第2話 光の正体 その1 前編
妻の方は狩りの趣味はなく、また、夫が彼女のほかに愛人も一緒に同伴させるので心中は穏やかではなかった。
この別荘に滞在すると必ず一人の男が大きな荷物を持って夫人を尋ねてきた。この地域だけで商売をしている呪術師で、ほかでは見ることのない秘薬をいくつも持ち込んでは夫人にそれを売り込んでいた。最初は半信半疑だった夫人も、試させた下女に確かに効果が現れてからは、不思議な紋様の刻まれた容器に入った若さを維持する塗り薬というものを毎年買い占めていた。信用してからは部屋の者を下がらせて一対一で買い物をするようになった。どのような薬を買っているかは付き人にも知られたくなかった。夫人は当年で四十歳だが、老いを気にしている思われたくなかった。
その年もいつもの取引が終わり、男が金の勘定を終えると、いつものように別の品々の売り込みを始めた。いつものと違うのは、その年は美容についての売り込みではなかったという点だ。
「ほかに何かお入り用のものはございませんか?」男は常に異臭を漂わせていた。「若さを維持する秘薬もございますが、証拠を残さず人を殺す毒などもございます」
夫人はそのダイレクトで品のない物言いに一瞬、体を固くした。誰が聞いているか分からない。こういうときは、憂いを排除する薬や心配事を解決してくれる薬などと言うものだ。
夫人も多くの修羅場を乗り越え、暗殺の手から逃れ続けて今の地位があった。人を見る目はあるつもりだ。この呪術師とも行商人とも祈祷師とも、正体のよく分からない男は自分の味方だろうか?
「いつ気づいた?」彼女は言った。「最初からか?」
男は答えない。顔を伏せて床を見ている。まだ若い。夫人はその顔に野心のようなものを見た。このような提案は男にとっても諸刃の剣である。殺されても文句は言えない。一か八かの賭けに出ている。
「最初からではございません」男はたっぷりと間を取ってから言った。「最近の様子を窺いますに、そのような薬も
今も部屋には他に人はいない。しかし夫人は顔を上げて部屋の中に誰もいないことを確認せずにはいられなかった。
提案を聞いた直後に、そのような薬は不要だ、去れ、二度と顔を見せるなと男に言えなかった時点で本来の駆け引きは終了していた。夫人は沈黙したままだったが、その沈黙が薬への興味を露骨に示していた。
夫人は何も言えないままだった。去れとも言えなかった。
男は荷物の中から小袋の一つを取り出した。「これなどは服用して二週間後に
夫人はその布袋をじっと見つめた。濃い木の根のような茶色をしている。口は三重に折り畳んだところを紐で縛って留めていた。表面から毒が漏れているような気がした。
男は親指ほどの小さな瓶を取り出した。「こちらを飲むと顔や全身に吹き出物が現れます。そこが腐って二度と見れない醜い姿になってしまいますが、命に別状はありません」
夫人は思わず口元をほころばせてしまった。
「こちらに興味がおありで?」
夫人は微動だにしなかった。何も返事をせず、黙ってその瓶を見ていた。デザインは香水の瓶のようにも見えるが、中身を聞くとどうしても風靡とは感じられなかった。
男は小瓶を自分の荷物台の上に置いた。夫人の目に嫌でも入る位置だ。さっきまで若さを維持する秘薬や髪の艶を復活させる薬を置いていた台だとは思えなかった。
沈黙があった。
夫人は男が次の薬を出すのかと思った。だが男はそれからしばらく何も動かなかった。
男は山を駆け回る狩人の服装をしていた。暗い上着とズボンに厚手の外套を羽織っている。商談の際に外套は脱いで横に掛けていたが、それでも薬草や珍しい動物を探すために日夜山に入っているという生活を伺わせた。顔以外のほとんどの肌を外に出していない。両手にも布を巻いて指を出さないようにしている。その下の指に鉤爪があっても、舌が細長く先が割れていたとしても、夫人は驚きはしなかっただろう。目は見える。瞳孔は普通の丸い瞳孔で、猫のような縦長には見えなかった。黒くて深い、真意の見えない目だ。
男は今度は何も見せず、言葉だけで、「そのほかにも、苦痛だけが続いて苦しみながら死に至る拷問用の薬などもございます。飲んだ者が死を願うほどの苦痛です」と言った。
夫人は軽く頷いて、諸々のやりとりに容認の姿勢を示した。「いくらだ?」
「大変貴重なものです。安くはありません。しかし奥様にでしたら金貨100枚でお譲りしましょう」
「はっ」夫人は笑った。「大きく出たな」
この場でぽんと払える金額でもなく、夫にバレない金額でもない。
「しかしこちらは」と男は台の上の小瓶をちょっと見てから言った。「本当に大変貴重なものです。私が生きている間に何度も手に入れられるものではありません」
口調は実に丁寧だ。駆け引きではあるが、夫人に不利な駆け引きだ。男には売らないという選択肢がある。しかし夫人には選択肢がなかった。
「いいだろう」夫人は小瓶をちらりと見た。「それを貰おう」
「ありがとうございます」男は深々と頭を下げた。「全量は不要です。この瓶の中身の半分を食事に混ぜるだけで効き目がございます。熱に弱いのでできれば熱々のスープなどは避けてくださいませ」
「分かった」夫人は外に向かって言った。「誰か!」
女中が入ってきた。「失礼します」
「この者に金貨100枚を」
女中も戸惑ったがすぐに、少々お待ちくださいと言って退出していった。簡単な買い物ではないがおそらくは話が通るだろう。夫は愛人に夢中だ。買い物で機嫌が直るなら安いものだと判断する。
機嫌は直るさ。すでにこの買い物で半分は直っている。残りの半分はグズグズになった小娘の顔を見れば直るだろう。
「どのくらい醜くなる?」
「それはもう、最高に醜くなります。ご期待に応えられます。満足いただけなかったらもちろん返金いたしますので」
「約束だな」念を押す。
「はい」
「そうか。楽しみだ」
夫人はようやくその小瓶を男から受け取り、しっかりと懐に入れた。
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