♯6 浮かれた私がバカだった

section9




 こんなに浮き足たつ思いで時が過ぎるのを待つのはいつ振りだろう。


 遠足、修学旅行、家族旅行の前日?


 ううん、違う。


 その時の気持ちをワクワクと表現するならば、今はルンルン。


 どこかこれまでとは異なるタイプの高揚感に包まれている感覚があった。


 それは今回の楽しみが、私の人生において珍しい異性との関わり合いの中で生まれたものであるからかもしれない。


 憧れだった碧水に通うちょっとカッコいい男子が、何故か私のピアノに夢中になってくれている――その事実に私の心が踊った。


 早起きして、朝のルーティンを終わらせて、今日はどんな格好で出かけようかな、と自分の部屋でじっくり考える。


 張り切り過ぎるのはかえって痛々しいと昨日学んだばかり。


 ちょうど長袖が活躍する季節に入った事だし、春休みに購入したシャツワンピースなんかどうかな?


 買った後になって青と白の細いストライプ柄が地味に思え、出番が少ないままシーズンを終えてしまったけれど、改めて考えれば適度に大人っぽくていいかもしれない。Iラインが強調されたシャープなシルエットも小綺麗な印象を与えるし、きちんと着こなせば利点が多い。


 メイクは下地だけ塗って、色付きリップとヌーディーカラーのネイルでさり気ないアクセントを加えよう。


 そしたら派手過ぎず、ちょうど良いお洒落感を出せるはず。


 どうしたのだろう、急に頭が働くようになった。


 アイデアのもと身支度を整えて、時計に目をやる。


 町瀬くんとの待ち合わせの時間まで、まだ5時間ほどの余裕がある。


 暇だな、何をして過ごそう。……そうだ!


 私は以前から気になっていた筑紫野市の原田駅前にあるカフェの事をふと思い出す。


 フルーツを沢山使ったパフェが人気で、市外から訪れる人も多いと、ローカルニュースで取り上げられているのを見て、一度行ってみたいと思っていた。


 せっかく早くから外出の用意を済ませている事だし、今から行ってみようかな。


 妙にアクティブな気分である事も手伝い、店の住所や営業時間をスマホで簡単に確認すると、愛用のポシェットを肩から掛けて私は家を出た。


 ◆


 原田駅のプラットホームへ降り立つと、秋らしい清涼な空気が体を包み込んだ。


 年季の入った駅を出て、ロータリーを抜ける。


 しばらく東向きに歩いたところで、『cafe・Fairy』の吊るし看板をさげたキューブ型の建物が見えてくる。


(あれだ!)


 木の温もりを感じさせる全面板張りの外装が目に優しい。


 私は観光気分で、まずはカフェの外観をスマホのカメラに収めた。


 店に到着し、片開きのガラスドアを開ける。カランコロン。上部に設置された金色のベルが来客を知らせる。


 入ってすぐの右側にL字型のカウンターがあり、その向こう側に居た店主らしき中年男性が「いらっしゃいませ、お好きな席にどうぞ」とほがらかに迎えてくれる。


 私はキョロキョロしながら店内を歩いていき、最奥さいおうの丸テーブル席に着席した。


 同じような2人掛けの丸テーブル席が10席、4人掛けの大型テーブル席が5席。思ったよりも広い店内だった。


 既に席の5分の1ほどが早い時間帯から訪れた客たちによって埋められている。モーニング目当てかもしれない。


 テーブルの端に立てられているメニューブックを手に取って開く。


 ページの左側にドリンクメニューが、右側にフードメニューが載せられている。


 せっかくだから目玉のパフェを食べてみたいけれど、よく考えたら朝ごはんを食べたばかりだから、量のあるものは入らないかもしれない。


 何で私はこうも行き当たりばったりなのだろう……。


 でも、丁度いい具合にミニサイズのパフェがあることに気づく。


――いろどりフルーツとバニラアイスのパフェ。


 他のものがトールタイプのパフェグラスに果物や生クリームをぎっしりと詰め込む中、それだけ、浅型のデザートカップに果物とアイスが控えめに盛り付けられている。


 私はそれとホットコーヒーを注文する事にした。


 ハンドベルをゆっくり振る。スマートな内装と調和するような澄んだ高音が店内に響く。


 間を置いて、カウンターの後方に設けられた厨房の中から、1人の女性スタッフがオーダー伝票を片手にやってきた。


 そして型通りのやり取りをして戻っていく。


 それから5分ほどで、私の注文した料理が運ばれてくる。


 さっきと違う人だ、と思っていたら、「朝からお出かけ? 桜井さん」と声を掛けられる。


 突然の事に驚いている間に、パフェとコーヒーがテーブルの上に置かれる。


 この声、この顔――。


「夏目さん……?」


 ユニフォームを着用し、長い髪を後ろで束ね、メイクをバッチリと決めた学校の時とは大きく異なる姿をした夏目さんが目の前に立っていた。


 どうしてここに、そんな私の心の声を読み取ったかのように「私、ここでバイトしててね。近くに住んでるの」と夏目さんが言った。


「そうだったんだ、全然知らなかった……」


「ゆっくりして行ってね」そう言葉を残して去っていく。


 とても意外だった。


 成績が良くいかにも優等生然としている夏目さんとアルバイトが結びつかない。


 お小遣い稼ぎに精を出すぐらいなら勉強を優先するタイプであるように思えたから。


 その後、オーダーや配膳の為に店内を行き来する彼女の姿を、パフェとコーヒーを頂きつつ、遠くから眺める。


 一度目が合った時、小さく手を振ってくれた。


 私は挙動不審に頭を下げた。


 相手はクラスメイトなのになんて他人行儀な反応なのだろうと自分でも思ってしまう。


 不躾な話だけれど、元の素材が良くメイクも映えているせいか、可愛いユニフォームに身を包むカフェ店員の姿がとても様になっていた。


 私ではあんな風にはなれない。


 男性客からの人気も高そう。それが良いことか悪いことかは別にして。


 パフェは思った通りのサイズで、とても美味しく、満足できた。


 バニラアイスで冷えた体内をホットコーヒーで温める。


 それからしばらくコーヒーを味わいつつ物思いにふけ、飲み終えると、伝票を持ってレジカウンターに向かう。


 こんなところで夏目さんに会った衝撃で料理の写真を撮るのを忘れてしまった。




 section10




「よっ」


「町瀬くん……!」


 私が月沢駅に到着すると、町瀬くんはもう来ていて、ベンチに座りながらくつろいでいた。


 いつも先に待っていてくれるのを嬉しく思う。私に会うのを楽しみにしているみたいで。


「今日は人気だな」架け橋ピアノの方を指差しながら彼が言う。


「さっきからずっと誰かしら弾いてたんだ。それでちょうど空いたと思ったら桜井が来た」


「そうなんだ。じゃあさっそく弾こうかな?」


 私がピアノに向かうと、彼もスッと立ち上がってピアノに近づいた。


 前のように荷物を持っていて貰うのは悪いので、ポシェットをこっそり隣に置いた。


 楽譜なしで弾ける曲はそんなに多くないから、以前と被ってしまう曲もある。


 町瀬くんはそれに気づいているだろうけれど、特に気にした風もなく、ご機嫌そうに私の演奏に耳を傾けてくれた。


 ピアノの右隣の数メートルほど先に彼が直立し、ピアノから放たれる音の波を全身で受け止めている。


 1人の奏者と1人の観客。小さなステージに上がっているかのような気分だった。


 気持ちがたかぶっているせいか、幾ら弾いても指や腕に疲れを感じる事が無く、あっと言う間に5、6曲ぐらいを弾き終える。


 もうそろそろ時間かな、と残念に思っていると、これまで黙って聴いていた町瀬くんが「1曲、リクエストいいか?」と言ってきた。


「リクエスト?」


「ああ。桜井が作った曲。たしか、初めて会った日に弾いてた……とにかく明るい感じの……」


 私はピンときた。


 のことだ。


 タイトルすらない曲だけれど、その情報はしっかり私の頭に刻み込まれている。


 様々なクラシックやJ-POPを差し置いて、それが聴きたいと言ってもらえて光栄に思う。


 うん、私は大きく頷いた。


 貴重なリクエスト――。これまでで一番と言えるぐらい音の1つ1つを丁寧にそして綺麗につむいだ。


 演奏に集中するあまりかたい表情になってしまっているのが自分でも分かった。


 ◆


 最後の音の響きが消えるまで、鍵盤の上に手を置いたまま私はじっとしていた。


 それから、得意な気持ちになりながら顔を上げる。


 町瀬くんは、どんな反応をしてくれるかな!


 すると――。


 いつの間にか町瀬くんの隣に見知らぬ人が立っていた。


 パーマをあてた長い金髪、まだ夏らしさを感じる半袖のデニムシャツ、黒いカーゴパンツ。


 サングラスを掛け、左手をポケットに突っ込み、右手にはスマートフォンを持っている。


 袖から覗く腕に、タトゥーのような黒い模様が見えている事に気づき、私はギョッとした。


 誰? 怖そうな人――。


「レイちゃんって言うんだっけ?」唐突にその金髪の人が私に向かって口を開く。


「えっ? ……あの、そうですけど」


「いい名前してんじゃん」


 なぜか名前を褒められた。


「で、どうなんだ?」町瀬くんが金髪の人に尋ねる。どうやら彼の知り合いらしい。


 私には何が何だか分からなかった。


「イブキが何て言うか楽しみだな」サングラスを頭の上にズラしながら金髪の人が答える。


 レンズの下から意志の強そうな鋭い一重ひとえの目が現れ、私の事をじっと見つめる。


 不意にニヤッと笑った。「澪ちゃん。もらうよこの曲」右手に持ったスマホを振ってみせる。


 理解が追いつかない。私は口を半開きにさせて椅子の上で硬直した。


「ところで奏多、この子と連絡先は交換したのか?」


「あっ……してねー、そういえば」


「お前いつも肝心なところで抜けてるな」


 2人が私の方に向かって歩いてくる。


 無意識に金髪の人の腕に入った模様の一部を読み取る。


 チューリップ?


 威圧的な風体からは想像もつかないような、妙に可愛いらしいイラストが描かれていた。


 違和感を覚えるれど、今はそれどころじゃない。


「なあ桜井、俺と連絡先交換してくれないか?」町瀬くんが私を見下ろしながら言う。


 本当であれば、それは嬉しい提案だったと思う。


 でも私は何も返す事が出来なかった。


 突発的なこの状況をどうにか理解しようと、頭を無理に働かせようとする。


 するとかえってパニックになる。


 私は混乱のままにポシェットを持って立ち上がり、その場から駆け出した。


 あの怖そうな金髪の人は誰? 町瀬くんとどういう関係? 曲をもらうってなに? 連絡先を交換してどうするの?


 様々な疑問が脳内を駆け巡る。


「おいっ待てよ、桜井!」


 町瀬くんが慌てて私の後を追う気配がした。


 足の速さでは敵わない、そう思った私は女子トイレへ飛び込む。


 そして個室に入って鍵を閉めると、耳を澄ませて、ドア越しに外の様子を探った。


 さすがにここまでは追ってこない。


 それからしばらく、私は呆然としたようにドアにもたれ掛かった。


 彼の事を分かりかけたと思っていたのに、再び赤の他人に戻ってしまったような感覚に襲われる。


 突然わけの分からない目に遭わされた事による彼に対する不信感が私の中で急速に広がった。

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