第5話 はじまりはじまり
◇
さて生徒会室にお話は戻って。
幕府三人娘が僕の家での夕餉に来るという準備が出来たらしいので僕は平坂と合流する為に待機、食材を買いに行くという忠宗と別れる。どうやら忠宗は鍋にするつもりのようでバイト先で婿入り先でもある加藤精肉店に何やら電話で用件を伝えていた。
あ、忠宗とキヨミンは付き合ってますのでね。
キヨミンに惚れるのは勝手だけど。
忠宗に惚れたら僕がヤキモチ妬きますんでね。
「十兵衛も来れば良かったんじゃがな?」
「部長は肝臓が大変な事になったから来ない。つーかメインヒロインの平坂が部長の強烈な個性に喰われそうだから、なるべく部長の登場の機会は無い方が良い」
「噂通り母乳は出たか?」
「出てたまるか。面白人間ではあるけどびっくり人間じゃない」
それに僕の家のような零細剣術道場ではなく部長の実家はムチャクチャ大きな剣術道場の一人娘さんという事情もあるのであまり僕の家に呼ぶ事は避けたかった。可愛い見た目に大きなオッパイというだけで人気が出そうなのにあの通りの面白キャラなので本気で幕府メンバーの存在が薄くなりかねない。
「ただいまぁー♪」
「此処は生徒会室でお前ん家じゃねえ」
「ヒーラーが戻ったか。では先に行っておるんじゃ。ワシ等も後で合流する」
生徒会に来た私服の平坂と合流し、代わりに忠宗がバディから外れる。同時に神降ろしが自動起動。バディを意味するアイコンから自信に満ちた笑みを浮かべる忠宗の顔が消え、代わりに平坂の元気いっぱいに笑う顔が表示された。
「ではな殿。ジウジアーロ」
「後でな、エンデューロ」
忠宗が帰宅したので僕も平坂を連れて自宅に帰る事にした。過去は時計塔であった本丸特別棟入口に鍵をかけ、特別棟を施錠。なるべく私服のお姫様を生徒の眼に触れないように気を付けながら僕等は本丸裏口から下校を開始する。
いつもながら平坂の私服は白シャツに黒のパンツルックのシックな装い。
清楚で良い感じ。
僕は籠釣瓶の鍔鳴りを疎ましく思いつつ、綺麗なお姫様を守るナイトのようにコッソリと裏門から下校する。ナイトの内藤さんのようにコッソリと下校する。
「私、男の人の家にお泊りって初めてですぅ♪」
「僕の家ってか、もうあの家は近所の友人が勝手に寝泊まりする民宿みたいなモンなんだ。僕は自分の部屋以外使う事が無いし、兄貴も来て貰って助かるばかりだって言ってるし」
「そして会長さんのオウチの天然温泉を引いているという檜風呂ですよ。もうあれですよ?私、会長さんの家に行くっていうか気持ち的には温泉旅館に泊まる感じで準備して来てますからね。ちなみに温泉の効能はなんなんです?」
「皮膚病と切り傷だの擦り傷だのに効果があるらしい。汗疹にも効くから近所の子供がよく来るんだ。元々爺ちゃんが道楽で建てた家だから無駄に広い」
「幕府の本質的な基地は会長さんのお家ですよね。生徒会室は前線基地であって」
「道場に併設された合宿所に寝泊まりする事を前提に考えると祟りに対する詰所として機能は出来るかもな。僕ん家の鍵なんか伝統工芸科の連中全員が持ってるんだし」
「え。泥棒入られたらどうするんです?」
「入られても盗られる物が無い」
「だって危ないじゃないです?」
「物盗りは生活に困ってる。なら腕の一本でも叩き折ってから相談に乗るのがサムライだ」
「あ、ちゃんと腕は折るんですね」
「完全な私利私欲で遊ぶ金欲しさとかだったら斬り飛ばすけど」
犯罪者の大半が生活に困窮しているからだとは既に学んだ。
ならば折檻の意味合いを込めた峰打ちを行った後に相談に乗るのが警察官であろう。
伝統工芸科の連中が泥棒に来る事はまず無いが。
伝統工芸科ではないけど。
僕の物を欲しがる奴はいた。
僕の命を欲しがる奴はいた。
今このときだって。
そいつは僕に対する反目を名目にして、仲間を集めようかと算段しているに違いないのだ。
僕の自殺は。
そういう類の《犯罪》なのだ。
◇
「ただいま」
「ただいまぁー♪」
「ここはお前ん家じゃねえ」
「えへへー」
真っ暗な玄関の明かりを点けると、小さな豆柴が廊下をダッシュしてやって来た。
愛犬の茶太郎である。
「ほわああ!はわわわ!可愛い!可愛いです!なんです、このラブリー度合い!」
「ただいま、茶太郎」
「ワフ」
離れで暮らす居候のお師匠から餌を食べさせて貰ったのだろう。非常にご満悦な我が家の愛犬は突然の来客にも動じずに尻尾を振っている。僕は刀帯から日本刀を外して玄関脇の飾り棚に掛けた。お客様である平坂は靴を脱ぐと茶太郎を追いかけて行ってしまった。日本家屋の我が家はドタドタと走られると家全体が揺れるのだが、茶太郎もどうやら遊び相手が出来たと喜んでいるよう。
豆柴を追いかけて走り回る現世の太陽神。
なんとも長閑で呑気な話だった。
「今日も長い一日だったなあ…」
心温まるのが自宅であるはずなのに、僕はこの家に帰ってくるとどうしても底冷えを感じてしまう。警察官の兄貴は当然職員の集合住宅に入居している。今のこの家の家長は僕。この広い日本家屋に一人きりで暮らす事は、嫌でも自分を見つめ直してしまう。
対比する対象が無いから。
比較する対象が犬しかいないから。
だから、昨日の自分より今日の自分は良い表情をしていたのか。昨日の自分より今日の自分は誰かに優しく出来たのか。そんな意味もない事を深く深く考え込んでしまうのだった。
一人になると、独りである現実を見なくちゃならない。師匠や忠宗はそんな僕を心配してくれているけれど、心の奥底にある底冷えが無くなる事は無かった。父も母も、もう帰って来ない事を痛感するからだ。母親は僕の自殺が原因で死んだのだから。
心の底冷えは無くなる事は無い。
郵便の差し入れ口に溜まりに溜まっていた読む事も忘れていた何日か分の新聞の見出しを見ると、政府指定の実験都市で起こった大きな事件は全国区のニュースでも大きく取り上げられているようで、これから先、報道関係者が新遠野市に入って来る事はまず間違いない。報道規制を敷くにも新遠野市は一枚岩じゃない。書類申請だの書類承認だのの手続きでモタモタしているうちに入り込まれるのが関の山だ。
「もう男子高校生の考える事じゃないよな…」
実験機関である平坂信条館の生徒会長である事が、僕をドンドン老けさせていく。
やりたくてやってる役職じゃないというのに。
頼まれた事だからやってるだけなのに。
「はいはいワシじゃぞー?殿の相棒、忠宗じゃぞー?」
両手にパンパンに膨れた買い物袋をぶら下げてやって来たのは相棒の忠宗。坊主頭の巨漢が革ジャンにエプロンを着けてニコニコしている様子には殺意さえ覚えた。
「茶太郎―?また肉持って来てやったわよー?」
忠宗に続いてやって来たのは全身を紫色のジャージでコーディネートしたチンピラ姉ちゃん。虎の刺繍がおっかない存在感溢れる衣服を身に纏う彼女はスラリとした手足と張り出すヘチマ型のオッパイが特徴のキヨミンだった。
「康平君の家…。久しぶり…」
更に全身をカジキマグロの着ぐるみでコーディネートした無口っ子がやって来た。実家の鮮魚店からの御土産なのだろう、お刺身の詰め合わせを手にカズホッチも到着。
明らかにカズホッチだけが浮いている。
僕は問いたださずにはいられなかった。
「カズホッチ。なんなの?その鮮度の良さそうなカジキマグロ」
「…部屋着……」
魚屋さんだから、ああいった着ぐるみも用意されてるのだろうか?無表情な美少女に着ぐるみは良く似合う。着ぐるみは似合えば良いって服装じゃないけど。兎に角、幕府主要メンバーが僕の家に勢揃い。
本当に久しぶりな事だった。
多分、小学生以来じゃないだろうか?
近所の幼馴染全員が同じ高校に進学して、同じ時間を過ごしていると言う奇跡に感謝。
やがて困った表情の豆柴を抱っこしたまま、お姫様が茶の間にやって来る。
「おお!皆さん、勢ぞろいですね!」
「ヒーラーの私服、思ってたよりもシンプルね…」
「…可も無く不可も無く…。優等生ファッション…」
「いや、お主等が強烈過ぎるんじゃとワシは思うが…?」
「虎の刺繍が映えるチンピラと、無表情なカジキマグロだからな…」
家の茶の間は、混沌としていた。キヨミンはさも当然の如く、まるで常にそうしているかの如く。ごく自然な動きで台所から兄貴の日本酒を手にしてドカッと胡座をかいて手酌で飲み出す。気が付くと日本酒のストックが無くなっている犯人は、どうやらこのチンピラらしかった。
「あ~、霊力補給にはポン酒が一番よねえ。部活の後の一杯はキクわ~」
「おいチンピラ。なんで兄貴が酒を隠す場所を知ってる?」
忠宗はさも当然の如く、まるで徳川家台所のヌシの如く。ごく自然な動きで調理を開始する。何処に何が入っているかを熟知しているあの動き。毎朝、僕にも食べやすいような軽めの朝ご飯が茶の間に用意されているという奇跡を起こしていたのは、どうやら妖精さんではなく彼の仕業だったようだ。
「殿には精を付けて貰わんといかんからな。少量でも栄養の高い豆乳鍋にするぞい?」
「ほんっと、いつもありがとね!忠宗って最高のお嫁さんだ!」
カズホッチは当然の如く。まるで徳川家の貴重品が何処にあるのかを知っているかの如く。ごく自然な動きで実印と貯金通帳を手に駆け出した。僕は逃げるカジキマグロの尻尾を掴み捕獲。ビチビチと活きの良いカジキマグロに馬乗りになる。
「おいカジキ。強盗するなら、もっと上手くやれ」
「…バレちゃった…」
頬を染め、恥ずかしがるカズホッチ。
「その照れって感じ、すっごい可愛いよ?でもやってる事は犯罪だからな?」
「…無念…」
驚いていると言うか、一人だけ取り残されている様な感じで放心していたのはお姫様。
「ほえ~。皆、徳川家の事、熟知してるんですねえ…」
「まあ、ちょくちょくタダ酒飲みに来てるしね」
「ワシは毎日、朝食作りに来てるしのう」
「…毎日、カメラで監視してる…」
「はい。この中に犯罪者が二人いまーす。ポイントはどちらも僕が被害者だという事な!」
でも。
でも。
なんで、僕を一人にしないかを知っているから。
キヨミンがタダ酒を飲みに来るのも。
忠宗が朝食を作りに来るのも。
カズホッチがカメラで監視しているのも。
全ては、僕を一人にしない為。
一人になれば、僕はいつ死んだっておかしくなかった。
大神降ろし事件の爆心地に一番近かった。それが幕府役員の彼等の共通の心の傷。
繋がっていたはずだった。僕等は、友情と言う名の一つの絆で。
それを僕が切り裂き。今は、その鋏が僕等を繋いでいる。
切り裂くはずの鋏が、僕達を繋ぐ絆となっている。
今、僕等はトラウマと言う名の鎖で繋がっている。
だからこそ、僕が頑張らなくちゃならない。
これ以上、僕の不幸に皆を巻き込まない為にも。
これ以上、僕の孤独に皆を巻き込まない為にも。
ダメだな、僕は。誰かの優しさに触れるとすぐに自分の不幸に逃げてしまう。僕が不幸だからこそ、優しくしてくれるんだなんて。そんな自分勝手な事を考えてしまう。
誰かの優しさは、誰かの考えがあっての物で。拒めば拒むほどに、礼を失すると言うのに。
底冷えを感じていた僕にとって、この心地良さは暖炉のような物だ。温かく、優しくて。
無くなった時、寒さを如実に感じるから。
「オラ!なに不景気なツラしてんのよ!兄ちゃん、ちっくと付き合え付き合え!」
「キヨミン。もうオッサン化してるのか…」
「私も付き合いますよ!」
「…私も…」
エプロン姿の魔人が茶の間に首だけ出して言う。
「ご注文はなんじゃ?」
「あ、じゃあヌル癇で。御神酒、まあ日本酒は〈クロウ〉も喜ぶし…」
「私は会長さんと一緒で!」
「…私は冷酒で…」
未成年の宴となった鍋パーリー。絶対に飲んじゃいけないとは思うが、御神酒に限りヤオロズネットと交信した人間、つまり神人は飲酒を認められている。それにサムライは十五歳で元服する。大人になる。なら、問題は無いはず。
「おつまみは何が良いかのう?」
「私は枝豆の冷や奴が良いです!むっふっふ。初めての飲酒体験です!これは私の記憶に刻み込むべき瞬間ですよ!グフヒヒヒヒ、ヌフハハハハハハ」
「…私はクジラの竜田揚げで…。イカワタのホイル焼も欲しいかな…」
「カズホッチ、また通なモンを注文するよな…」
「アタシは美味しく飲めるんなら何でもいいわよ!」
「任せるんじゃ。鍋ももうすぐ出来るぞい!」
霊力補給とは言え、未成年の飲酒はダメだと言うべきなんだろうが。無粋だろうか。ここで常識を振りかざすのは。誰かが楽しい時に楽しくなくなるような事を言うのは。
「殿、つまみは要らんか?」
「春は桜を見て飲むから、僕は要らない」
「殿、ハイカラさんじゃもんな」
「夜桜、綺麗だし」
僕の家から見える川辺の桜は月の光に妖しく輝く。桜は、嫌いだ。どうしたって大神降ろしを思い出す。
大神降ろし事件のあった時、満開の桜が散るさまを幻覚としてみたと言う。
その桜の花びらを見た思春期の者は否応なく神降ろしをしてしまった。
本来、心の傷と言うのは個人の宝物であるはずなのに。
僕の傷に、僕の不幸に。否応なく巻き込んでしまった。
満開の桜には死体が埋まる。
僕の場合は、自分の死体なんだろうな。
だけど、どの桜の木に埋まってるのかも解からないポンコツだ、僕は。
「あいよ。ヌル癇二つ、お待ちじゃ!」
「おお!これが冷酒と熱燗の間のヌル癇!〈アマテラス〉の霊力がこれ以上膨らんだら、本当にどうしましょうか!世界征服でもしましょうか!」
「ごめん、忠宗にばかり料理させちゃって」
「そういう時は『ごめん』じゃなくて『ありがとう』じゃぞ?殿」
「うん。ありがとう、忠宗」
「ありがとーです!」
「そして山内には冷酒じゃ!飲み易いが飲み過ぎぬようにな!」
「…うん……」
誰にも調子を合わせる事無く、僕は独り夜桜で御神酒を飲んだ。
不味い。
元服すれば酒の味が分かるらしいが、僕には全然解らない。ただ、酒を飲んで夜桜の美しさが僕の中に入りやすくなったのかとは思う。その妖しさが僕と同期しやすくなるのかなとは思う。
僕の自殺の象徴。
大神降ろし。
ヤオロズネットの基礎概念、その変異体である桜の幻影。
ズズズと、日本酒を飲みながら。僕は思う。
終った物語を続ける事にどんな意味があるのか。此処で言う終った物語と言うのは例えばゲームでいう所のクリア済みのダンジョンのような物では無い。人生という物が一つの大きな分厚い本であると仮定して、更に仮定を積み重ねる事を赦して頂けるのであれば僕の言う終わった物語とはその本そのものだ。起承転結もなにもなく、盛り上がりも何も無く。登場人物のその後の行方も何もかもを無責任に無かった事にしてしまう、その「終わり」は。確かに、僕の身に降り注いだ。「それ」は本を閉じる行為に近い。もしくは「焼く」だろうか?
人生という本を終わらせる行為はそういう事であり、その物語をこの世界に無い事にするといった意味が通じれば行為そのものをどんなふうに例えようと僕は一向に構わない。
ドラクエで言えばロマリア辺りでエンディングが流れる感覚かもしれない。
物語は先に在った筈なのに、その世界の先を閉じる。そんな事、誰にとっても迷惑であろうし。何よりも物語に出演していた登場人物にとったら、たまったものじゃないだろう。さて、話は少しだけ変わるが。その物語を閉じるという行為に書き手が及ぶまで、それぞれの物語に様々な理由がある事だろうと思う。
一つはその物語を続けるだけの資金が無くなった事。
一つはその物語を続ける事で誰かに不具合が発生する事。
一つはその物語を続ける事を許されずに閉じる事を強いられる事。
持論と言うにはあまりにも主観に偏った正に自論なのだが、僕のお話なのだし僕が語っているのだから其処は容認と言うか堪忍して貰うとして。大切なのは、物語は勝手に途中で終わらないって事だ。
外的要因があり、外部からの刺激なり妨害があって初めて物語は途中で終わる。
物語は、放っておけば続く。
極端な極論を言えば人生には助けも支援も応援も要らない。自分という物語を書きあげるのはやはり自分という書き手であるし自分という物語に必要なのは家族を含め読み手でしかないと僕は思う。だから物語が読み手をガッカリさせないように、面白い物語になるように、人間は努力をしなくちゃならないし色々悩まなくちゃならない。
物語の主役は自分だ、これは間違いようも無い。
けれど、自殺で自分の物語を閉じた僕。
終った物語は。本を閉じた筈の僕の意思とは無関係に、まだまだ続く。
僕はもう、メロスになりたいとは思えなかった。
護るべき、セリヌンティウスに殺されたからだ。
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