第8話 光る洞窟

「デデさんは森に戻って見張っててくれませんか? 奴らが来たら合図してください」

 デデは頷いた。「分かった」言われた通りに森に戻って姿を消した。

 サンとランスは改めて見張りがいないことを確認して慎重に洞窟の入口まで近づいた。脇に立って中を覗き込む。

 洞窟は自然の穴だった。大小の石が崩れて互いに支え合って空洞を作っている。入口は最近できたようだ。砂や土に泥がつき、雑草の新芽が出てきている。四つん這いにならないと入れない。奥は広い。立って歩けそうだ。普通なら見えないはずの距離までずっと見える。というか闇はなく、壁がすべて見える。岩が内部を支えていた。松明で照らすような光の強弱もなく、一様に全体がうっすらと黄色い。

 暗くないので恐怖はない。そのかわりに不自然な違和感がある。

「聞いていたけど、なんだろうね。これ」サンは言った。

「魔法なのかな? よく分からん」ランスが応えた。

 サンは中に手を入れた。壁に触れず、かざすように手を動かす。「壁が光ってるんじゃないんだ。見て見て。壁に沿った空気が光ってる」

 壁が光っているなら手の甲が暗くなるはずだ。しかし、壁に近づけると手の甲そのものが照らされて黄色くなった。逆に手の影が壁に落ちる。てのひらを引っくり返して表裏を照らしてみる。どちらでも光り方は変わらない。手相に光が当たって、岩より手の方が白いのでそこが一際黄色くなる。

「手の動きに合わせて光が揺れるな。空間というより、空気とか埃のようなものが光っている感じ。あまり肺には入れない方がいいね」

 ランスが床や天井を見て、「それが壁面全体を覆っているのか」と自分も手を入れて触れられないそれをゆらゆらとかき混ぜた。「魔法じゃないな。魔法ならこんな風にはならない」

 サンが洞窟の中を指す。「コボルトの通った跡があるね」

 ランスは分からなかったようだが、サンの目には最近付いたと思われる泥の足跡がはっきりと見えた。

「臭いはよく分からないな」サンは言った。「ちょっとけもの臭がする気もするけど……これがコボルトの臭い?」

「俺も分からない。多分、そうだな。犬みたいな臭いだ」ランスも鼻をひくひくさせた。

 地面を石が転がってきた。デデの合図だ。

 サンは洞窟から離れた。「連中が来た。隠れて先に行かせよう」

 ランスも無言でうなずきそれに従った。森に隠れるとデデと合流する。

「どんな感じだ?」

「たぶん中の方にいます。本当に光ってて明かりが要らないです」

 しばらくして森の中から話し声が聞こえてきた。討伐数の勝負をしている上に、コボルト退治に来たというのに呑気なものだった。

 3人は森の中で息をひそめた。

 ガサガサと音がした。光る洞窟だ、気をつけろという声が聞こえた。言葉とは裏腹に気をつけている様子がない。サンたちが先行していると思って油断しているようだ。3人はそのまま洞窟前に姿を現した。隠れているサンからも丸見えである。

「なんか妙に軽装じゃないですか?」サンは言った。

「俺たちを追い払うだけのつもりだったんだろ。コボルトを退治するなんて想定外だったんじゃないか?」デデは愉快そうだ。

 ビャペラの3人は洞窟前で何か話している。声は聞こえない。

 横にいたデデが適当なアテレコを始めた。「俺は田舎の都会のお山の大将。お前らゴロツキ俺の部下。コボルト殺して親指狩って、田舎のギルドのあたま取る、ビャペラ!」

「ぶっ!」最後のチェケラにやられてサンは笑いを殺した。幸いにも気づかれなかった。「やめてくださいよ」

 ランスが空気を無理矢理変えた。「入っていく」

 洞窟の崖の前後や頭上をチェックしていたが、リーダーの男が部下に先に行けと命じたようだ。おっかなびっくり部下の2人が入っていく。その物腰を見て、怪物退治そのものが初めてだと分かる。必要以上にビビりすぎている。最後にリーダーが後ろを振り返り——サンの隠れている方もちらりと見た——洞窟へと消えた。

「少し時間を置きますか」サンはその辺の木の根に腰を下ろした。

 手練の冒険者ならともかく、あの様子の冒険者にコボルト30匹は無理だ。途中で疲れて全滅するか、無理と気づいて戻るかのどちらかだろう。サンでも分かる。ランスも分かっている。デデもだ。

 焦って追いつかない方がいい。

 ただの静かな穴となった洞窟の入口をサンはじっと見ていた。「……あんなに明るいなら灯りを持ってこなくてもよかったかなあ」背負袋にくくった松明を見る。

「光る洞窟に灯りは要らないって言われてるからな。たぶん、今回は使わないと思うぜ」デデは皮袋の水を飲んだ。

 サンとランスもそれにならって水分補給をした。

 もう朝の鳥は鳴いていない。

 3人はそれぞれの顔を見た。こういうのは言葉がなくても伝わる。もう充分に時間は経過した。3人はよっこいせと立ち上がった。

 周囲を警戒する。外にコボルトはいない。洞窟の入口まで移動して中を見た。新しい泥が落ちている。まるで血痕のようだ。洞窟の反響による鈍い音色で、遠くの戦闘の音が入口まで聞こえてきた。人がせわしなく動くときの服や荷物の音と、激しく地面を踏むときの足音。体当たりのような肉と骨の音。ゴッ。グッ。ドッ。

 デデが、声が響かないように小さく言った。「本当に明るいな。目が慣れれば充分にいける」

「ですよね」

 サンは警戒しつつ這って進み、中で立ち上がった。口に光が入りそうなので這ってる間は息を止めていた。中は頭の上に1メートルの空間がある。剣を振り上げるのはやめておいた方がいいが圧迫感はない。これより天井の低い貧乏人の家はいくらでもある。手持ちの武器は刃渡り1メートルほどの曲刀と20センチの短剣だが、今回は短剣メインになるかもしれない。サンは腰の鞘から短剣を抜いた。

 好奇心を抑えきれず、洞窟の壁に手を触れてみる。手の甲がぼうっと光る。岩の表面を漂う光は岩に触れた手首の突起——足で言うところくくるぶし。正しくは茎状突起けいじょうとっき——の距離に存在している。そのあたりが一番まぶしい。くすぐったい気もする。短剣を持ったまま手首を指で掻いてみる。特に何もない。オーラというべきなのかなんなのか分からない。人体に急激な影響を与えるものではなさそうだ。

 両手ですくうようにしてみた。光は揺れて、両手の中に溜まる。手の器を開いても光は下に落ちるわけでもなくゆらゆらと薄くなって広がっていく。むれから離れた動物が仲間のところへ戻っていくようだ。

 手であおぐようにするとゆらゆらと光の波紋が広がっていく。

 横で似たような観察をしていたランスが、「なんかしらの空気みたいだな。光るガスというか……」と言った。

「そうだね。綺麗なような不気味なような……」サンはそこで観察を打ち切った。

 洞窟は奥へと一貫して下っている。そして奥に行くほど広くなっていた。貰ったマップによるとこのまま別荘の二階へとつながっている。土砂崩れで埋まってしまった別荘の二階の窓に自然洞窟の穴から入る形になる。この別荘に地下はない。中の階段から一階に下りれる。建物までの自然洞窟はゆるやかにカーブしている。天井も高くなってきたのでサンは短剣をしまった。

 戦闘の音はまだ遠い。警戒はしつつもテンポよく通路を下っていった。灯りを持参していないので足音に気をつければ見つかる恐れがないので追跡は気楽だった。

 自然洞窟から屋敷の二階への入口でコボルトの死体が2つあった。右手の親指は切り落とされている。

 サンはコボルトを見るのは初めてだった。犬の頭をした二足歩行の小人という姿をしている。身長はどんなに高くても140センチ未満で大人の人間の胸くらいまでの高さしかない。全身が体毛に覆われているが手足の構造は人間と同じなので道具を持つことも作ることもできる。知能もそこそこ高い。死体の近くにも木の棒が落ちていた。服は着ないので基本全裸だが鎧や盾を装備することはある。弓は扱えないが投げ槍程度ならば普通に使うと聞いたことがあった。

 人型で犬の顔なので死体の印象はかなり人間に近かった。手と頭をばっさりやられている。

 サンとランスはまだ背が低いのでそこまで身長差はない。

 配置から推察するに見張りだろう。そして屋敷の中から聞こえてくる戦闘音は一気に臨場感を増してきた。すぐそこで戦闘が行われている。

 3人は別荘の中へと入った。足元が土から木の板に変わった。カーペットはすでに影も形もなくなっていた。

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