第三章 第一節 アクシデント

午前七時、私は眠気と戦いつつも身支度と朝食を済ませて空間転移でラボに向かう。家からラボまで移動する時間がない分、私は少しだけゆっくりとする時間があり機嫌がよかった。今回はラボの職員全員に私が空間転移の能力があることを伝えてあるのでいきなり転移しても警戒されない。ただ何もないところに急に現れるのには驚くのか、転移した瞬間は周りの目が集中する。少し恥ずかしいがそのうち職員たちも慣れていくだろう。


「あ!やっと来たっすねイブキ!おはようっす!」


「おはようノア。その大荷物でいいんだよね?」


待ち合わせをしていた場所には既にノアがジュースを飲みながら待っていた。ノアの足元には以前よりも大きめではち切れんばかりに膨らんだバックパックが置かれていた。何が入ってるんだこれ。


「むしろイブキは持ち物が少なすぎるっす!ミニマリストってやつっすか!?」


「一応エド閣下にお世話になれるんだから服以外はいらないだろ!この世界のお土産くらいは持って行ってるよ!」


私の荷物は大きめではあるがそれでも肩から掛けて持ち運べるほどのバッグだ。特に持っていくようなものも思い浮かばなかったし、これで充分だと思う。お土産は大きいものじゃないので同じバッグの中に入っている。


「はぁ、イブキがいいならそれでいいっすけど、いざ向こうに行って足りないものがあったとかで戻ってくることになっても知らないっすよ?」


「そんなことにはならないから!ノアこそそんな大荷物なのに変なものしか入ってないとかやめてくれよな!」


「変なものは入ってないっす!食べ物と武器弾薬がほとんどっす!」


ぎゃあぎゃあと喚く私たちにラボ職員が呆れていることに気付いたのはもう少し先の話だった。


「それじゃ行くよ」


「いつでもオッケーっす!」


私は目を閉じて空間転移を念じる。異世界には偶発的に発動した転移の扉を使うことでしか行けなかったが今回は自分の意思で向かう。無事に異世界に転移できるか不安で呼吸が浅くなる。その時、繋いでいる手がぎゅっと力強く握られた。その手からは強く私を信用してくれているのが伝わってきた。失敗なんてしない。いや必ず成功する。私はその手を握り返しながら空間転移を発動した。


「おー!ここに転移したんすね!」


横からノアの声が聞こえてくる。口ぶりからして成功したのだろう。私は目を開いて周囲を確認する。ここは狼の魔物に襲われた場所から少しだけ離れた場所。平原の心地よい風が私の頬を撫でていく。


「うまくいったみたいでよかった……」


見覚えのある景色に再び来られたことを確認すると私はほっと胸を撫で下ろした。


「よーし!それじゃエド学長のところに向かうっすよ!」


「でもちょっと時間が早くない?まだ日の出から時間が経ってないと思うけど」


「多分メイドさんたちはもう起きてる頃っす!話せば入れてもらえると思うっすよ!」


「それもそうか」


空が明るく変わっていくのを眺めつつ、私たちはエド閣下の館へ向かおうとした。その時、進もうとした先の地面に何かが突き刺さった。


「え?なに?」


「イブキ伏せるっす!」


ノアに言われるがまま私は地面に伏せた。ノアはというと何かが飛んできた方を睨みつけている。


「クソ、異能力じゃないっすね!ただ単純に弓で狙ってきたっす!」


どうやら先ほど地面に突き刺さったのは矢だったらしい。矢を見る機会など私には一切なく、少し見ただけでは理解するのに時間がかかってしまった。


「誰っすか!さっさと出てくるっす!」


ノアは背負っていたバックパックを投げ捨て素早く銃を構えた。


「おいおい、随分威勢のいい嬢ちゃんじゃねぇか」


草むらから声が響く。ゆっくりと立ち上がってきたのはみすぼらしいローブを着た筋肉質な男。口元はいやらしく歪み、嫌悪感を抱かせる。


「あんたら、誰っすか?どうして私たちを襲うんすか?」


ノアは鋭い目をしながら銃を男に向けて威嚇するように質問する。


「俺たちは紳士ってやつだ。嬢ちゃんみたいな上玉を捕まえて売り飛ばすのが仕事なんだよ」


「奴隷商人……いや、依頼された盗賊ってとこっすかね」


「大正解だぁ嬢ちゃん!」


何がおかしいのか男は下品な笑い声を上げる。その声を聞いてか男と同じように口元を歪めた男たちが次々と草むらから姿を現した。


「女性をエスコートする割には数が多いっすねぇ」


「いや何、紫電の閃光イグニッションをエスコートするにはこれくらい必要かと思ってね。全く、ボスも人使いが荒いぜ」


「イグニッション……?」


男がよくわからないことを言い出した。ノアにも心当たりがない辺り、異世界ものの定番とやらではないらしい。


「とぼけても無駄だぜ嬢ちゃん。妙な真似してねぇで大人しく捕まるこったな」


「勘違いしてるみたいっすね。あんたらの方が不利なのわかってないんすか?」


「この数で不利だぁ?おもしれぇ事言うじゃねぇか。なら試してみるか?」


男たちがそれぞれの武器を持って殺気立つ。ノアならこの数でも対処はできるだろう。そもそもノアの手には銃がある。勝てないなんてことはない。私はノアを信じ、見つからないように声を潜めた。


「じゃあ試してみるっすか、ねっ!」


先に動いたのはノアだった。弓を持った男に銃口を向け二発撃ち込む。男は何が起きたのかわからないといった顔のまま崩れ落ちる。そのまま別の男に向けて一発。本能的に腕を構えて顔を守ろうとするが、腕に当たった一発は貫通し弾道がそれた影響で肩に当たった。


「さっさとガキを捕まえろ!多少傷ができてもかまわねぇ!」


最初に出てきた男はリーダーだったのか、周りの男たちにすばやく指示を出した。男たちは剣を構えてノアに近付こうと走り出した。


「あーあー戦法がなってないっすねぇ」


ノアは呆れたように鼻を鳴らすと、装備していた手榴弾を手に取った。木の影に隠れながらピンを抜いたノアは走ってくる男たちに向けて軽く投擲した。


「今更石でも投げてきたのか?哀れなもん……」


男が煽ってきていたようだが、その言葉を最後まで話すことはできなかった。ノアの投げた手榴弾が炸裂し、効果範囲一帯にいた男たちは物言わぬ肉片となったからだ。隠れていた私はその様子を見ることはなかったが、想像すると吐いてしまいそうになる。そもそもノアは今人を確実に殺している。その事実が私には耐えられそうになかった。しかしノアが戦っているのは私を守るためだ。以前この場所で彼女が言ったように、彼女は誰かを助けるためにしか銃を使っていない。男たちの命を切り捨てているのは私という命を守るためだ。それがわかっているからこそ、私は涙を流しながらじっとこの戦闘が終わることを待つしかできない。力があっても覚悟ができていない私には戦えるはずがないのだ。


「だいぶ数が減ったっすね。これじゃあエスコートどころか道案内もできないんじゃないっすか?」


ノアが男たちのリーダーに降伏するように呼びかける。そうだ。ノアの力は充分わかったはずだ。これ以上命をかけて私たちを襲う必要はない。


「ぐっ……だがお連れさんはそうでもねぇみてぇだぜ?」


どういうことだ?そう考える前に私は後ろから組み伏せられてしまった。男の仲間が接近していることに気付けていなかったようだ。私は腕をぎりぎりと抑えられ、思わず悲鳴が出る。


「イブキッ!」


「へっへっへっ……こっちの嬢ちゃんもなかなか良い値で売れそうですぜぇ」


「くっ、やってくれるっすね……!」


ノアが悔しそうに私を見る。私はどうにか脱しようと体を動かすが、男が私の上で体重をかけているせいでうまくいかない。このままではノアの足手纏いになってしまう。


「この黒髪の嬢ちゃんの命が惜しけりゃせいぜい大人しくするんだな」


男のリーダーが勝ち誇ったように笑う。悔しい。私は何もできないのか。


「……そうっすね、諦めるしかないっす」


ノアはそう言って両手をあげてしまった。男は歪んだ口元をさらに歪め、気色の悪い笑みを浮かべながらノアに近付いていく。


「ノアッ!」


「大丈夫っすよ、イブキ」


「!」


ノアを呼ぶ私に対し、彼女はふっと薄く笑った。その瞬間、ノアの手は下げられ、持っていた銃を私の方へ向けて撃ち放った。


「がッ!」


私の上に乗っていた男が倒れる。そのおかげで私は自由に動けるようになった。


「そのまま逃げるっすよイブキ!」


「でも!」


「いいから行くっす!」


「……っ!」


私はノアに言われた通りエド閣下の館がある方へ逃げ出した。自分のために戦ってくれていたノアを一人置いていくしかない自分に腹が立つ。涙が溢れて目の前が見えなくなる。どんなにすごい力を持っていようが、チートだと言われようが、覚悟のない私はただの一般人でしかなかった。




「……行ったっすかね」


私はイブキが逃げていくのを確認し、残った男たちを睨む。怪我をした男が一人、まだ怪我を負っていない男が一人、そしてリーダーらしき男が一人だ。


「お友達を逃したのは結構なことだがよぉ、嬢ちゃんはどうするってんだ?もう疲れただろ?早く楽になっちまいなぁ」


「この程度で疲れるほどヤワな鍛え方はしてないっすね」


実際あまり疲れていない。イブキが人質になった時は焦って息を乱しそうになったが、そういう時こそ冷静に状況を見ろと師匠に教えられてきた。最低限イブキを逃がすことができたのは重畳だった。


「へっ、減らず口叩いてんじゃねぇぜ嬢ちゃん!」


それはこっちのセリフだ。さっさと終わらせて泣いているイブキを慰めなければ。慰めているフリをしてつむじの匂いを思いっきり吸ってやろう。おそらくイブキは顔を真っ赤にしながら怒るだろうが、それもまた面白いからいいだろう。

リーダーの男には聞くべきことがたくさんある。命に関わる場所は狙わず脚を狙い、動けないところを尋問してやろう。私は見るに耐えない醜い顔をしたリーダーに向け銃を構えて引き金を引いた。いつもの乾いた破裂音と共に聞き慣れない金属音が混じっていた。


「このタイミングで弾詰まりジャム!?」


次弾はすぐには撃てないと理解した私は、咄嗟に銃を鈍器として使うことを決めた。

リーダーの男は突如脚に突き刺さった激痛に顔を歪ませながらも持っていた剣で私に襲いかかる。それなら対処は簡単に──ッ!


「まだ三人いるってのを忘れたのか嬢ちゃん」


銃を鈍器として使うために振り上げた腕が邪魔をして、怪我のない男の姿を見失っていた私はその男に後ろから頭を殴りつけられてしまった。


「イ……ブキ……」


異世界は危険だと何度も言っていたイブキ。彼女の言うことは正しかったなと緊張感のないことを思いながら、私は意識を失った。




「すみません!エド閣下を……エド閣下と会わせてください!」


途中で転んで泥だらけになりながらも私は足を止めずにエド閣下の館まで辿り着いた。朝早い時間ということもあり、辺りは静けさに包まれていたが私の声によって騒がしくなってきていた。


「この騒ぎは一体何事だ!……貴殿は、イブキ殿か!?」


騒ぎを起こしてしまったことで門番は騎士団へ報告したらしく、すぐに団長のデニスさんが現れた。彼は私の姿を見て大きく目を開いて驚いていた。


「今までどこに行っていたのだ!?いやそれよりも、何があった!?」


「ノアが!ノアがぁ!」


私はすがるようにデニスさんに助けを求めようとするが言葉が上手く出てこない。必死に走ってきたせいで肺は張り裂けそうになっており、脳には上手く酸素が行き渡らず冷静さを欠いてしまっていた。その声は泣きつくというよりも慟哭に近いものだった。


「至急エードゥアルト様に連絡しろ!イブキ殿とノア殿の件と言えば伝わるはずだ!」


デニスさんは他の騎士に伝令を頼んでからボロボロになった私を詰所へ連れて行ってくれた。


「一体どうなされたのだイブキ殿。順を追って話していただけるか?」


詰所にいた騎士が毛布と温かいお茶を出してくれたおかげで少しだけだが落ち着きを取り戻すことができた。


「……私たちはエド閣下にお世話になったあの日、魔術の練習をしようと魔術演習区域に向かいました。そして私の空間転移が使えるようになり、元の世界へ一度戻ったのです」


「原因不明でこの世界に来たと聞いていたが、イブキ殿の力であったのか……」


「元の世界に帰ってからもお世話になったエド閣下や皆さんにお礼をしようとお土産を持ってもう一度この世界へやってきました」


デニスさんは腕を組んでじっと私の話を聞いてくれていた。他の騎士もあわあわとした様子で私の話を聞いているようだった。


「そしてエド閣下の館へ向かう途中、盗賊に襲われたのです」


「盗賊だと!?どのような姿をしていたかわかるか!?」


「ボロボロのローブを着た筋肉質な男がリーダーのようでした」


「ふむ、おそらく隣の国のエンデルシア王国で有名な盗賊の一味だろう。我々も話を聞いたことがある」


この国の人間ではないらしい。確かに同じ国の者なら魔法で有名なハードマン領でそんな無謀なことはしないだろう。


「それで戦闘になって、ノアが一人で、私は逃げろって言われて……」


思い出すとまた涙が出てきた。私はノアを見捨ててきてしまったのだともう一度心に深く刺し直すような感覚に、私の感情は整理が追いつかなくなる。


「そんな……今すぐ騎士団を集めろ!我がハードマン領に盗賊が現れた!被害者はノア殿だ!揃い次第出発するぞ!」


「待ってくれデニス。まずはイブキ君からもう少し話を聞こうじゃないか」


遅れて現れたのはエド閣下だ。騎士の皆さんは背筋を伸ばし見事な敬礼でエド閣下を迎えていた。


「イブキ君、最後に見た時のノア君は怪我もなく戦っていたんだろう?」


「……はい」


「それならば大丈夫だとも。ノア君は盗賊ごときにどうこうされるような弱い子ではないだろう。僕たちがしっかりと加勢に向かえば何の問題もないさ」


そうだ。ノアは最後まで圧倒していた。私が捕まったことで少しペースを崩されていたがそれだけのことだ。ノアはきっと大丈夫だ。いつものように私をからかって遊ぶくらいの余裕もあるはずだ。


「気持ちは戻ってきたかい?騎士団はそろそろ準備を終える頃だと思うけど、イブキ君、君はどうしたい?」


エド閣下は優しく私の意思を聞いてくれた。私はどうしたいのか。そんなの、そんなの決まっている。


「私は……ノアを助けに行きます。私がノアにしてもらったように」


覚悟は既に決まっていた。その一歩をエド閣下が押してくれた。


「うむ!よく言ったね!それでは出発を命じようじゃないか!我がハードマン家騎士団の諸君!盗賊を殲滅し、イブキ君と共にノア君を救い出すのだ!」


「おおおおおおお!!!」


エド閣下の激励と共に騎士団のモチベーションは最高に達した。


そこからの動きは早かった。覚悟を決め頭を切り替えた私は騎士団が馬で駆け出そうとするのを制止した。


「待ってください!デニスさん!」


「なぜ止めるのだ!我々は一刻も早くノア殿を助けねばならないはずだ!」


その思いは私だってそうだ。むしろここにいる誰よりもその思いは強い。だからこそ私は私の力を使うべきだと考えた。


「私の空間転移で皆さんを戦闘のあった場所へお連れします!馬で向かうより早いはずです!」


「それはそうだろうが……本当にできるのか?」


「やってやります!」


私は集中して転移の扉を作り出す。今回は転移する人の数が多い。普段の扉の大きさでは入りきらないだろう。もっと大きく、劇場の幕が開くようなイメージで形成する。自由に使えるようになったと言えども今回求める大きさのものは作ったことがない。しかしできないということはないはずだ。一瞬とは行かなかったものの私はなんとか目の前に光の門を作りだしてみせた。


「こ、これは……!」


「イブキ君の力はこれほどだったのかい……!」


エド閣下の驚いた顔に汗が伝う。自分でも常識外れなことをしているのはわかっているが、魔法なんてものがある世界の時点で今さらだ。今はそんなことはどうでもいい。


「さあ!行きましょう!」


騎士たちは現れた光の門に一瞬たじろいだ様子を見せたが、デニスさんが頷いたことで一行は門の中へ入って行った。それに続いて私も急いで転移する。


転移した先の平原には残念ながらノアの姿はなかった。代わりに何人かの男の体が地面に転がっていた。ノアが男たちの体のどこに当てたのかは全て見たわけではないが、人間よりも早く動く狼にすら当てる腕だ。致命傷を与えていることは間違いない。動かないところから見ても既に息絶えているだろう。デニスさんは騎士たちに男たちの身柄の調査を命じた後、地面にしゃがみ込んで何かを観察していた。


「これは……?」


「ノアの撃った銃の薬莢です。詳しくは私にも説明しにくいですが銃を使った痕跡と考えてください」


「そうか。ではあの見慣れない荷袋も貴殿らのものか」


デニスさんが指したのはノアのバックパックだ。戦闘の時にノアが置いてからそのままになっている。


「そうです。あの中にはノアの武器と食べ物が入っているそうです」


「ノア殿の武器?では銃という武器も入っているのではないか?」


「聞いただけなので私は知りませんがもしかしたら入っているかもしれません」


「そ、それならば不幸中の幸いだった。もし奪われていれば犯人への対処が難しくなっていた。さらに他国に流れていれば軍事バランスが崩れかねない。そうなれば戦争が起こってもおかしくはないほどのものだ」


ノアの持ってきた武器は訓練を受けていない人間でも引き金を引けば大きな殺傷能力を発揮するものだ。そんなものが悪意ある者の手に渡ればどうなるかは想像に難くない。


「すみません。そんな物騒なものではあるんですが、ノアを救出するまでの間、私の荷物と一緒に一旦預かってもらえますか?」


「それは構わないが……どうするつもりなのだ?」


「あの男たちの拠点へ行きます。ノアを助けないと」


ノオが無事に襲撃してきた男たちを制圧したのなら既に合流できているはずだ。しかし荷物が放置されていたところを見ると、ノアは敗れてしまい捕まった可能性が高い。ノア一人で脱出できる可能性も考えられるが、ここは異世界だ。地球にいた時の常識が通用しないかもしれない。一刻も早く助けに向かうことが確実だろう。


「イブキ殿の気持ちは充分に理解しているつもりだ。しかし今は手がかりも見つかっていないのだぞ?」


「手がかりになりそうなことが一つあります。デニスさん、”イグニッション”とは何か知っていますか?」


私が暴走すると思っていたのか、心配そうな顔を向けていたデニスさんの表情が私の言葉で眉にしわを寄せて難しいものに変わった。


「イブキ殿は異世界の人だったな。どこでそれを聞いたのだ?」


「あの男たちが大人数で襲ってきた理由は”イグニッション”を捕まえるために必要だからだとリーダー格の男が言っていたんです」


私の説明を聞いたデニスさんは怒りを露わにして声を荒げた。


「賊はエリカ様を捕まえるのが目的だったというのか!?ハードマン家を舐めている!」


「エリカ様?エド閣下の娘さんでしたよね?」


「ああ!エリカ様は紫電の閃光イグニッションの異名で有名なのだ!」


よくわからないが、世間からのあだ名のようなものだろうか。どういう意味でその名前で呼ばれているのだろうか。


「エリカ様がジェニー奥様と一緒に他の街に行かれたのは数ヶ月前からエリカ様が何者かに狙われるようになったからだ。問題なく対処できる方ではあるが、度重なる襲撃で心労がたたったのか体調を崩された。姿を隠して静養をする為にこの街を離れているのが現状だ」


つまりあの男たちは過去にもエリカ様を捕まえようとしていたことがあったということだろう。しかしエリカ様は魔法使いだと聞いている。そんな相手をどうして何度もリスクを侵しながら捕まえようとしているのか。並々ならぬ理由がない限りそんな愚行には走らないと思うのだが、いずれにせよ人を無理やり攫おうとする連中だ。ろくなものではないだろう。


「もしかするとエリカ様が戻られることが襲撃してきた男たちに知られていたんじゃないでしょうか?以前私が館でお世話になった時にエリカ様は一週間もすれば戻るとエド閣下からお聞きしました」


「エリカ様の体調が回復されたとのことでこのアスリプの街に戻られると手紙が届いていたのだ。当時は館にいた人間は皆お嬢様が帰ってこられると噂して喜んでいた。館の外の人間には伝えていないはずだが、どうしても態度には出るものだからな。浮き足立つ使用人の様子からバレたのかもしれない」


「デニス団長!男の死体からエンデルシア王国公認奴隷商のものと思われる魔道具が見つかりました!」


「なんだと!?間違いはないのか!?」


「刻印が入っていることからおそらく本物と思われます!」


調査を行っていた騎士が私たちの会話を遮って声をかけてきた。騎士は水晶のようなものがついた小さな杖をデニスさんに渡して緊迫した様子で報告した。


「こいつらはただの盗賊ではなくエンデルシア王国公認の奴隷商と繋がっていたのか……!これは大問題だぞ……!」


「魔道具というのも気になりますが、どういった問題なのですか?」


「国に認められるほどの商人が盗賊と繋がっているなどあってはならないことだ。しかも他国の貴族令嬢を攫おうとしていたとなると王国がそれを指示したと考えてもおかしくはないのだ。この話はエードゥアルト様だけでなく皇帝陛下にも話を通さねばならない事態である」


エンデルシア王国がソムニア帝国の貴族令嬢を攫おうとしていた。それは実質的な侵略行為であり戦争のきっかけとなるには充分すぎる理由になる。今回はエリカ様ではなくノアが攫われてしまったわけだが、エド閣下により異世界人である私とノアはハードマン家の食客として招かれていることから、事態としては大きいものであることに変わりはない。


「しかもこの杖は……おそらく拘束をする魔術が組み込まれた魔道具だろう。魔道具は物に魔術を組み込むことで魔術の発動を普通に魔術を使うよりも早く行うことができるのだ。そして拘束用の魔道具は魔術の組み合わせが難しく、一部の貴族か優秀な魔術師しか持っていないはずだ。そんなものを盗賊に渡すような奴隷商は限られている」


「心当たりがあるのですか?」


「おそらくキッテル奴隷商会だ。エンデルシア王国を拠点としているらしく、表に出てこない割に妙に羽振りがいい商会だ。黒い噂が多く、その噂の一つに行方不明になった人間にそっくりな奴隷を売っているというものがある」


「それはもう人攫いをやっているという証拠じゃないですか!」


デニスさんから語られた情報を聞き、私は答えが出ているではないかと憤る。なぜ国は何もしないのか。


「それがそうだと断定できないのだ。その奴隷は喉を潰され、顔も傷だらけになっていて他人の空似と言われれば否定しきれない。各国はキッテル商会の取り潰しを行うようにエンデルシア王国に伝えているのだが、証拠不十分だという理由で取り合ってもらえないのが現状だ」


「なんて卑劣な……!」


私は拳に力を込める。ノアをそんな目に遭わせてなるものか。必ずノアを救い、商会も潰してやる。決意を胸にノアからもらったナイフを握る。


「デニスさん。そのキッテル奴隷商会の拠点の場所を教えてください。すぐに向かいます」


「イブキ殿、拠点といっても表では売買用の支店しか確認できていない。ノア殿が連れて行かれたとすれば奴隷管理用の隠れ家だろう。余程運がよくなければ見つけることも難しい」


デニスさんは悔しそうな顔をして目を伏せた。ハードマン家どころかソムニア帝国ですら発見できていない隠れ家はそうそう簡単に見つかるものではない。諦めるしか手がないのかもしれない。しかしだ。運だと?それならば私は充分に持っている。


「わかりました。それではデニスさんたち騎士団はノアの捜索を引き続きお願いします」


「お、おい!どうするつもりだ!」


デニスさんに背を向けた私は異能力を使うために目を閉じて集中を始める。よくわからない力を込めて運、確率の操作を図る。それと同時に魔力を頭に流して脳の中を満たすイメージに没入する。

私がやろうとしていることは脳の処理能力を魔力でブーストさせ五感を極限まで鋭くすることだ。この場に残っている痕跡から盗賊が向かった先を見つけるには普通の人間では難しい。まして場所の手がかりがほとんどない隠れ家など見つけられないだろう。ならばありったけの幸運と人間を超えた五感を使えばできないことはない。

もう魔法と呼べるのかはわからない。だが魔力をイメージに乗せて発現させるのが魔法なら、脳細胞とシナプスの活性化をイメージすることで可能になるはずだ。

神経を電気信号が走り抜ける。その速度を徐々に上げていく。思考が鮮明に、明瞭に、刹那に、光速になっていく。これならいける。


「私の運を舐めないでください!」


世界を全て思いのままに操ることができそうなほどの全能感を覚えながら私は目を開いた。

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