幸運少女と異能理論

伊澄すい

プロローグ

異世界。そう聞いて何を思い浮かべるだろうか。

転生?召喚?現代知識で無双?はは、楽しそうですね。

現実逃避気味にそんなことを思う。

青々とした草原や森から流れてきたそよ風が頬を撫でる。それなりに栄えた街に住んでいた私にとっては新鮮な自然の景色に感動したいところではあったが、接近する大きな砂埃のことを考えると憂鬱を通り越して吐きそうだった。


「おー!あれ魔物ってやつの群れっすかね!」


隣でバカみたいに喜んでいる金髪女を一発殴りたい衝動に駆られるがぐっと思いとどまる。こいつが居なければ私はあの砂埃を立てている連中に蹂躙されあっけなく死んでしまうだろうから。まだ遠い位置ではあるが相手の足が早いこともあって一分も経たずにここに到着しそうだ。

私は顔を青ざめながら手を握りしめる。緊張のあまり力いっぱい握りすぎて真っ白になった手は小刻みに震えていた。これから死ぬかもしれないという状況で漏らしていないだけ立派だと思いたい。


「そんなにガチガチだと上手く動けなくなるっすよ?私がマッサージしてほぐしてあげるっすぐへへ」


金髪女の手が私の服の下に滑り込もうとするのをグーで殴り飛ばすことで阻止した私はすぐさま「やってしまった」と頭を抱えることになった。いややらなければやられてたけど、今はそんな場合じゃない。


「安心するっすよ。あれくらいならなんとでもできるっすから」


気付けば何事もなかったように元の位置に戻ってきていた金髪女は不敵な笑みを浮かべている。こいつなりの気遣いなのだろう。しかし、だ。疑う訳ではないが不安は不安なのだ。

なにせ私は何も対応する手段を持っていない。ちょっと運が良いかなというだけの女子高生でしかないのだ。コンビニで当たったお茶無料券付きレシートを渡したところであの魔物達には無意味だろう。

今すぐ走って逃げ出したいが、どこにどう逃げればいいのかすらわからない。砂埃が近付いてきたところで正体が視認できた。大きな犬……いや狼だろうか。涎を垂らしながら殺意を漲らせた瞳をこちらに向ける獣は全部で5匹。これでは走ったところで追い付かれて囲まれる未来が見えているではないか。噛まれたら狂犬病待ったなしかな。


「それじゃそろそろ相手してくるっすから、巻き込まれないように伏せてるっすよー!」


死を覚悟し、数年前に会ったきりのお姉ちゃんを思い出しつつ念仏でも唱えようかとしたところで、のんきに話していた金髪女は狼たちに向けて走り出した。

速い。と言っても人間の範疇でだ。このままでは私よりも幾ばくか早めに彼女が狼たちの胃袋に収まってしまうだけだ。しかし彼女には私と違って持っている物があった。

若干の前傾姿勢で走りながら腰から取り出したそれを前方に向けた瞬間。ある意味で聞き慣れた、しかし聞き慣れない渇いた破裂音と金属音を周囲にぶちまけた。

何度か同じような音を響かせながら彼女は不機嫌そうに声を漏らした。


「チッ、やっぱ9mmじゃダメっすね!」


多少の傷をつけてはいるようだが狼たちの勢いは緩むことがない。普通の狼よりも大きいだけでなく丈夫な身体を持っているようだ。

群れのリーダーだろうか。一匹の狼が大きな牙を見せつけながら吠えた。一斉に攻撃目標が私から外れ、音と共に痛みを与えてきた金髪女へと向かう。

下っ端狼が飛びかかっていくが彼女はそれを横へ転がるように飛ぶことで回避。起き上がりざまに構えていた銃をしまい別の銃に持ち変えた。

また破裂音。けれど今回は先ほどとは少し違うように感じた。それとほぼ同時に狼たちの方から情けない鳴き声が聞こえてきた。


「お!45口径は効くんすね!パワー様様っす!」


命のやり取りをしているとは思えないほど嬉しそうな声で金髪女は笑う。正気か?

狼たちは数が減っていた。というのも一匹はぐったりと地面に倒れたまま動かなくなっていたからだ。残りの狼たちは金髪女にそれ以上近付くのをやめ、唸り声を上げて威嚇している。


「狼って頭いいんすね?知ってたけど実際に見ると不思議なもんすねぇ」


このタイミングで感心することじゃないと思う。私は必死に狼たちの視界に入らないように草むらに這いつくばって隠れているというのに。気に入っていた服に泥が付くのも構わずに命を守る行動を取れたのは偉いぞ私。

しばらく狼たちはその場を動かなかったが、痺れを切らした一匹がリーダー狼の指示を聞かずに飛び出した。走り出しからすぐに最高速度に達した巨体はその重さと速さを鋭い爪に乗せて振りかぶった。私は見るのが怖くなりギュッと目を閉じたところで。


「はい二匹目」


銃声の後、何かが引きずられる音がした。恐る恐る見ると、加速した狼の身体は頭を撃ち抜かれた後に金髪女の横を通り抜けて地面を滑っていったようだった。彼女の位置は少ししか移動していない。最小限の動きで回避したと考えるべきだろう。


「そろそろにらめっこも飽きてきたし、さっさと残りもやっちまいますかね」


彼女は構えた銃口を群れのリーダーに向けて照準を合わせた。連続して渇いた音が響く。

遅れて大きな身体が倒れる音が三つ分、虫の息となった狼の弱弱しい声と風で揺れる草の音だけが聞こえてきた。


「ふぅ……いくつか無駄弾撃っちゃったっす……師匠たちにどやされちゃうっす……」


つい数秒前まで襲われていた時にはなかった、というよりも狼たちに襲われるよりも恐ろしい目に合うかのようなことを言う金髪女が銃を腰にしまいながら震えていた。

私は完全に腰が抜けてしまっていた。実の所、草むらに隠れたのではなく腰を抜かして立てなくなったから結果的に隠れる形になったのが正しい。ちょっと見栄を張ったのだ。だって何もできなかったし。


「ええと……あ!いたっす!」


狼にすら見つからないように完璧に隠れた私を一瞬で見つけてきた金髪女。こいつは何者なんだろう。いや知ってるけどさ。


「また魔法使ったっすね?イブキ」


「つ、使ってないよ。隠れてただけだし」


使ってないというより使えないのだ。普通に考えてみろ。私は一般女子高生。アニメや漫画に出てくるようなチートだの最強だのは降って湧くものではない。それなのにこいつは。


「私の目は誤魔化されないっすよ!しっかり色が見えてるんすから!」


自身の赤い瞳を指しながら得意げに言い放った。だから使ってないって。なんかヤバい薬とかキメて変なものが見えてるんじゃないか。


「それにこんなバレバレな隠れ方してたら普通襲われてるっすよ。それこそ魔法で運を良くしたとしか思えないっす」


えっバレバレだったの?それはそれでちょっとショック。確かに運の良さには少しだけ自信あるけど、運以外も大きかったと思うんだ。多分。


「そ、そんなことより!ちょっとだけ手を貸してくれないか?」


「もしかして腰抜けちゃったんすか?しょうがないっすねぇ」


「あんなのに襲われてピンピンしてる方がおかしいんだよ」


黙ってても身体の状態までバレてしまった。私は隠し事が苦手なのかもしれない……いやそんなことはないはずだ。だってちょっと漏れたのバレてないし。

そんなこんなで肩を貸してもらって立ち上がることができた。一瞬臀部を触られた気がしないでもないが、助けてもらってる以上不本意ながら黙っておくことにした。


「泥だらけっすねー!流石に一度向こうに帰るっすよ!」


向こうというのは現代、つまり私たちが元いた地球のことだ。


「でもそんな都合良く帰れるなら苦労しないだろ。あの扉も消えちゃったんだから」


そう、私たちは地球とこの異世界を行き来することができる不思議な光の扉を使ってこちらに来たのだ。しかしこちらに来た時点で跡形もなく消えている。

私の能力でできたものだと信じて疑わない金髪女は扉をもう一度出すように言ったが、そんなものを出す方法など知らない。一応やってみたが案の定出来なかったのだ。

地球に帰るためには扉を探す旅をしなくてはいけないのではないか。途方もない時間をかけることになるのではと想像し、絶望にも似た不安に駆られ身震いをする。

そんな私を傍目に笑いながら女は金髪を揺らす。


「こういうのってご都合主義ってやつが働くんじゃないすかね?イブキがそろそろ帰りたいから扉を出せって念じれば出てくると思うっすよ」


「そんなバカなことある訳ないだろ。ちょっと楽観的すぎるんじゃ」


「ほら出てきたっす」


「……え?」


嘘だろ。私の後方を指差され、そちらに振り向くとどこからか現れた光の粒子がうっすらと輪郭を形作っているところだった。信じられず口をあんぐりと開けて見つめていると、それは私たちが異世界に来る時に使った光の扉と全く同じものに形成して固定化された。なんで?


「イブキは魔法を使えるって何度も言ってるじゃないすか。私もこの目で見て確認してるっすからそろそろ認めて欲しいっす」


「運が良いのは魔法のせいってやつ?それにしては違うような……」


そもそも魔法を使っているという感覚がない。それなのに使っていると言われても困惑するだけである。


「多分っすけど魔力が回復してなかったんじゃないっすかね?とりあえず帰って一緒にシャワー浴びるっすよ!」


「……うん。じゃあ帰ろっか、ノア。シャワーは一緒に浴びないけど」


息をするようにセクハラをしてくるノアを躱して扉をくぐり抜ける。

何度も言うが私は普通の女子高生だった。それなのになぜ私は異世界で銃をぶっぱなす物騒な変態女に付きまとわれ、お前は魔法使いだなどと言われねばならないのか。ああ、どうしてこうなった。

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