第20話 交渉
拍手が聞こえた。ランスは最後のワイトを誘導していた。はしゃぐのもどうかと思ったが、手を振って応援に応えたいくらいには内心は浮かれていた。
対処が確立してしまうと、ランスもワイトへの軽蔑が隠せなくなった。
馬鹿なのである。目の前で存在をアピールすると簡単に釣れる。そしてランスが家に入ると普通についてくる。家の中で戦斧を構えてサンが待っているのに、警戒もせずに続いて入ってくる。バキっとやって一丁あがり。家の外にはぶん投げた死体が転がっているのに、同じ方法を何度でも繰り返せた。
「ネズミだって罠があれば警戒するのに、バカだなあ」サンはしみじみ言った。「これで終わりか」
切断しては家の外に放り投げた。大きいパーツは黄色く光ったままでウネウネ動いている。サンは最後に胴体を外に運んだ。家の外は凄惨の一言だ。頭、手、足、胴体が10体分以上転がっている。腹を破いたあとの内臓が厄介なので無傷で処理するようになった。黄色く光った胴体は腹筋運動や背筋運動を繰り返している。血は無くなっているので断面の筋肉のピンクがはっきり見えた。キッチンで精肉の済んだ肉のようだ。動いてなくてもコボルトを食べようとは思わないが。
どさっと胴体を捨てる。手は体液でぬめっていた。ズボンでこする。ズボンも汚れすぎててぐちょぐちょだった。サンはとっくに鼻が馬鹿になっていて何も感じない。しかし油断すると悪臭が鼻をついた。
日は傾いていた。日没まであと1時間といったところだ。楡の木村は日当たりがいい。
腹が減った。
見張り台の2人がやっと下りてきた。「おつかれさまでした」
「おつかれさまでした。ありがとう。飲まず食わずは大変でしたよね?」
「見張りは水筒と携帯食を持って上がるんです。最低限の補給はできました」
「そっかー」サンは腰を伸ばした。「僕はもうお腹ぺこぺこ」
「食事の準備が始まっています。じきに宴会になりますよ」
「肉はもう見たくないけどね」
「あははは」
暗くなってくると、ワイトの黄色い光がよく目立った。処理しなくてはいけない肉片が一目瞭然だった。
ワイトには明らかに意思があった。サンは宴会が始まるのを待つ間、その死体にまとわりつく黄色い光を飽きずに観察していた。
スライムのように突起を作る部分があった。周囲の死体に触れる。チョンチョンと取り憑けるか様子を見る。取り憑けると判断すると分裂してそちらも覆う。色は薄くなる。取り憑かれた方は骨だけであっても動き始める。隣の肉とぶつかりあってべちべちという音を立てる。
屍肉と屍肉が動いてぶつかる音はサンの記憶にいつまでも残り、後年になっても思い出すこととなった。
ワイトは生きている人間にも取り憑こうとする。サンが近づくと寄ってくる。しかし自分の肉体にそれを拒絶する力があり、ワイトは生きている肉体には触れられない。
「そんなもんをじっと見てると呪われるぞ」ランスが寄ってきて言った。
サンはランスの服装に気づいた。「あれ、着替えはどうしたの?」
「村人に
「そうだね。水浴びもしないと」
「水瓶も向こうにある」
「ありがとう」
サンは死体の山に背を向けた。村では宴会の準備が進められていた。宴会といっても家畜は潰さないことにしていた。〆た豚や鶏が動き出したら笑えないからだ。
宴会の準備をする人の中から老婆リャシャヨジャを見つけて、着替えと水浴びの相談をした。服をもらって水瓶のある場所に行った。裸になって血と体液を落とした。髪の毛がゴワゴワだった。何度も水をかぶった。冷たかったがサッパリした。貰った服はよく乾いていた。
足音がした。村は宴会の準備で篝火がたかれていた。逆光の中に未亡人のクイが立っていた。
「何か用ですか?」
クイは目を伏せていた。体を硬直させじっとしている。
「ここで話しにくいならどこか行きますか?」
彼女は
宴会は村長の家と楡の木の間の広場で準備されていた。彼女はその反対方向へと歩いていく。サンはそのあとについて歩いた。背負袋はランスに預けていた。武器は壊れてしまったので元々手元にない。サンは手ぶらだった。
周囲に誰もいなくなるまで離れると、彼女は足を止めた。サンも止まった。
彼女が話し始めるまでサンはじっと待った。
「洞窟の中で見つけた物がありますよね?」
言い方が質問ではなく確認だった。サンも予想していたので指摘を意外とは思わなかった。「はい」
「指輪だけでいいので
このときのサンの欲望の中に、金銭的な欲のほかに、死闘を生き残ったあとの高揚感と性欲もあった。そしてサンは彼女に魅力も感じていた。水浴びのあと、彼女に話し掛けられてから、股間が固くもなっていた。とはいえ、それはそれ、これはこれ。話の流れがどうなるか分からないがランスに無断で決めてしまうと彼との関係も悪くなってしまう。それぞれが納得する妥協点をみつけないといけない。プラスでやらせてくれるならやりたいけど。
「いくらで?」
「お金は払えません」彼女は頭を下げた。謝罪っぽい動作だが、言い方は『お前なんかに払えるわけないだろう』という馬鹿にしたニュアンスがあった。
サンは待った。もしここで彼女が事情を説明して情に訴えてくるようであれば話は終わりだと思って構えた。
「私は……あの指輪の使い方を知っています。譲っていただければ、あなたが望む人間を1人殺してあげます」
「なるほど」交渉としては悪手じゃん。「そういうことであれば譲るわけにはいかないです」
「私は子供ができません。夫も失くしました。生き残るためにはあの指輪が必要なんです」
結局、情に訴えるのか。「あのー、詳しい話を聞くと、僕はあなたと殺すか殺されるかの話になるわけですけど、分かってます?」
彼女は口をヘの字につぐんだ。
「生き残るために指輪が必要だということは、指輪を譲ってくれないなら僕を殺すという話になるでしょう?」
彼女は目を伏せた。地面をじっと見ている。両手をぎゅっと握っていた。
「生きるか死ぬかの話になったら、僕も自分の身を守るためにあなたを殺すしかなくなる」
「生き残るために絶対に必要なわけではありません。すいません」低姿勢に修正してきた。
「しかし、誰でも殺せると言っているあなたが、僕を殺さないという保証はない。僕なら、指輪を受け取ったら真っ先に相手を殺しますね。それで支払いはチャラになる。どういう死に様になるのか分からないですけど、生きたままワイトにさせられたらたまらない」
彼女は突っ立ったままだった。
「というわけで譲るわけにはいきません」サンは振り返り、そこからサイドにステップを踏んだ。
後ろに周り込んでいた村長代理バラックの戦斧は空を切った。「ちっ」
戦斧空振りの代償は大きい。サンは隙だらけの目玉を突き、思わず顔を手で覆ったバラックの顎を殴り上げた。なんとか倒れなかったが彼は目を押さえるばかりだった。サンは斧を奪った。殺すか殺されるかの話で言うと、背後から斬りつけられたら交渉の余地はない。全力で戦斧を叩きつけると彼は生きている者にふさわしく派手に血を出した。
何も言わずに絶命した。
サンの視界の隅に、逃げていくクイの姿が映った。
サンは舌打ちした。彼女を追って村の中を走るのは目立ちすぎる。分かっていたが追わないわけにはいかなかった。彼は血だらけの戦斧を放り出して彼女を追った。
彼女は村長の家には向かわなかった。楡の木の横を通り、宴会で集まった村人たちを尻目に、そのまま村を出ていく。坂を下っていく彼女の背中を追った。しかし村の外の森にはもう夕闇が落ちていた。森の中に入る前に追い付くのは無理だ。サンは追跡を断念して足を止めた。
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