさに転化するものだけれど、心の変換機がショートしてしまう程に悲しみを背負うと他者に対して攻撃的になるものなんだ。痛みは優しさにならず痛みのまま外に発信される事となる」

 まさか。

 いや、確かにその考え方は犯罪係数の高い人間のものだけど。

「君だってそうだろう?君は自分を殺した人間を殺しているんだから」

「たまたま任務で加害者が別の事件の犯人だったといっても、結果として僕が加害者を殺してるんですからそうなんでしょうね」

 誰かを傷付ける事で自己の存在を確認し、誰かを傷付ける事で高揚感を得るような人間。

 それはもう人間というか別の何かのように思えた。

 確かに先生が言う通り、悲しい経験は自分を優しくする。

 ならば優しくない人間というのは?

 人殺してニコニコ笑ってるような人間というのは?

「信念を信仰に換えて肉体を強化する秘術が君達のような被害者を神人へと変えた。あの時、あの場所へ戻りたいと思わない人間は居ない。後悔こそが人を支えるのは昔から変わらない。だけど君の場合は如何なんだろうか?たとえ孤独に苦しむ彼女を助けなかったとしてもまた別の誰かを助けようとして自殺に追い込まれていたのではないだろうか。何故ならば君は自己犠牲こそ公的に生きる人間の生き方であると摺り込まれてしまっている。眼の前で誰かが傷付くのを許せないというその優しさに裏付けされた過ぎた自己犠牲精神が自殺を誘発してしまったんだ。ならば徳川君という一個存在に対して自殺に追い込む加害者というのはどの選択肢を選んでも現れるような気がする。そしてその人物というのは、結局のところ、『三人目の少女』であるような予感がするんだよ」

「僕という存在へのアンチテーゼ…?」

「どうだろうね。私も大神降ろし事件の全容を知っている訳じゃないから何とも言えないが。少なくとも女が腐ったような感情をぶつけるような人間が徳川君のように訓練された正義の味方には鬼門となるってのは、まず警察組織そのものが昔っからそうだしね」

「ヒステリーに弱いですからね、お巡りさんは…」

 ミステリーに強い敏腕刑事でも、女性のヒステリーには弱い。

 事件解決に必要な能力と暴れ馬を制御する能力は別物という事だろう。

 暴れ馬じゃねえか。

 壊れた機械みたいなもんか。

「だからこそだよ」

「なにが、だからこそなんですか?」

 つい、攻撃的な口調になってしまった僕。

 此処に来てこの呼び出しの意味を理解したからだ。

 学者先生が攻撃したかったのは僕じゃない。

 僕を自殺させた彼等こそだった。

 気を引き締めろ。

 僕の気の緩みが『彼等』を殺す。

「何度も言うように五月九日。君の自殺した日だ。既に君の誕生日という意味合いは薄まり世間では君が自殺させられた日であるとして認識されてしまっている。『人が自殺しやすい』日を君は作り出してしまったんだ。そしてそれと同時に君は祟りが発生しやすい特別な日にしてしまったんだ。警戒するに越した事は無い」

「誕生日なんですけど…」

 それはきっと関係する人間の絶対値によって違うのだ。僕と直接面識のある友人や知人ならば五月九日は誕生日であろうが僕と直接面識のない人間にとって今日は大神降ろし事件が起きた日でしかない。徳川康平という個人を祝福する必要のない人間の方がこの世には多いのだからそれは致し方ないと言えばそれまでなのだが。

 二元論というか二極論というか。産まれた日なのか、死んだ日なのか。

 ならば始発駅と終着駅が同じだから僕はメビウスの輪をグルグルと回るしかないのか。

他人の一方的な言い分によって人生が狂った人間はその狂わせた人間を憎むしか出来ない檻の中でハムスターのようにカラカラと走るしかなくなるというのは結構昔に犯罪心理学者が提唱した犯罪被害者の陥る精神の牢獄、『閉じた未来』らしい。負の思念しか産まれない牢獄。それは祟り発生器と何が違うのだろうか。太古の昔、意図的に、または試験的にその牢獄を作り出した神官はそれを『ヒンノムの火の祭壇』などと呼んでいたが。確かモロクであっても集めた負の思念を如何にか出来てはいない。

 確かに五月九日はそういう意味では『火の祭壇』としての機能を持ってしまったのか。

 しかし生贄であった僕は不在。しかし負の思念は集まり易くなってしまった。

 僕は仏教徒だからそういう魔術関連方面の知識は殆ど無いし、少しばかり持ち合わせが在る知識もお姫様の受け売りでしかない。

 魔術なんか使えないし、信仰を用いた奇跡を使っても死者が蘇る事も無い。

 神様は僕等に神降ろしとして自らの一部を分け与える事を許してくれたが。

 神様は負の思念にさえも祟りとして具現化出来る奇跡をお与えになった。

 お役所仕事。神様の事をシステムでしかないと表現したのは誰だったか。

 公務員は融通を利かせてこそだろうに…。

 それとも地方公務員と国家公務員じゃ在り方が違うのだろうか。

「私の仮定は加害者として君を殺した子供を定義しているからあまり褒められた話ではないが。しかし気を付けなさい。君はアイドル的なカリスマ性こそないが王としてのカリスマ性を生徒会長という経験をして持ってしまった。その王がイジメを苦にして自殺していたとなれば人々はまず間違いなく加害者を狩ろうとするだろう」

「加害者狩り…」

 魔女狩りでも異教徒狩りでもない、弔い合戦の意味を持つ殲滅戦。

 あれ?じゃあ危ないのはコッチ側じゃなく、向こう側なんじゃないか?

「気付いたようだね。だから気を付けなさいと私は言ったんだよ」

「五月九日、危険なのは僕に与する人間じゃなく_。」


「そう。君を殺した人間。所謂、加害者の命が危ない」

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