第一章 第一節 異能少女との遭遇

季節は春。というか夏。

四月半ばだというのにほぼ夏日と言っていい気温が続いており、異常気象がどうのとネットニュースで話題になっていた。

風が吹いてくれれば少しは涼しくなるのにと思うものの、アスファルトの熱でぬるくなった空気が少し動いたところで知れている。

わずか十数分であったものの空調の効いた電車の空気に慣れきっていた私は駅のホームに降り立つと一瞬顔をしかめる。


「あっつ……」


閉じた汗腺が一気に広がるのを感じた。汗ばんでシャツがじっとりとする前にうちに帰りたい。

四月といえば新学期。始業式やクラス替えといったイベントも終わり、新しい学年として既に授業が開始した今、もはや目新しいことは通学路に同じ高校に通うこととなった新入生がちらほらと見受けられることくらいか。新しい環境で期待に胸を膨らませる彼らの姿は微笑ましいものだ。私も諸先輩方からはこのような気持ちで見られていたのだろうか。

高校二年生となり選択教科の幅が増えたことでバッグは先月までよりも重みを増していた。

こんなに紙の教材が必要なのだろうか。今時はスマホやタブレットなんかでも充分に教材の役割を果たせると思うのだが、うちの学校は一部の頭の堅い教師が頑なに拒否しているらしく電子教材の本格導入には至っていないとの噂を耳にしている。普及した便利なものを素直に使いたがらない人間というのは案外多いようだ。

読書が趣味の私ですら本を買う時は電子書籍を買うことが増えてきたというのに。ちなみに私は紙の本も大好きだ。印刷された文字のインクの匂いがなんとなく落ち着くというのが理由の一つだ。でも毎日持ち運びする教科書の匂いなんて気にしないし重いから嫌だななんて思う。

食い込むショルダーベルトを肩に掛け直し、徒歩で自宅への帰路につく。

帰宅したらまずは洗濯と晩御飯の準備かな。今日もお母さんたちは帰って来れないって言ってたし、晩御飯と一緒に冷凍保存用のおかずも作っちゃうか。週末だし明日は掃除もしてしまいたいな。

そんなことを考えながら自宅への近道を通るべく角を曲がる。

いつもなら買い物をしてから帰るためにスーパーのある大通りを通るのだが、今晩作る料理は冷蔵庫の掃除を兼ねてしまおうと考えているので買い物は必要ない。それにこの近道は裏路地ということもあり普段から人通りが少なく、あまり人前に出て来ない野良猫が定位置でくつろいでいたりするのでそれを見つけられるか密かに楽しみにしていたこともあった。

野良猫を驚かせないように電柱に隠れて裏路地の様子を伺ってみる。残念ながら目的の小さな隣人はご不在のようだ。

あわよくば今日こそ撫でられないかと期待していただけに少しだけ残念。

息を潜めている理由もなくなり、寄り道の当てもなくなった私は今度こそ帰宅の為に足を進めようと路地の先に目を向けると、二人の少女が立っていることに気付いた。猫のことばかり考えていたからか彼女らの存在が視界に入っていなかったようだ。

自分以外の人間がこの道を通るのは珍しいことだが、完全にいないわけではない。しかし気になるのはその少女たちの異様な雰囲気だ。

一人はまだ幼い印象のある顔で茶髪をハーフツインにした女子中学生。中学生とわかったのは近所にある中学校指定の制服を着ていたからだ。そして黒いノートのようなものを左手で抱えているのが特徴的な子だった。その顔には興奮と恐怖が混ざったような表情を浮かべており、別の少女を睨みつけている。

もう一人は外ハネのついたショートヘアの少女。傾き始めている西日がその金髪をきらきらと輝いて見せる。カーキグリーンに気にならない程度の迷彩柄が入ったジャケットを着こなし、パンツスタイルによく手入れされたブーツを身につけたかっこいい印象のある装いだ。彼女は困ったような顔で相手の少女からじりじりと離れている。

半狂乱気味でハーフツインの少女が叫ぶ。


「わ、我の能力に気付いて消しに来たのか!組織の犬め!」


「いや消すとか物騒なことしないって言ってるじゃないっすか……ちょっと私と一緒に来てお話してほしいだけなんすよ」


「戯言を抜かすな!」


彼女らが何の話をしているのかはわからないが、対立しているのは確かだろう。学生同士の喧嘩か、事案発生か。いずれにしても良い雰囲気ではない。

諍いを起こしている二人の下に割って入って問題を解決できればかっこいいのだろう。しかし私には見知らぬ人同士の喧嘩を止めるほどの力はないしそもそもそんな勇気もない。ここは大人しく専門の人たちに任せるのが一番だ。

私はポケットからスマホを取り出し、警察へ通報しようと番号を入力していく。

あとは呼び出しボタンをタップするだけで繋げられる。そんな時だった。


「我が魔法にひれ伏すがいい!」


ハーフツインの少女の芝居がかった声が聞こえた。




ときに、人生の転換期とは思いもよらないことから始まるものだ。

私は小学生の頃に交通事故で瀕死の重傷を負った。当時のことはあまり覚えていないのだが、事故の瞬間を見ていた人の話によると身体が数メートル吹き飛び全身を強く打った後、痙攣したまま意識が戻らなかったという。

幸いすぐに救急車を呼んでもらったおかげか、治療とリハビリに時間はかかったものの後遺症も残らず完全に回復。日常生活を問題なく送れるようになったのだ。

医者からはここまで回復したのは奇跡だとまで言われたほどだった。

迅速に救急車を呼んでくれた救世主は慌てて私に応急処置をしてくれていたようだが、後から考えてみれば瀕死の重傷を負った人間に応急処置ができるほどの人が偶然居合わせていたのか疑問ではあった。しかし私を救おうとしてくれたことに変わりはない。

家族総出でお礼させていただき、その時にいろいろと教えてもらおうと思っていた。

だが彼ないし彼女は救急車が到着した時には既に姿がなく、他にも事故現場にいた人たちに情報提供を募るも誰もその人のことを知らないという結果だった。

命の恩人である人にお礼できなかったのはとても残念だが、その名も知らぬ人物のおかげで私は今を無事に生きているというわけだ。

不幸中の幸いと言えるような出来事であったわけだが、どうしてだかそれが私の転換期となったようだ。

事故以降、徐々に自分の運の良さを感じ始めたのだ。

雑誌の懸賞に応募した時には3等が。気まぐれでアイスを買えばあたり棒が。お弁当に箸を付け忘れた時には机から割り箸が。過去にあった話を言い出せばキリがない。

しょぼいと思うかもしれないが普通の高校生活を平穏に暮らしている私からすれば充分に嬉しいものである。

大きな変化ではないが恩恵がない訳でもない。少し人生が変わるような変化は得てして命に関わる出来事がきっかけとなっていた。

話を戻そう。つまり言いたいことは、今日のこの出来事が私の人生二回目の転換期の始まりになったということだ。




私が隠れていた電柱に高速で何かがぶつかった。

その刹那、熱く強い風が吹き荒れ、私の身体は1メートルほど吹き飛ばされた。うだるようなアスファルトの熱気による暑さではなかった。まるで燃える炎に直接に触れたような熱さ。その熱さが強風として、というよりも衝撃として私を襲ったのだ。

突然のことで頭が大混乱する中、とにかく地面に転がった身体を起こす。吹き飛んだ拍子に少し身体を打った痛みがあるだけで、それ以外には特に大きな支障はないようだ。安心したところで先の電柱を見ると大きな焦げ跡が残っており、ぶつかった何かが爆発したのだと物語っていた。

そういえば喧嘩気味だったあの少女たちは無事だろうか。首を動かし彼女たちのいる方へ顔を向けると、不思議な状況に呆然とした二人がこちらを見つめて動かなくなっていた。

ハーフツインの少女は顔を青ざめてやってしまったという風な顔をして震えている。

金髪の少女は心配そうな表情をしているものの、その表情の中には面倒なことになったという感情が見える。

先に我に返ったのは比較的冷静に見えた金髪の少女の方だった。


「そこのお姉さーん!大丈夫っすか?生きてるっすか?」


「えっ、あっはい大丈夫です」


まさか話しかけられるとは思わずとっさに返事をする。定型文のような返事だが、実際に問題はないのだから間違ってはいない。

彼女はほっと安心した様子で息を吐く。


「それなら良かったっす!すぐ終わらせるんでちょっと待っててほしいっす!」


終わらせるって何を?そう聞く前に金髪の少女は向き直りハーフツインの少女に相対する。


「ひっ……」


「厨二病拗らせるのは結構っすけど、おいたがすぎるのは感心しないっすね!」


ハーフツインの少女が怯えているのは金髪の少女が爆発前の態度とは全く別のものになっていたからだろう。恐れるように後ずさりするハーフツインの少女に対して金髪の少女は一歩一歩近付いていく。先ほどとは立場が逆転した形だ。


「手荒な真似はしたくなかったんすけど、人を巻きこんだ時点でそれなりの対応をさせてもらうっすよ!話は後で聞くっす!」


自身を守るように身構えるハーフツインの少女へ、金髪の少女がいつの間にか手に握っていたものを彼女の身体へ押し付けた。


「い˝っ!」


短い悲鳴と共に脱力し金髪の少女へ身を預ける。


「スタンガン使うといらない手間が増えて大変なんすけどね……最近の子は素直に話を聞いてくれなくて困っちゃうっす」


随分と物騒だが彼女はスタンガンを使い慣れているらしい。もしかしなくとも私はとんでもない現場に居合わせてしまったのではないか。日常生活では考えられないほどの嫌な予感がする。


「あー、お疲れ様っす。ノアっす。至急パターンAとパターンBの要請をしたいっす。……いやドジった訳じゃないんすけど、想定外が起きちゃったもんで。頼んだっす!」


気付けばスタンガンからスマホに持ち変えていた彼女はどこかに連絡を始めた。聞こえてくる言葉からなんだか凄そうなグループに所属していそうだが、それが法の下に可動するものなのか反社会的勢力のものなのかはわからない。一体何者なのだろうか。

それに先ほどの爆発に関してもわからないことだらけだった。スタンガンを押しあてられて眠っている少女が何かをしたようだが、通報の為にスマホを見ていた私にはそれがなんだったのかしっかりと見えていなかった。おそらく爆弾のようなものだったのだろうが、中学生に作れるものではないだろう。そもそも危険物の材料となるものはしっかり管理されていて資格を持った人にしか買えない仕組みがあると化学の先生に聞いたことがある。

何も知らない一般人が考えてもわからないことは目に見えているのに私は無意識に今回の顛末を想像していた。頭の中がよくわからないことでいっぱいになりながらも爆発の時に落としたスマホを回収する。よかった、壊れてない。


「お待たせしたっす!お姉さん怪我はないっすか?」


諸々の連絡が終わったのか金髪の少女が近付いてきた。近くで見るととても綺麗な赤い目を持った美少女だ。私のお姉ちゃんと並んだらモデルの撮影とかに見えるんじゃなかろうか。


「ありがとうございます。怪我はありませんけどその人って大丈夫なんでしょうか……?救急車とか……」


本当はすぐに警察を呼びたいところだ。人が気絶させられている時点でどう考えても事件だし、なにより良い人なのか悪い人なのかわからない金髪の不審者が目の前にいるのだから。


「あからさまに警戒しないでほしいっす!私は怪しい人じゃないっすから!それにそんなに改まらなくていいっすよ!タメで話してほしいっす!」


初対面でこれだけの距離の詰め方をする人間が怪しくない訳ないだろ。しかもスタンガンを持ってるんだぞ。

しかし気のいい人であるのは間違いないようだ。詐欺師のように良い人を演じているかもしれないが、信用しなければなんとかなるだろう。私は心を許し過ぎないように気を付けながら喋ることにした。


「……わかった。それであなたは?警察とか一緒に行った方が良い人?」


「おおう……結構パンチのある返しっすね……」


失敗した。心の声が漏れてしまったらしい。


「私はノア・ギアハートって言うっす!ノアって呼んでほしいっすよ。想像通り日本人じゃないっすけどこの通りペラペラに話せるから仲良くしてくれると嬉しいっす!」


「私は中村亥吹なかむらいぶき。好きに呼んでいいよ。仲良くするかはわかんないけど」


「イブキは手厳しいっすねぇ!心配しなくても私は悪の手先とかじゃないっすよ」


ノアはけらけらと笑いながらごそごそとポケットを漁り、中からくしゃくしゃになった紙を出して見せてきた。大きさと上等な用紙から見てこれは名刺なのだろう。


「簡単に説明するっすね!私は機密組織機関NSLの職員っす!職員はラボって呼んでるっす!ラボは全世界の警察や公安と秘密裏に連携してるっすから今回のことも気にしなくて大丈夫っす!」


名刺には英語でなにやら書かれているがいまいち読み取れない。何かの研究機関であることは事実のようだ。


「機密組織機関ってその子が言ってた組織ってやつ?バレてるじゃん」


「んー……それはまた別の話だと思うっす。この子の言ってた組織は架空のものっすから」


「そういうものなの?」


「世の厨二病とはそういうものっす。あんまり触れてあげない方が本人の為にもいいと思うっす」


複雑そうな顔をしながらよくわからないことを言うが、ノアの言っていることは事実なのだろう。そういう時期があるということはインターネットで見たことがある。男の子に多いって話だったと思うけど女の子にもあるんだね。

憐みに似た温かい目をハーフツインの少女に向ける。

しばらく話していたうちに二台の自動車が裏路地に入ってきた。車に詳しくない私でもわかるほどの高級車だ。間違ってもこんな裏路地を走るようなものではない。

二台は私たちのいる道路脇の前で停車した。何が起こるのかわからずドキドキしていると、前方の車からスーツを着た男性が数人降りてきた。彼らはすぐさま現場に散り、写真の撮影や謎の機材を使って検査のようなものを始める。


「この人たちはラボの職員っす。さっき連絡したから来てくれたっすよ。警察と同じような役割の人達だから安心していいっすよ」


「そ、そう」


言われてみればドラマで見たことのある事件現場はこんな感じだったかもしれない。でもパトカーのいない現場は随分と静かに見える。

後方の車からも数人降りてきており、こちらはスーツの女性だった。その中から二人がノアの下へやってきた。


「この子は今回のターゲットっす。カテゴリは推定魔法少女。能力は発火。精度不明。ターゲットによる異能力使用で公共道路に軽度の被害が発生。異能力の余波により一般人一名への被害が出るも奇跡的に外的負傷はなし。被害拡大阻止の為、スタンガンで昏倒させたっす」


慣れた口調で女性職員へ経緯を報告するノアを見て、本当に彼女は機密組織の人間なんだという実感が出てきた。単語はところどころおかしなものが含まれていたけど。

ハーフツインの少女は報告を受けた女性職員によって車へ乗せられていった。呆然としながらその様子を眺めていると、もう一人の女性職員が私を見ていることに気付いた。特に何かあるわけではないが緊張してしまう。


「んでこっちの子が今回の被害者っす。要請パターンBの対象なんすけど、ちょっと気になることがあるから私が話をするっす」


のですか?」


「見間違いでなければそうっす。だから今回は任せてほしいっす」


女性職員が少し驚きながら確認を取った。ノアの指示により私への対応はノアがするらしい。私としてはありがたい状況だった。なにせこの場にいる他の職員を見る限り、ノアより話しやすそうな人はいなかったからだ。もし他の職員が対応してくれていたら、いろいろ聞きたいことがあっても気軽に質問できないなんてことになりそうだ。


「ということでここは任せたっす。私はこの子の対応をしてくるっす」


「あの……対応ってどういう」


「それじゃあイブキ!一緒にデートするっすよ!カフェでもカラオケでもなんでも来いっす!」


「えっ、ちょ、ちょっと!?引っ張らないで自分で歩くから!」


報告の時とテンションの差が激しすぎて風邪を引きそうだった。ぽかーんとする女性職員をその場に残して私はノアに連れられていくのであった。

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