第15話 アンデッド・コボルト

 村で最初に気づいたのは多く飼われている番犬たちだった。

 冒険者たちが、どちらがより多くのコボルトを退治するかで勝負を始めてから半日が経過していた。最初は退治に協力すると申し出ていた村人だったが、サンの予想通り、当事者意識の無いお気楽な集団になっていた。冒険者への感謝を感じていたのも束の間、勝負が開始されてから帰りを待つ間に村人の意識は変わっていった。ゴロツキを煽ってタダ働きさせるなんて素晴しい発想だとなり、今度からこうしようとなり、こんなうまいやり方を思い付く自分達ってすごいとなり、こんな手にだまされるなんて冒険者は馬鹿で愚かでちょろい奴らだとなった。勝負を提案したのはサンだった。いつの間にか村人の意識の中では自分達の手柄になっていた。

 朝のお祭り騒ぎから一日が始まったので村は浮き足立っていた。どちらが勝つかでみんながそわそわしていた。賭けが盛り上がり、根拠のないデマがとびかった。ビャペラの冒険者は戦場で100人を斬ったとか、ビリオンの冒険者は5歳のときにドラゴンを退治したとか、そういう類のデマである。実際にはどちらの冒険者のことも知っている者はいなかった。サンたちを雇い、4日間の旅を同行した老婆のリャシャヨジャと若者のゾグパゾも話を盛らざるを得なかった。戦場で100人を斬ったビャペラの冒険者に対して、実績皆無の新米冒険者を雇ったとなると立場が弱くなる。大都市ビリオンの冒険者なんだから見た目通りの若造なわけがないじゃないかという話をして自分の立場を守り、賭けのオッズのバランスを図った。

 5歳でドラゴン退治というのは盛りすぎである。誰が言ったかは不明だ。

 老婆と若者も立場上、サンたちに賭けないわけにはいかなかったのでお気持ち程度の金額を出していた。最終的なオッズではわずかではあるがサンが有利という率になっていた。近所のゴロツキより遠い大都会から来た冒険者への期待と空想が強い。デデがおっさんで一番の年長というのことも影響していた。

 楡の木の上に設置された見張り台には交代で人が立つ。普段は1人しか立たないがその日は見張りの友達が一緒に登り、そこでずっとコボルト退治の話をしていた。

 楡の木の上からは周囲の森の様子が見渡せる。警戒しなくてはいけない北側については180度以上をカバーすることができた。足元に村のログハウスが並んでいる。そこから周囲を囲む木の柵がある。外側の森は開墾して坂の下まで障害物なく見通せる。坂の下から森が広がり、そのまま遠くの森につながっている。視線を上げると北の森の風景が広がる。そのすべてが中央山脈となり、とくに北側は人跡未踏で怪物たちが支配する野生の世界が広がっている。右にも左にも山の切れ目はない。山々には白い雪が残っている。手前の山の間からその向こうの山々が霞がかって見える。辺りの村々にも無く楡の木村でしか見れない景色だ。見張りの2人にとっては生まれたときから見ている日常風景である。ここから北に足を踏み入れる人間は年間に数人だけだ。そして滅多に帰ってこない。その山の上には今は青い空と白い雲が広がっていた。

 本当は全域を見なければいけない。しかし見張り台にいる2人は光る洞窟に通じる道ばかりを何度も見ていた。

「お前はどっちに賭けたの?」当番ではない年長者の少年が聞いた。

「僕はビリオンに賭けました。なんとなく雰囲気で」

「なんだ、みんなビリオンに賭けてるんだな」

「けど賭け率を見るとビャペラに賭けてる裏切り者がけっこういるんですよね」

「実はな、俺もそっちの穴狙いなんだ」年長者はこっそり打ち明けた。

「穴なんですか? みんなビャペラが嫌いだからビリオンに賭けてる気がするんスけど」

「普通に考えればビリオンだろ。お前、あの2人の子供を見たか? 14らしいぞ」

「聞きましたよ。出発のときにビャペラと並んでいるのを見ましたけど、雰囲気違いました。一緒のおっさんが浮いてましたね」

「妙に腹が決まってる顔してたよな。普通にやればビリオンが勝つだろ」

「けどピラザボさんはビャペラに賭けたんですよね?」

「何があるか分からんだろ。穴狙いだ、穴」

「弱そうな方に賭けなくても……」

 村の番犬がみんな一斉に吠え始めた。喉の奥でグルグルと唸り、ワンワンと声を上げている。皆に怪物が近づいていることを報せる聞き慣れた声だ。

 見張り当番の少年は光る洞窟の方を見た。高台の下、森の入口の日陰にぼうっと光る何かが見える。その色には見覚えがある。楡の木村の人間ならみんな知っている光だ。目をこらす。距離にして300メートルはあるが、それでも見えるくらい光の数が多い。木陰に隠れたり現れたりと点滅しながら森のへりへと近づいてくる。

 少年は指さした。「ピラザボさん、なんですかね、あれ」

「コボルト、かな? 松明でも持ってるのか? ずいぶん小さいな」年長者は木鐸もくたくを顎で示した。「みんなに報せろ」

「はい」少年は備えてあった棒で吊るしてある板を叩く。カンカンという音が響いた。「北からコボルトが何匹も来てる!」

 村にいた大人たちは番犬の吠え声を聞いた時点で行動を開始していた。家の外にいた大人たちはみんな家へと避難する。みんなが口々に、「コボルトだ」と叫んだ。

 家畜が家の中へと仕舞われていく。バタンバタンと扉が閉まる音とガチャというかんぬきのかかる音が聞こえた。

「子供のコボルトだぞ。それが何匹もいる」年長者は不思議そうに呟いた。

 少年もそちらを見る。森から次々に黄色く発光したコボルトが現れた。バラバラと横に広がっている。日向ひなたに出ると発光は見えなくなった。統制は取れていない。年長者が言うように遠目でもサイズが小さいのが分かった。大人のコボルトで人間の胸くらいだが、森から現れたコボルトはほとんどが腰より低い。突撃の掛け声をまったく上げず、無言のまま走ってくる。

 少年は見張り台から村に向かって大声で告げた。「子供のコボルトが10匹以上、襲撃してきます!」

 村長代理“どもり”のバラックが中央の家の二階から屋上に出てきた。村長の家の屋上は天守塔の役割も担っている。村長代理は見張りの2人に手を振った。続けて屋上にゾグパゾが出てきて、同じように手を振った。来てるかと彼が聞くのではいと答えた。

 村の一番北側に位置するトガタロの家に動きがあった。弓の音が見張り台まで聞こえた。

 少年は確認した。「トガタロさんの矢が命中! だけど効いてない!」

「なんだと?」村長の家の屋上にいるゾグパゾが大声で言った。

「矢は刺さってる! けど倒れてない」

 見張りの少年の耳にまた弓の音が聞こえた。これだけの大きさなら村長の家からでも聞こえているはずだ。トガタロの弓は近くだとドヒュンというすごい音がする。

「また命中!」遠くからでも矢が胴体に刺さっているのが見える。「なんで倒れないんだ?」

 放された番犬のうち、2頭が村の北端トガタロの家に駆けていく。ウォンウォンと狂ったように吠えている。そのまま北へ抜けて坂を上がってくるコボルトたちと対峙した。犬は距離を保ってすごい剣幕で吠えているが、コボルトたちはそれをまったく意に介していなかった。

 なんだあ? 熊でも大トカゲでも魔狼ワーグでも、うちの犬に吠えられてひるまない動物はいなかったぞ。少年は思った。「なんかあのコボルトおかしい」

 無造作に距離を詰めるコボルトたちに犬が吠えながら距離を保って包囲を続けている。上から見た比較だと、コボルトの子供より番犬たちの方が体格がいい。しかし牽制のつつき合いで押しているのは完全にコボルトだ。命知らずのクソ度胸に犬が押されているように見える。

 ドヒュンという音が響き、先頭のコボルトにまた矢が刺さった。確実に胸のど真ん中に命中していた。番犬の風切丸かぜきりまる——見張りの少年も含め、村人は全員がすべての犬の名前を覚えている——が矢の刺さったコボルトに襲いかかった。

「いった……」少年は呟いた。

 風切丸は足に噛み付くとコボルトを引き倒した。グルルルルといううなり声が見張り台まで聞こえる。咬まれたコボルトは仰向けに倒れた。風切丸が噛んだまま頭を振ると子供のコボルトの体は左右にぶんぶんと転がった。案山子かかしか人形のように腕が無抵抗に振り回される。コボルトの方が小さいので赤ん坊を食っているように見える。

 おとなしい風切丸だけど攻撃をするとあんな凶暴になるんだな。少年は思った。おっかねえ。

 風切丸は口を離し、別のところを噛み、また離した。振り回さずに噛み付き攻撃を繰り返した。

 自分だったら絶対に近づきたくない興奮しきった風切丸に2匹のコボルトが近づいていた。さっきから何度かトガタロが矢を射掛いかけている。しかし様子がおかしいので諦めたのが見張りからでも分かった。射撃が止まった。後続の何匹かにも矢が刺さっている。それでも勢いが落ちない。

 もう1匹の隻影せきえいという番犬が攻撃に参加した。2匹で別方向からコボルトを噛み付いて引っ張っている。コボルトの体がびんと張って、ちぎれてしまいそうだ。

 少年は見ているだけで痛くなって思わず顔を歪めてしまった。

 後続のコボルトたちが犬たちに襲いかかる。犬に抱き付いその体に歯を立てた。

 思わず横にいた年長者とハモってしまった。「うっそだろ」

 犬の毛皮に噛み付いても歯なんて入るもんじゃない。毛が邪魔で牙が立たない。血も出ないだろう。ああいう無意味に攻撃的になる動物を見たことがある。「あのコボルト、狂犬病かな?」

「いや、聞いたことねえ。コボルトは狂犬病の犬に咬まれても平気って聞いたことある」

 犬の方が大きいので抱き付いたコボルトが哀れに見えた。しがみついたコボルトを犬たちが振り解こうとする。しかしコボルトは離れない。そして耳や鼻に噛み付いて、遂に犬たちの方がキャインと悲鳴をあげる。前脚でコボルトを引き剥がそうとする。しかしコボルトは犬たちの体から離れようとしない。

 まずいと思う。思うが見張り台から犬を助けには行けない。

 別のコボルトたちが北のトガタロの家に接近した。少年の視界から消え、家の陰に入って見えなくなるコボルトが何匹もいた。

 屋根にトガタロの家族が槍を持って現れる。コボルトの姿は見えないが壁を登ろうとするそれを槍で落としているようだ。屋根から必死に下に向けて槍を突き出している。

 村の防衛は山賊や略奪より山の怪物対策に特化している。楡の木村までわざわざ賊が出張してくることは滅多にない。家は頑丈で壊されることはないから、中から矢を射掛けるか、上から槍で突き落とすのが基本戦術になる。

 番犬が1匹だけ止めたが、ほとんど数を減らせずに村にコボルトの侵入を許した。トガタロの家の横を走るコボルトの姿が見える。他の家からも矢が飛ぶ。村の地面に外れた矢が刺さる。

 少年は叫んだ。「コボルトが村に入った! トガタロさんや他の家に入ろうとしてる!」

 視界の隅に狂ったように体を振る風切丸の姿が見えた。ウーという唸りが泣き声のように聞こえる。コボルトたちは風切丸の背中にしがみついてその背中を噛んでいる。毛皮が血で染まっていた。脚も噛み付かれていた。立てなくなってよろめいている。目を咬まれ、キャインと悲鳴をあげた。

「うわー! 風切丸!」少年は悲鳴をあげた。

 横の隻影も似たような状況だった。苦しそうに身をくねらせている。蟻にたかられる毛虫のようだった。

「矢は無駄だ。弓は使うな!」村長の家にいるゾグパゾが叫んだ。

「ぎゃあ!」

 別の悲鳴が聞こえた。トガタロの家だった。少年が見ると屋上にいた妻と二人の息子にコボルトが抱き付いていて、首を咬まれていた。血が派手に吹き出して本人の体と家の屋根を赤く染めていく。コボルトたちは爪も使い、一家の体を切り裂いていた。日が当たって明るい屋上に、ぼんやりと黄色い光が見えた。姿が見えないが家の中から娘の悲鳴も聞こえる。

 首や胴に致命傷を負わせても効果がない敵を撃退する方法への知識が決定的に欠けていた。

 矢に効果がなかった。大半はこれで撃退できるのでその時点でいつもと違った。家を登ってくるコボルトの撃退も槍で突けばそれで済むはずだった。しかしそれにも効果がなかった。襲撃してくるコボルトの数は1匹2匹なので迎撃側の人数が足りないわけではなかった。しかし虚ろな目で壁をよじのぼってくるコボルトは恐怖の対象だった。そしてよく見ると首や足などに致命傷を負っていた。血だらけだった。槍で突いても出血がなかった。刺されてもひるまず手足を動かすコボルトは何をしても無駄なように思われた。そして頭や顔面を串刺しにしても動きが止まらないと気づくと村人はパニックを起こした。ある者は硬直して動けなくなり、ある者は一目散に屋根から下りて村の外まで走った。またある者は恐慌状態きょうこうじょうたいおちいって、登ってくるコボルトをめった刺しにした。頭が原型をなくし、穴だらけになり、槍に脳がこびりついても、コボルトは動きを止めなかった。ワイトが肉体を動かしている。頭にはなんの機能も残っていない。それでも登ってくる敵を上から攻撃するときに狙いやすい頭から目標を変えることができなかった。最終的に屋根に登られると、口を失ったコボルトに手の爪で裂かれ首を突かれた。村人たちは悲鳴をあげた。

 村の中央の村長の家にいた村長代理と若者、それに未亡人のクイも状況が把握できなかった。村人は迎撃しているように見えるのだが、どんどんやられていってしまう。

 見張り台から少年が報告する。「トガタロさんの家がやられた。トガジノさんの家も駄目だ。あ、ロカヤコピさんところもやられてる。ああ、ちくしょう。何やってんだよ」最後は罵声になっていた。

「こここ」村長代理のバラックが言った。「攻撃はだだだ、駄目だ」

 ゾグパゾが村人に叫んだ。「攻撃が効かない。みんな攻撃はやめろ。家の中で籠城しろ!」

 7つの家のうち2つがすでにやられていた。攻撃を受けていたロカヤコピも含めた5つの家の屋根の上にいた村人たちはそれぞれにうなずき、家の中に入った。

 ゾグパゾはみんなが家の中に入ったのを見て自分たちも避難した。屋上の梯子を下りて2階の扉から中に入ると閂をかけた。室内だと外の音が聞こえにくかった。

 見張りの少年が外で叫んでいる。「トガタロさんのところがまだ生きてる。動いてる!」

 動いているかもしれないが生きてはいないよ。ゾグパゾは思った。自分も見ていた。屋根裏に立っていたトガタロの長男が、よじ登ってきたコボルトに抱きつかれて首を咬まれた。喉笛を食い千切られて派手に血を流していた。あの様子では数分は生きているかもしれないが死ぬのは時間の問題だ。

 二階の窓際に立っているクイが目についた。楡の木村の家の窓は格子窓で、板をめ込んで完全に密閉できる仕組みになっている。今はまだ二階の窓はふさいでいない。クイが見ているのはやられたはずのトガタロの家の方向だ。その顔が表情を失っている。

 ゾグパゾも横から窓の外を見た。

 首から下を血だらけにしたトガタロの長男が屋上に立っていた。それから不意に体ごと右を見た。ぎくしゃくした動きだ。本人らしくない動きだ。だがあと数分で死ぬ人間の動きでもない。

 ゾグパゾは咄嗟に何も言えなかった。クイの横で口をあんぐり開けたまま突っ立っていた。それから数歩前に進んで窓際に立つ。やっと言葉が口を出た。「なんだ、ありゃあ」

 昼下がりの強い日差しを受けてそれは屋上に立っていた。背後に大空を背負っている。白い雲のおかげで輪郭の黄色い光にも気づいた。

 ドン。

 一階から強い衝撃の音が聞こえた。家の壁に何かがぶつかった音だ。音の正体は明白だった。

「くそっ」ゾグパゾは舌打ちした。一階へ下りる。

 見張りの少年の声が聞こえる。「奴らは隣村の方にも向かってる。清水村きよみずむら平村たいらむらの方だ」

 一階には村長代理“どもり”のバラックがいた。両手で戦斧せんぷを持っている。ゾグパゾにも見覚えがあった。村長の部屋の壁に掛けてあったものだ。あまりに大きいので飾りかと思っていたがバラックはふらつきもせずに構えている。表情を見ればやる気なのは伝わる。

「バラックさん、あいつらコボルトじゃないです」

「あいつらコボルトじゃないぞ」見張りの少年の声が重ねられた。「風切丸の死体と隻影の死体が動き回ってる」

 ゾグパゾとバラックはしばらく睨み合った。バラックの兄は一週間前にコボルトに殺されている。当然、復讐をしたいはずだ。だがここでくそでかい戦斧を持ち出してわけの分からない不死の怪物に討って出るのが良策とは思えない。何と言えば引き止められるのか分からなかった。

「バラックさん」

 そのとき、外から聞き慣れない声がした。村人の声ではなかった。

「夫人の呪いだー! みんなー、家の中に入れー!」

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