第21話 崩壊

 村に引き返した。

 広場に鍋が2つ出ていた。鍋とは別に大きな焚き火があり、パチパチと音を立てている。魚が焼かれていた。子供たちがそれを囲んでいる。子供は無邪気に何かを大声で叫んでいた。主婦たちがそこで立ち話をしている。

 篝火かがりびが2つ出ていた。焚き火と3点で最低限の明るさを確保している。広場の中でもその外の空間は暗くなってきていた。危険な中央山脈の夜だ。

 ゾグパゾが他の4人の大人と輪になって話をしていた。1人がサンに気づいて合図をすると全員が彼を見た。輪が広がる。眉を寄せて険しい顔を向けた。サンはその敵意に向かって足を進めた。とっくに村長代理殺しの話は広がっていると理解した。

 横に並んだゾグパゾたち5人に、サンは適切な距離を置いて足を止めた。鍋の世話をしていた女性たちが手を止めてサンたちの方を見た。子供もおしゃべりをやめた。

 サンは先に両手を軽く上げた。「村長代理がいきなり背後から斬りかかってきた」

 揺れる炎の明かりの中でゾグパゾの顔は不明瞭だった。炎を受けて目が光ったかと思うと、顔全体が真っ暗になった。

「報酬について交渉があった。交渉が決裂したと思ったら襲いかかられた。僕の方から彼を殺す理由はない」

 バタンと扉の音がした。ランスが自分とサンの背負袋を持って村長の家から出てきた。帰り支度を済ませている。ざっざっという足音が静かに響いた。サンのそばへと歩く。その表情は挑発的だ。目を合わせる者に喧嘩を売って歩くゴロツキそのものだった。周囲を睨み、相手に顔を伏せさせながら歩いてくる。

「報酬の残り、銀貨80枚をいただきたい」サンは言った。「約束通りに支払われれば、僕も襲われたことを水に流す」

 サンは目の前の5人を見た。ゾグパゾは20代で、村の年長者ではない。老人といえるのは1人だけで、あとの3人は30~40代だ。残った5軒の家の代表者たちだろう。ほかの村の住人は遠巻きに囲んでサンとランスを見ていた。皆が片足を引いた半身で構えている。

 しかし、次の一言はサンの予想以上に状況を逆転させた。「あのクイという未亡人は洞窟のことを知っていて村に隠していた」

 ゾグパゾや中央にいる村の男たちだけでなく、周囲を取り巻いていた女たちの肩の力が抜けたのが分かった。握られていた拳が広げられた。曲げていた膝が伸びた。うんうんとうなずく人間が何人もいた。

 あのクイという女はここまで村で浮いていたのか。

「それは本当か?」

「逃げられたけど、逃げるところは誰かが見てたよね?」

 村の数人が頷いた。1人が手を上げて、はい見ましたというアピールをした。ゾグパゾがそちらを見て、口に手を当てた。そういうことかと言いたそうな顔だ。

 下手にこれ以上何か言わない方がよさそうだ。サンはじっとしてゾグパゾを直視していた。ゾグパゾはじっとしたままだ。後ろの4人が互いの耳に口を近づけて何か話している。ゾグパゾもそれを聞いている。

 荷物を持ったランスがサンの側まで来るとささやいてきた。「人気者になったり嫌われ者になったり、わけが分かんねえ。お前も村のボスを殺すなよ」

「僕もこんなことになるとは思わなかったんだよ」サンもひそひそと話す。「あの未亡人が指輪をよこせって言ってきたんだ」

「見せたのか?」

「最初から背負袋の中身に気づいてたっぽい」

「俺も東部なまりが懐かしくて昨日話したんだけどな」

「うん」

「西に流れてきてこの村に落ち着いたって事情らしい。あまり詳しいことは話さなかったが」

「わけありって感じはしたね」

 ランスも彼女も訛があり、同郷かそれに近い生まれなのだろう。サンは思った。

 ランスは質問した。「なんで指輪なんかを欲しがったんだ?」

「好きな相手を殺せるって言ってた」

 ランスはすぐには反応しなかった。「……そりゃまた、取り扱いが面倒なアイテムだったな」ランスの声には困惑があった。

 サンも同意である。その能力を聞くと簡単に売ることができない。最終的に現金化することになるだろうが、慎重になる必要がある。「買い手を見つけるのに時間はかかりそうだよね」

「ああ」

 ゾグパゾが後ろを向いて、他の男たちと本格的に話し合いを始めた。周囲から敵意が消えていた。サンは体の緊張を解いて成り行きを待った。

 話し合いは終わり、ゾグパゾはサンを見た。「事情は分かった。報酬は払う。殺しは不問とする」

「感謝します」

 ゾグパゾは歩を進め、サンとの距離を詰めた。サンとランスにだけ聞こえるように、「ただし、報酬を受け取ったらなるべく早く村から離れることを勧める」と言った。

「分かりました」

「こっちだ」村長の家へと歩き始める。

 サンとランスはあとに続いた。とっとと報酬を渡そうということだろう。

 サンは気になることがあった。大丈夫かなと思った。そんなサンの目に、村長の家の横、広場の明かりの外の闇に、黄色い光が見えた。

 まあ、こうなるよね。「待って。あそこにワイトがいる」

 ゾグパゾは足を止めた。

 サンの武器は短剣しかなく、ランスも槍の柄を回収していたが刃は壊れているので短剣だけだ。

 黄色い光に包まれているのは肉体だけだ。その両手には光っていないが巨大な戦斧があった。目は虚ろでどこも見ていない。真っ白で血の気のない顔が黄色く照らされている。肩から胸にかけてサンが叩きつけた斧の傷がばっくり開いている。これまでのワイトと違い血まみれで傷口は見えない。それどころか胸からはまだ血がボタボタと垂れている。桶の隙間から垂れるしずくのような、生命力を感じさせない出血だ。

 夫人との戦闘で、生前の筋肉量がワイトとしての戦闘力に影響を与えないことは知っている。ワイトの強さは色の濃さ、光の強さに比例する。昼間のワイト退治でも後半に濃縮されるほど力も強くなり、より細切れにしないと無力化できなかった。夕闇の中で、そのワイトの光は地面を丸く照らしている。薪をケチった篝火かがりびなどよりよっぽど明るい。それとは別に、その体躯は一流の戦士のずんぐりしたシルエットだ。骨の太さが腕の形で分かる。ビールジョッキより二の腕が太い。

 そのワイトは村長の家に近づいた。宴会もあって不幸にも中に人がいた。手に持った戦斧を横に構える。アンデッド特有の予備動作のない初動で斧が振られる。最初からトップスピードだ。筋骨隆々だったワイト自身の腕が負荷に耐えきれず勢いの逆方向に折れてしまった。それは妙なのシルエットとしてサンの目に映った。死体を覆う光は折れた腕を支える。

 家の壁がボグッという低い音を立てて崩れた。中にいた女性が攻撃をまともに食らい、体を『く』の字に曲げて壁の丸太ごとふっとぶ。バラバラと家全体が崩れて中で宴会の準備をしていた人間が悲鳴をあげた。何人かが丸太の下敷きになって血を吐く。胸が潰れたために数秒後に息が止まる。

 ゾグパゾだけでなく、サンとランスも呆気にとられてその瞬間は何の反応もできなかった。

 村人がなんだなんだと騒ぐ。そしてすでにみんなが見慣れてしまった黄色い光に気づいてパニックを起こした。

 “どもり”のバラックはワイトになっても戦斧を愛用していた。

 崩れた家と共に死んだ女性たちにも黄色い光が集まりつつあった。そして夜のワイトは弱体化しなかった。

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