♯1 myスクールライフ

section2




 翌日の朝、私は慌て気味に自転車のペダルを漕いで学校に向かっていた。


 家を出たのが8時10分前後。到着する頃には恐らく8時20分ぐらいになっているはず。


 SHRの始まりは8時30分だから、まだ時間に余裕はあるのだけれど……。


 ほとんどの生徒が揃ったクラスに一人で入っていく時の空気感が私はあまり好きではない。


 誰か入ってきた……って桜井か。


 あ、今日は来んだ。


 ほんの一瞬、そんなジロッとした視線を周囲から一斉に集め、なんだか居心地が悪いから。


 それで、学校に行く時は出来るだけ目立たないようにやや早い時間帯に登校し、あとは自分の席でじっとしている。


 二十四節気にじゅうしせっきの上ではとっくに『秋』に突入しているというのに、東の空からは夏張りの強い日差しが照りつけ、私の体をじんわりと暖める。


 心に余裕がない今は、それが妙に邪魔くさい。


 それから学校の敷地内に入ると、駐輪場に自転車を止め、スクールバッグを肩に掛けて西館の靴箱へ向かう。


 その途中、前の方から「おはよー」と、抑揚のない大きな声が響いてきた。


(あ、村山先生……)


 どこかへ向かっている途中らしい、体育主任の男性教師と鉢合わせをする。


 職業柄を感じさせるサッパリとした坊主頭と筋肉質な大きな体がトレードマークだ。


 その図体と中年らしい低い声に萎縮してしまい、私は軽い会釈だけでそばを通り過ぎようとした。


 それが良くなかったみたい。「おいっ! ちょっと!」ととがめられる。


「は、はいっ?」


 私がビクッとしながら後ろを振り返ると、先生が細い目をギロっと光らせてこう言った。


「朝はしっかり腹から声を出して挨拶をする! それでこそ気持ちのいいスタートが切れるんだから」


「すいませんっ……」


 私は慌てて謝罪の言葉を口にした。


 しかし先生と別れた後になって、内心、なんてお節介なのだろうと腹が立った。


 細かいことで一々注意してきて、余計学校嫌いになったらどうしてくれるのか。


 そんなこんなで、気持ちのいいスタートとは真逆の中、昇降口に辿りつく。


 SHRが始まる10分から15分ぐらい前に登校のピークを迎えるので、両開きのアルミ戸をくぐると、中は多くの生徒で混雑していた。


 でも、偶然にも私が所属しているA組の下駄箱の辺りには誰もいない。


 偏差値の高い学校は校則が緩いと言われがちだけれど、幸いうちの高校もその傾向に当てはまる(?)ようで、染髪、メイク、バイトなど年頃の高校生が興味を持ちそうな大抵たいていのことが許されていた。


 通学靴についても特に指定は無く、私は機能性の重視からコート系のスニーカーを履いている。


 黒いアッパーにクリーム色のソール。――全体的にシックな色合いで足元の主張が強過ぎず、意外と制服に馴染むので、デザインは二の次でありながら割とお気に入り。


 それを脱ぐと、石造りのがりかまちまたいで、表面がやや黒ずんだ木製の床へ上がる。


 そして自分の名前が書かれたロッカーの扉を開け、脱いだばかりのスニーカーを上の段に入れた。


 その下の段には、男女共通で爪先が緑色になっている上履きが仕舞われていて、それに手を伸ばす。


 その時、私の左隣から誰かの声と気配がした。


「桜井さん、おはよう」


 凛と澄んだ響きの中に優しさがある。その特徴的な声の主を推測しつつ顔を左に向ける。


 思った通り、背筋の通ったロングヘアの女子生徒がそこに立っていた。


 A組のクラス委員を務める夏目なつめ琴葉ことはさんだ――。


「……あ、おはよう、夏目さん」


 責任感が強く親切な性格の持ち主である彼女は、不登校とした私の事を何かと気にかけてくれている。


 ノートを見せてくれたり、同じ班に入れてくれたり、周知事項を教えてくれたりと、彼女に助けられた場面は多い。


 遭遇した相手がクラスの中で一番馴染みのある生徒であったため、少し安心した気分になる。


 また、このまま夏目さんと一緒にクラスに向かえばあまり緊張せずに中に入る事ができるかも、と打算的な考えが頭をよぎった。


 彼女の手元を見ると、優等生の夏目さんらしい良く磨かれたダークブラウンのローファーがロッカーの中に消えていった。


「それにしても、今の時期は動くと熱いね、まだ」


 片手で顔をパタパタ仰ぎながら夏目さんが言う。


 風に乗って石鹸っぽい香りがかすかに漂ってくる。恐らく制汗剤の香り成分。


(そういえばダンス部に入ってるんだっけ)


 運動部特有の朝練で、この時間まで体を動かしていたのだと私は悟った。


「う、うん、私も急ぎ足で来たからちょっと暑いかも……!」

 

 せっかく話を振ってくれたのだから無言でいる訳にはいかない。


 会話を楽しむ為というより、一種の義務感から、そう言葉を返した。


「今から教室に向かうんでしょ? 一緒に行こ」


「うん……!」


 私は慌てて上履きを取り出して足を突っ込んだ。お陰でバランスを崩しそうになる。


「そんなに慌てなくても大丈夫だよ。チャイムまでまだ時間あるから」


 夏目さんがおかしそうに笑う。


 私が上履きを履き終えるのを見届けるように、夏目さんが静かに歩き出し、その少し後ろをついていく。


 校舎を正面から見て、3階の左端にA組のクラスがある。私たちはそこに向かって階段を登り続けた。


 しばらくお互い無言。


 私の方からも何か話しかけた方がいいかな?


 そう思いながら2階と3階の間にある階段の踊り場に差し掛かった時、不意に夏目さんが立ち止まった。


 そしてキョロキョロと周囲に人がいない事を素早く確認し、真剣な面持おももちでこう尋ねてきた。


「私がこんな事を言うのも差し出がましいかもしれないけど……。桜井さん、?」


 つい2週間前にも担任の先生に同様の懸念をされたばかり。


 図星すぎて瞳孔が開くのが自分でも分かった。


「えっと、だっ、大丈夫じゃないかも……」


 私は首を横に振った。


「やっぱり……。ごめんね、つい気掛かりで聞いちゃった」


 出席日数の事に触れられるのは痛いけれど、わざわざそんな心配してくれるクラスメイトなんて、多分この子ぐらい。


「ううん、気にしないで、夏目さん」


「それで、テストの方は大丈夫なの?」


「そっちは……まぁ、なんとか」


「だよね。桜井さん、テストの日は毎回きちんと出席してたし、開始ギリギリまで勉強してたもんね」


 私は意外に思った。


 そんなところまで見られていただなんて。


 ちょっとくすぐったい。


 思わず目を逸らすと、夏目さんが私の両肩に手を乗せてきた。


――え。


「あと半年で1年生も終わりなんだし、頑張ろっ! せっかく今まで桜井さんなりに努力してきたんだから」


 余計なお世話に近いはずのその鼓舞が、私の心をプラスの方向に動かした。


 夏目さん、そして自分自身に向かってコクっと力強く頷く。


 ◆


 1時間目の体育、2時間目の現代文、3時間目の数学Ⅰ、4時間目の生物基礎を終えて、50分間の昼休みになった。


 クラスの大半の子たちは各々おのおの仲の良い子同士で集まって、家から持参した手作り弁当を食べる。


 でも私は昼休みに突入するや否や、脱兎のごとく食堂へ向かった。


 みんながワイワイする中ポツンと孤立したように昼食を取るのは耐えられないし、ただでさえ私は数少ない外部生なので疎外感がより増幅される。


 だから、弁当よりも学食派。


 うちの学校はバカ高い施設整備費を徴収しているだけあって食堂の規模が大きく、食堂テーブル群のすみの方でコソッとしている限り、あまり目立たずにやり過ごせるのだ。


 また、進んでそうしているのか、そうせざるを得ないのか、同じように“ぼっち”で食べる人も一定数いるので、教室の時よりも孤独感が小さい。


 親としても、その日、学校に行くのか行かないのか分からない娘の為に弁当を作る手間が省けてWin-Win……なはず。


 西館を出て少し歩くと、円形屋根が特徴の食堂棟が見えてきた。


 屋根の形に合わせて大きなカーブを描くカーテンウォールを備えた造りがモダンで美しい。


 中に入ると『彩乃屋・雫ヶ丘食堂』と書かれた小さなプレート看板を頭の上に設置して営業しているカウンターへ向かう。


 博多を中心に展開する飲食チェーン『彩乃屋あやのや』が食堂を運営しているため、こんな名前の看板になったらしい。


 私は歩きながら、スカートのポケットの中からスマートフォンを取り出した。


 校則で持ち込みが許可されている。


 さすがに授業中の使用は禁止だけれど、今のような休み時間であれば幾ら使ってもオッケー。


 雫ヶ丘食堂では食券での購入のほかMealOrderミールオーダーという決済サービスの導入によって、アプリを通じて食事を予約注文することができる。


 体感、食堂利用者の7割ぐらいがそれで注文していて、私もその例に漏れない。


 カウンター付近に1台の券売機と1台のスタンドボードが置かれており、スタンドボードの方にはQRコードを印字した大きな紙が掲示されている。


 私はMealOrderのアプリを開いてそれを読み取った。


 すると、休み時間を利用してアプリで注文していたメニューがスタッフの元に届き、調理が開始されるのだ。


 それが完了すればスマホに通知が入り、あとはカウンターで料理を受け取って好きな席に着席するだけ。


 私にとっては日常に溶け込んだ風景なのだけれど、いつの日だったかHRで学食の話になった時に、年配の担任の先生が「令和だなぁ」としみじみとした風に感想を漏らしていて、ジェネレーションギャップを感じた。


 作り置きがあったのか、すぐに私のオーダーが出来上がる。


「はい、どうぞ」


 カウンターの前まで行くと、白いコックコート、ブラウンのミドル丈エプロンとキャスケットで身を装った女性スタッフが、料理の乗ったトレイを差し出してくれた。


 キャッシュレスの為、お金のやりとりは不要。楽でいい。


 それにしても可愛い制服、まるで喫茶店みたい! と内心で思いつつ、会釈を交えてそれを受け取った。


 料理を落とさないよいうトレイを両手で慎重に持ちながら、後ろの方の席の右端に座る。


――ふわふわ卵の半熟オムライス、菜の花と甘海老のサラダ、果肉入り夏みかんゼリー。


 代金を親が後から負担してくれるがゆえの、何の遠慮もない贅沢な昼食。


 頑張って学校に行っているんだから、このぐらい甘えさせてくれないと割に合わない。


 出来栄えが良いため写真に収めたい衝動に襲われつつ、私はスプーンを持って食べ始めた。


 ◆


 デザートまで付けたせいか、想像以上にお腹が膨らんで、動く気分になれなかった。


 空になった食器類の返却を後回しにして、私はしばらく席でスマホをイジった。


 こんな所で音が出るようなコンテンツを楽しむ訳にはいかないので、漫画アプリを開いて、静かに縦読み漫画に目を通す。


 その時、前の方から「なぁ、このあとカフェテリア行こうぜ!」という男子生徒の生き生きとした声が聞こえてきた。


 声に乗って届く正のエネルギーに惹かれるかのように、私は無意識に顔を上げた。


 すると向かって左側、1番前の席の通路に、スタイルのいい1人の男子が片手でトレイを持ちながら立っていた。


「いいね! 行こ、行こ」


「おおう。でもその前に俺、トイレ行ってくる」


 彼の友達らしき5、6人の男女が、その問いかけに同調しながらゆっくりと立ち上がり、みんな揃って移動を始める。


 例の男子生徒は集団の中央に位置どり、先頭を切るように歩いていた。


 スラッとした長躯ちょうく、シャープな顔立ち、下に綺麗なひたいを晒すセンターパート……あれはD組の水樹みずき怜央れおくんだ。


 優れた容貌や溌剌はつらつとした性格など多くの魅力を持ち、常に誰かに囲まれ、うちの学年の1軍集団の中でもトップに君臨する男子生徒。


 “水樹くん”や“怜央くん”と聞けば大抵の人が「あ、あの人か」と分かるぐらいに名の知れた人物。


 彼の事が学年中に知れ渡るきっかけは、入学式の日にまでさかのぼる。


――え、めっちゃカッコイイ人いる!?


 と1人だけ異彩を放つ男子生徒の姿が、主に女子たちの間で話題になり、それからすぐに彼が筑紫北つくしきた中学校出身である事や、昔からジュニアモデルとして活躍している事など数々の情報が駆け巡った。


 私は漫画そっちのけで彼の姿を眺めた。物珍しさ、目の保養。


 彼が返却口へ歩みを進めるにつれて、少しずつ距離が縮まる。


 まだ遠くの方にいるし、お互いの間には他の生徒たちが障害物のごとく体を並べているので、私の目線に気づかれる事はないはず。


 それにしても綺麗な顔。

 

 シンメトリーを基調とするかのようにパーツの1つ1つの配置が適切で、色恋沙汰に疎い私でもつい惚れ惚れとしてしまう。


 水樹くんの至近距離で、彼に引けを取らないぐらい強いオーラを放つ女子が、軽く腕組みをしながら歩いていた。


 自分のトレイはどうやら他の男子に持たせているらしい。


 たしか彼女、クラスは忘れたけれど、金倉かなくら理衣沙りいささん……っていったっけ。


 彼女もそこそこの有名人。はみ出し者の私ですら名前を思い出せるのがその証。


 立体感のある濃いメイク、耳元でキラキラと光るピアス、茶髪の巻き髪、ここからでも色の識別が出来るネイル。とにかく派手。


 それでいて顔も可愛く、おまけにどこかの社長令嬢との噂。


 上澄み中の上澄みに居る女子。内部進学組みである彼女は、中学時代からのような扱いを男子たちに受けてきたらしい。


 水樹くんと金倉さん。


 高校入学組の“王子様”と内部進学組みの“お姫様”。


 出身は違えど、周波数の合いそうな2人が仲良さげに歩いている。


 私は別世界を覗き見たような気がした。

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