第10話 光の正体 その2
デデと若手が戻ってきた。
「あちこちに死体が転がってるからさー、それを見ていちいちあいつらが反応するんだよ。うまく押さえてはいたけどさー、外に出る頃にはすごい空気になってたぜ。『人間、許すまじ!』みたいな。あれ、手打ちにしてよかったんかねー。うおっ!」最後は部屋の光の流れを見ての驚きだった。「なんだそれ?」
「みな殺しにするのは村の人の役目だよ」サンは壁の穴から目を逸らせデデの方を向いた。「僕たちとしてはコボルト退治が依頼だし、巣から追い出せれば達成だよ」
「あんまり怪物や魔物を見逃しにする冒険者って聞かないけどな」ランスの声は批判的だった。「奴らと取り引きする奴というのは信用を失う。あと、普通にこういうときにマズい。俺は殺しておけばよかったと後悔している」
「こういうとき……か」デデは地面近くの壁の穴の近くまで寄った。「なんだこれ?」
「マップには無い穴だよ」
穴の大きさは拳より小さい。そこに黄色い光が流れ込んでいる。集中しているために中心部分は眩しいくらいだ。数秒見ていると残像が視界に焼き付いてしまう。
そしてじっとは見えないがその穴の先に広い空間があるのは分かる。サンは近寄ると穴のまわりの石を手でどけていった。1つ2つとどけるたびに穴は大きくなり、光の集中がなくなって眩しさは軽減した。どんどん広げていく。穴が横の壁から斜め下に向けて伸びているのが分かった。30センチを越える大きさになった。サンは覗いた。
光るガスのようだった洞窟の光源が奥へ奥へと流れている。手が届くような距離に、立って歩ける空間が広がっている。横の壁は人の手で積まれた石壁だ。
「地下室への通路みたいだ」
デデだけでなく、ビャペラ3人の冒険者からも、「おお……」というどよめきが起こった。何年も昔に探索が終了したと思っていた場所に手付かずの領域があったのだ。こういう新発見は見込みが悪くても期待してしまう。
簡単に石をどかしていくと穴が1メートルくらいに広がった。奥の通路に向けて崩れた。腰をかがめて入れる大きさになった。
光の流れは大きくなっていた。ゆっくりと部屋の中の光は吸い尽くしていた。今はゆらゆらと部屋の入口から部屋を突っ切って穴へ向かう流れとなっている。実感はないが廊下側が暗くなっているように感じられる。ぞわぞわして落ち着かない。
ランスが廊下に顔を出し、戻ってきた。「何か物音がした気がしたんだが、気のせいだった」
全員、口には出さないが、背後に不安を感じる。この先に何がいるか分からない状況で、出口の方にコボルトが確実にいるというのは、たとえそのコボルトが女子供ばかりだと分かっていてもプレッシャーになる。
とはいえ、この状況で冒険者がやることは一つだ。
「じゃあ、僕から入るよ。ランス、後ろの警戒をお願い」
サンは中腰になって穴に入った。
崩れた石に転ばないように中に進む。すぐに立ち上がれるようになった。明るさはいままでと同じで、松明も不要だった。石壁が左右に積まれそのままアーチ天井になっている。サンに知識も経験もないのでただの勘だが、崩落の危険は感じない。そのまま奥へ、下方向へと進んだ。先に空間が見えた。貯蔵庫か何かだ。棚が見える。元の建物との位置関係として地下3メートルといった深さだった。空間の手前に原型を留めていない扉だったものが見える。ここでは光に強い流れはない。滞留して層が厚くなっている。
サンは曲刀を構えながら進む。
突き当たりの広がった空間の死角、右の方に光源がある。そこからの光を受けて突き当たりの壁が光っている。空間の壁には光が這っていない。
ぐちょっという泥を壁にぶつけたような音が聞こえた。
「何かいる」サンは言った。
後ろにデデがいた。通路は広い。目が合うとデデはサンの隣に来た。短剣を持って中腰になる。
サンは貯蔵庫の空間から充分離れた場所で止まった。ぐちょっという音がまたする。ゆったりした足音のリズムだ。
武器を構えたサンの先に、腐って黄色く光る足が現れる。ぐちょっ。次の一歩で全身が現れる。ぐちょっ。
身長170センチ、人間の死体だった。服は残っていないが顔や上半身の姿は残っていて、男であることは一目瞭然だった。膝から下が食い荒らされていて脛の骨まで見える。腹に穴が開いていた。そこから垂れる液体が足でテラテラ光っている。内臓全体が垂れて下腹部に集まりぐちゅぐちゅという音を立てている。
ワイトになった時点で腐敗が止まるので臭いもそこで止まる。見た目は臭そうだが無臭だった。
顔は30代か40代といったところで、目だけは鼠に食われてぽっかり穴になっていた。どこを見ているか分からない。
サンは相手の思考が読めないという初めての感覚を覚えた。
「うげっ。なにこれ?」
「ワイトだな。見たことある」デデが言った。「そんなに強くはない。バラバラにすれば動きは止まる」
輪郭が黄色い光でゆらゆら揺れている。
ぐちゃっとこちらに一歩寄ってきた。サンは動こうとするのだが動けない。足が前に出ない。
さらに一歩、寄ってきた。動きは緩慢だ。次の一歩でサンの攻撃の間合いになる。これまでのサンだったらコボルト相手に踏み込んでいるシーンだった。
「おい? どうした?」デデが言った。
それ以上の時間はなかった。サンは気を取り直して踏み込み、相手の腕に斬りつけた。腕は普通の人間の腕のままだった。そこからはサンの体が動いてぐちゃぐちゃのそれを床にぶちまけた。手の指は動き続け、膝や腰もくねくねと動いた。バラバラにした頃にやっとサンの体が自分の思ったように動いた。
「どうしたんだ?」デデが聞いてきた。彼は結局、一回も攻撃を手伝わなかった。
額に汗が浮いていた。剣を固く握っていて拳が開かない。サンは深呼吸した。「すいません。なんか僕、アンデッドが苦手みたいです」
「ん? そうなのか?」
「これが初めてですけど、たぶん……」
肉片の動きは徐々に小さくなっていた。
フェイントもなく、怪我をしての躊躇もない。意図や意思が見えないので駆け引きがなかった。ただこちらの存在を認識はしているようで、攻撃はしてくる。ただその攻撃に悪意も殺意もない。致命傷を恐れるでもなく急所をさらけ出したままこちらに手を伸ばしてきたり、口を開いて噛み付こうとしてきたり。
「なんかこう、動きが読めない。すごく苦手だ。やりにくい……」サンはへたりこんでしまった。「すいません。疲れました」
「お、おう」デデは床の肉片を検分した。「いい指輪をしているな。身分は悪くなさそうだ」
デデが持ち上げた指に黄色い光はくっついていない。動きも止まっている。そこに大きな指輪がはまっていた。
ちょんちょんとナイフで叩いてみる。軽い金属音がした。それから慎重に指で触れてみる。最初は一瞬だけ。それから問題ないと判断して指からそれを抜き取った。つまんで目の前にもっていき角度を変えて観察する。
横にいるサンにもそこに埋められた大きい宝石が見えた。指輪そのものも金のようだ。自分が預かるのは嫌だなと思ったが、デデはそのまま自分のズボンのポケットに入れた。
「大丈夫なの?」
「呪われてはいないみたいだぜ」デデは床を見渡した。「金目のものはこれくらいか」
黄色い光は再びゆっくりと壁や天井を這って広がっている。奥の貯蔵庫の床も光り始めた。サンは立ち上がり、そちらへと進んだ。「じゃああっちを調べましょう」
「おう」デデも立ち上がった。
ビャペラの3人は床の肉片を慎重に避けて続いた。最後のランスがそれに続く。
サンは入口の扉の残骸で足を止めて左右を確認した。左に空間は何もない。右の壁の中央が黄色く光っていた。人が
「『夫人』だ……」
ビャペラのリーダーが立ち止まり、その黄色い光を見て呆然としていた。他の2人も言葉を失っている。
地元の人間の方がこの存在はリアルだった。子供の頃から聞かされてきた話でもあった。嘘ではなかったという興奮より、禍々しいエピソードからの畏怖の方が強い。幼児の気持ちに戻って悲鳴をあげたいくらいだ。母親に、言うことを聞かないと夫人がお前を地獄にひきずりこむよと何度言われてきたか分からない。
6人全員が貯蔵庫に入り、磔にされた人の形をじっと見ていた。
最初にデデが動き、その正面に立った。「全身火傷だらけだが、チョーカーだけ身につけているな」そう言って自分の首をさする。
サンも続いた。夫人が磔になっている位置は床と同じ高さだった。身長はサンと同じくらい。
髪はない。額から頭頂部、側頭部、どちらにかけても焼きゴテを当てられた跡がある。眼球もなくなっているが生前に失ったものかは分からなかった。口が開いている。歯がない。こちらは間違いなく拷問で抜かれたものだ。どんな死体でも普通は歯は最後まで残る。口の中まで黄色く光っていた。灯りのせいで喉の内壁まで見える。首から下も火傷の跡だらけだ。皮膚がたるんでいたりするのは、元は豊満な体型だったのが一気に痩せて、さらに火傷で歪んでしまったからだろう。元の姿は想像できなかった。乳首も切り落とされている。下半身には傷がなかった。股間の陰毛も黄色く光っている。何かされた形跡はない。
両手両脚が石壁に鎖で繋がれていた。そして指が細かく動いている。6人が夫人の前に集まると、その死体は首が動き、口をパクパクさせ始めた。
背後からの黄色い光の流れは夫人に向かって着々と集まってきている。口や鼻から中に吸い込まれるだけでなく、足や手の爪の隙間からも吸収している。無音だが、耳をすませるとシューという音が聞こえてきそうだ。
その首にはデデが言ったようにチョーカーが巻いてある。真っ黒で飾りのない家畜の首輪のようなチョーカーだ。
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