第16話 収束と拡大
サンは走りながら森を抜けて牧草地に出た。坂の上の
森から村までの長い距離の間にコボルトはいなかった。村の一番近くの家の壁にコボルトが取り付いて登ろうとしていた。屋根に人が立っていた。ワイトになっているのが分かった。こっちや壁のコボルトを見ていない。サンに背中を向けて村の中心を見ている。防衛している人間だとしたらありえない行動だ。
村からサンに向かって迎撃の動きをするワイトがいないかと反応を待った。そういうワイトはいない。やっぱりこちらの声は聞いていないな。サンは思った。目や耳が使えてないのは相手をすれば分かる。命そのものを探知しているんだろうな、あれ。
立ち止まる。「夫人の呪いだー!」サンはもう一度叫んだ。そして両手を上げた。剣は手に持ったままだ。「そっちに行くけど攻撃しないで」
「ビリオンのゴロツキが森から出てきてこっちに近づいてくる。両手を上げている」
遠くから声が聞こえた。楡の木の上の見張り台の上に少年が2人いて、こっちを見ていた。サンはそっちへ両手を振った。
「光る洞窟の夫人の呪いで殺したコボルトが動き出した。そっちに行くから攻撃しないで。お願い!」
「分かった。早く来い!」姿は見えないが聞き覚えのある若者の声がした。ゾグパゾの声だ。
サンは村へ向かった。この状況でもゴロツキ呼ばわりなんだな。まあいいけど。僕の地元でも冒険者はゴロツキって言われてたし。
ランスと一緒に坂を登る。障害物が何もないので落ち着かない。村から弓で狙い放題なので、大丈夫と分かっていても警戒してしまう。ジグザグに蛇行して走りたい気持ちを抑えて真っ直ぐ村に向かった。そんなことをしたら信用してないのかと村人を怒らせてしまう。
手前の家は屋根にワイトがいる。一階の窓は全部鎧戸が閉められていて中が見えない。周囲の壁には這い上った跡の血や体液が付いていた。一箇所ではなく三個所に付いている。壁を登ろうとしているコボルトは小さかった。子供のコボルトだ。見逃してやった女子供たちだろうとは思った。どうしてそれが洞窟の外で黄色くなっているのかは分からなかった。
サンは助けようという発想すらなく、なるべく距離の離れた場所を走った。柵を越え村に入る。中央の村長の家に向かった。
楡の木の見張り台を見上げた。梯子の足元は見えない。ワイトがよじのぼっている姿はない。上から大声を出してもワイトはそれに気づくことないんだなとサンは思った。命の探知にも死角があるっぽいな。
村長の家にも子供のワイトが一匹取り付いていた。窓枠と鎧戸を手掛かりに壁を登ろうとしている。スキだらけだ。中の人間の命が見えているのだろうが、背後のサンが見えていない。
ランスが子供のワイトを壁に串刺しにした。壁が丸太だと串刺しにするのは簡単だった。背中の中央を串刺しにするとワイトといえど身動きが取れない。ピンで固定された昆虫標本だ。手足をバタバタさせる子供の四肢をサンが切断し、それからランスが槍を引っこ抜いた。地面でそれぞれのパーツがわたわたと動いた。子犬のような見た目なので、デデの死体とはまた別種の、一生忘れられないインパクトがあった。
「とっとと燃やすか埋めるかしたいぜ」ランスは言った。「じっと見てるとうなされそうだ」
サンは
「上だ」
サンの頭上からゾグパゾの声が聞こえた。顔を上げてそちらを見た。彼は二階の屋根に立ちこちらを見下ろしていた。一階の屋根ではないので手を伸ばして届く距離ではない。手に槍を持っている。
「あ、どうも」サンはおじぎをした。「夫人の呪いです。見ての通りです。殺したコボルトが動き出しました」
「何をしたんだ?」疑いしかない声だった。
「何もしてません。コボルトを退治しただけです」
横のランスも一緒に
「嘘をつけ」
「嘘じゃありません。僕たちも必死に脱出したんです。仲間もやられました。僕たち2人だけが生き残りです」
ランスが横でうんうんと頷く。
説得力は微妙。もっと、『信じてください!』という必死さがあるといいんだけど、普段から無愛想なランスだからな。サンは思った。そこまで求めるのは無理か。
ゾグパゾが不意に槍を動かした。切っ先をサンからその後ろにゆっくりと移す。顎をくいっと動かした。後ろを見ろというジェスチャーだ。
サンが振り返ると、後ろの家の屋上から人間のワイトが下りるところだった。家の中の人間からこっちに標的を変えてきた。
「あれ、やっていいんですか? あなたの友達じゃないですか?」ゾグパゾと同い年くらいだ。「たぶんもう死んでるとは思いますけど、バラバラにしないと動きが止まりませんよ」
顔だけ回してゾグパゾの方を見る。彼は隣家の人間のワイトを悩ましげに見ていた。友達というサンの指摘は間違いではなかったようだ。苦悩の表情を見せている。地面にはさきほどサンたちがバラバラにしたコボルトの死体がある。手足はくねくねとのたうち、ミミズのような不器用さでサンに近づこうとしていた。そちらをちらっと見て、サンと一瞬目が合い、また隣人のワイトに目を戻した。
ワイトは二階の屋根から不器用に地面に落ちた。どすんという感じに、受け身をまったく取らずに落ちたので、見ていたランスは思わず顔をしかめた。どこか
サンも視線をゾグパゾからワイトに戻した。「やりますよ? いいですね?」もう一度ゾグパゾを見て、今度はしっかりと目を合わせる。
目を合わせたゾグパゾは首を縦に振った。
「よし」
サンとランスは前に出た。ワイト相手だと“不意打ち”という概念がない。急がず焦らず距離を縮める。2人ともほんの数時間でアンデッド相手の戦い方の型が身につきつつあった。
想定ではこれまでと同じだった。ランスの槍で相手の脊髄をとらえる。地面に倒してそこからサンが四肢を狙う。急所や致命傷の概念がないアンデッドでは物理破壊が優先するので戦いの組み立てが生きているコボルトのときとはまったく違った。
ランスが最初に接近した。向かってくるワイトの体の中心を狙って槍を突き出す。生きている人間相手だと絶対に避けられる攻撃だった。しかしワイト相手だと臍への攻撃がまともに入る。そのとき、ガキッという
手首を痛めたランスが思わず、「いてえ」と言って槍を離す。折れた槍は地面に落ちた。
サンはランスのフォローに入り、四肢ではなく胴の骨を狙って曲刀を振った。ランスが攻撃した臍のすぐ下に攻撃が入る。サンは状況を理解した。デデもそうだった。コボルトと違って大人の男の骨は固い。ランスの槍と同様にダメージが蓄積していたサンの曲刀にも負荷がかかる。これまでもそうだが、アンデッドへの攻撃は剣で石を叩くようなものだ。わざと痛めつけているのと大差ない。サンの方は折れこそしなかったが自分の曲刀が寿命を迎えていたことが感触で分かった。柄がグラついてもう使えない。
「えい、くそ」サンは剣を地面に捨てた。短剣を抜く。なんでこんな握りの短い短剣を持ってきてしまったんだろう。アンデッド相手に力を入れるためにはいざというとき両手で握れる短剣がいい。後悔しながらサンは短い柄を無理矢理両手で握った。「僕の剣も駄目だ」
ランスは振り返ってゾグパゾに言った。「その槍を貸してくれ。武器が駄目になった」
サンは目の前のワイトを蹴飛ばした。ワイトは吹っ飛んで家の壁にぶつかった。鈍い音が響く。すぐに体を起こしてくる。
普通ならそこでガハッとか言って咳こむところなのになあ。サンは思った。本当にめんどくさい。攻撃が当たりやすいのに効きにくい。
ゾグパゾが槍を投げた。少し離れた地面に刺さる。ランスはそれを拾いに走った。「ありがとう。助かる」
サンがちょっと周囲を見ると、子供のコボルトのワイトが左右から近づいてきていた。
「おっと。マズいな、これは」
どこにいたのか分からないが、他の家を襲撃していたワイトの注目を集めてしまったようだ。
そのとき、ドンっと馬鹿でかい戦斧が投げ入れられた。
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