第9話 星side ごねる日向

 普段よりもずっと早い速度で歩きながら、保育園への道を急ぐ。


 実行委員の仕事で少しは遅れると思っていたが、初日からここまで時間がかかるなんて予想外だ。

 って言うか、作業自体はまだ終わってなかったし。


 それでも、時計を見ると、なんとかギリギリ間に合いそうだ。

 あのタイミングで学校を出なかったら、確実に間に合わなかっただろうな。

 残りの作業をやってくれた坂部には、後でもう一度礼を言っておかないと。


 保育園につくと、思った通りもう残ってる子はほとんどいない。

 そんな中、日向は俺が部屋に入ると、すぐに気づいて駆け寄ってきた。


「お兄ちゃん!」

「日向、遅くなってごめんな。寂しくなかったか」


 思いっきり頭を撫でると、日向はくすぐったそうに笑う。

 ああ、やっぱり日向は天使だわ。実行委員の作業や、隣のクラスのナントカってやつの邪魔でイライラしてたけど、その分この笑顔で癒されよう。


「たっくんと一緒に遊んでたの。ねえ、たっくん!」


 日向はそう言うと、近くにいたたっくん、坂部の甥っ子のところに行って、手を繋いで引っ張ってくる。

 この二人、ほんと仲良いな。


「日向ちゃんのお兄ちゃん、こんにちは」

「よう。お前も、お迎えまだなのか?」


 今部屋に残っているのは、この二人だけ。

 俺だって人のことはいえないが、決められている迎えの時間はもうすぐ終わるけど、まだ来ないのか。


「今日は坂部、えっと……お前のお姉ちゃんが迎えに来るんじゃないんだよな」

「うん。今日はママ!」


 坂部も、今日迎えに行くとは言ってなかったし、まあそうなるよな。

 まだ来てないってことは、仕事が遅れてるのか?


 ここで俺が日向を連れて帰ったら、一人で残ることになるわけか。


「迎えが来るまで、一緒に遊ぶか?」

「ほんと!」


 俺が提案すると、嬉しそうに声をあげる。

 やっぱり、こんな時間まで迎えが来ないってのは、少し不安だったのかもな。


「日向も、それでいいよな?」

「うん!」


 今日俺が遅刻せずにここに来れたのは坂部のおかげだから、これくらいのことはしておきたい。

 それにこの子なら、日向と一緒になって遊んだことは何度かあるから、慣れたもんだ。

 

 昨日みたいに、二人一緒に高い高いするか。それとも、絵本でも読んでやろうか。


 けどそこで、部屋の入り口の方から、大きな声が聞こえてきた。


「セーフ! なんとかギリギリ間に合ったーっ!」


 そう言ったのは、スーツを着た若い女の人。

 その人はホッとしたように息をつくと、俺のそばにいたたっくんを抱え上げた。


「お待たせ巧! 今日も一日いい子にしてた?」

「うん!」


 そうそう。この人が、たっくんの母親だったな。

 たしか、前に声をかけられて、少し話をしたことがある。


 ってことは、つまり……


「あの、坂部のお姉さんですよね」

「えっ? ああ、知世のこと。そうだよ。そういうあなたは、知世のクラスメイトなのよね。話は聞いてるわよ」


 吉野、俺のこと話してたのか。まあ、今はそれはどうでもいい。

 それよりもだ。


「坂部のことですけど……」


 坂部に、実行委員の二人でやるはずだった仕事の残りを押し付けたこと、そのおかげで、遅刻せずここに来れたこと、一応この人にも話しておく。


「へぇ。知世、そんなことしたんだ」

「迷惑かけてすみません」

「いいのよ。なんて、私が言うのも変だけどね。けど、知世が自分から言い出したことなんでしょ。だったら、頼ってもいいんじゃないの?」


 そういうもんなのだろうか。


「あなただって、毎日日向ちゃんの迎えに来てるんでしょ。それよりもっと遊びたいとか、自分の時間がほしいとか、思わないの?」

「思いません」


 人に日向のことを話した時、その手の質問をされたことは何度かあるが、即答できる。

 そりゃ俺だって遊びたいと思ったことは無いわけじゃないが、日向と天秤にかけたらどうするかはわかりきってる。


「でしょ。知世だって、そういうことなんじゃないの」

「そうですか?」


 坂部が迷惑に思ってないならそれに越したことはないが、そればかりは本人でないとわからない。

 けど確かに、坂部は俺と同類の匂いがするから、その通りなのかもしれない。


「まあ、私はそれに甘えてばっかりで、しょっちゅう巧のお迎えや相手を頼んでるから、偉そうなこといえないけどね。明日は、そのお礼をするつもりよ」

「お礼?」

「そう。ここからちょっと離れたところに、遊園地があるでしょ。明日、巧や旦那と一緒にそこに行く予定なんだけど、それに知世も誘ったの。ね、巧」

「うん。パパとママと知世お姉ちゃんと一緒に、遊園地に行くの!」


 たっくんは、今から楽しみで仕方ないんだろう。遊園地って言葉が出てきたとたん、飛び跳ねて喜んでいた。


「そうか。よかったな」

「うん! 遊園地! 遊園地ーっ!」


 今からこんなにはしゃいでいるんだから、実際に行ったらどうなるんだろうな。


 たが、呑気にそんなことを思っていると、日向が俺の服の裾をクイクイと引っ張った。


「どうした、日向?」

「お兄ちゃん、私も遊園地いきたい!」

「えっ?」

「お願い。連れてって!」


 無邪気に目をキラキラさせながら、お願いする日向。

 今の話を聞いて、自分も行きたくなったんだろうな。


 けど、これはまずい。

 話に出ていた遊園地には、電車を乗り継げば行くことができるし、実際学校のやつらも休みの日に友達と一緒に行ったって奴が何人かいる。


 けどそれは、俺たちくらいの歳か、もっと上の人の話。

 日向はまだ小さいせいか、長い時間電車で移動すると、凄く疲れるんだ。前に電車に乗せた時は、途中でぐずって大変だった。


 だから、我が家で遠出する時は基本的に父さんが車を出すことになるが、それがなかなかに問題なんだ。


「そうだな。日向がいい子にしてたら、そのうち父さんに連れて行ってもらえるかもな」

「それっていつ?」

「うーん、一ヶ月か二ヶ月後?」

「そんなに待たなきゃダメなの?」


 とたんに、悲しそうな顔をする日向。そうだよな。そんなに待つなんて嫌だよな。

 けど最近父さんの仕事は特に忙しいみたいで、すぐに行こうってのは、難しそうなんだよな。


「なるべく早く行けるように、兄ちゃんからも頼んでおくからさ」


 そう言って聞かせたけど、日向はまだ不満そうだ。

 まいったな。俺だって、できることならなんとかしてやりたいけど、こればかりはどうすることもできない。


 すると、隣でそれを聞いていた坂部の姉さんが言う。


「連れていくの、難しいの?」

「はい。日向、電車が苦手で、行くなら車じゃないと難しいんですが、しばらくは親が仕事で忙しそうなんです」

「忙しい、か。耳の痛い話ね。仕事だから仕方ないって気持ちもわかるけど、日向ちゃんの気持ちもわかるよのね」


 自分のことに置き換えているのか、坂部の姉さんは、人の家の話だってのに真剣に悩んでいる。

 そして、こんなことを言ってきた。


「ねえ。よかったら、私たちと一緒に行かない?」

「えっ?」

「うちの車、六人乗りなのよね。さっき言った通り、私たちは明日遊園地に行くから、あなたと日向ちゃんくらいなら、一緒に連れていけるわよ」

「それは……」


 まさかの提案。

 確かにそれなら、うちとしてはすごくありがたい。

 けど、いいのか?


「家族で行くはずだったんですよね。俺と日向が混ざって、迷惑になりません?」


 坂部とはクラスメイトだが、昨日までまともに話したこともない。この人に至っては、これが初めてだ。

 そんな他人がついて行って、気まずくならないか?


「私たちは構わないわよ。巧は、むしろ日向ちゃんも一緒なら嬉しいんじゃない? ねえ巧」

「うん。日向ちゃんも一緒に行けるの!?」


 日向も一緒に行けるかもと聞いて、たっくんはますますはしゃいでる。


 そして、この話を聞いてはしゃいだのは、たっくんだけじゃなかった。


「明日行けるの? たっくんと一緒に? 行きたい! 行きたい! 行きたーい!」


 たっくんよりも、さらに数倍は目を輝かせて叫ぶ日向。

 普段は天使な日向だが、こうなったら一気に怪獣に変わる。やっぱりダメだなんて言っても、絶対に聞いてくれないし、すっごく駄々をこねることになるだろう。

 そういうのは、今までの経験から嫌というほど知っていた。


 そうなると、もう選択肢なんてない。


「本当に、迷惑じゃないですか?」

「全然。人数増えた方が楽しいしね」

「じゃあ、すみませんが、お願いします」


 俺が頭を下げると、日向はよっぽど嬉しかったのか、バンザイしながら何度もその場でジャンプする。


「ほら、日向。連れて行ってくれてありがとうございますって、ちゃんとお礼を言うんだぞ」

「うん! ありがとう!」

「どういたしまして。明日はよろしくね、日向ちゃん」


 成り行きで決まってしまった、遊園地行き。

 急なことだけど、それでも喜ぶ日向を見ると、これでよかったんだって思えてくる。


 けどこれ、坂部はどう思う? あいつは、迷惑がったりしないか?


 とにかく、実行委員の仕事の残りをやってもらった礼をかねて、メッセージを送っておこう。


 そのメッセージを受け取った坂部は、驚きのあまり声をあげるのだが、それは俺の知らない話だった。

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