第2話 意外な一面

 その日の夕方。学校の授業を終えた私は、たっくんを迎えに行くため、すぐに保育園に向かう。

 ってできたらよかったんだけど、帰ろうとしたところで先生に捕まって、ちょっとした用事を頼まれちゃった。


 そこまで大変じゃなさそうだから引き受けたんだけど、終わってみると、思ったより時間がかかってしまった。


「急がないと」


 すごく遅くなったってわけじゃないけど、あんまり待たせると、たっくんが寂しがるかも。そう思うと、自然と足が速くなる。


 そうして、たっくんの通う保育園にやって来て、まずは保育士さんに挨拶して、今日はお姉ちゃんじゃなくて私が代わりに来たんだって説明する。


 こんなことは今までにも何度かあったし、たっくんのクラスの担任の久瀬先生とはすっかり顔見知りだから、すぐにわかってくれた。


「お姉さんの代わりにお迎えなんて、偉いわね」

「いえ、そんなことないですよ」


 半分は私が好きでやってるみたいなもんだから、そんな風に言われると、なんだか照れくさい。


「最近の中学生って、みんなこんなに面倒見がいいのかしら」

「みんな?」


 久瀬先生の言葉がなんだか引っかかったけど、それより早くたっくんのところに行かなきゃ。

 寂しがってなきゃいいけど。

 もし寂しがってたら、まずは遅れたことを謝って、その分うんと遊んであげよう。


 そうしてたっくんのクラスに向かうと、近づくにつれ、中からなんだか楽しそうな笑い声が聞こえてきた。

 これは、たっくんの声だ。


「何してるんだろ?」


 たっくんは、どちらかといえば大人しい子だから、こんなに大声ではしゃぐのは珍しいかも。


「ねえ、もっとやって!」

「ああ、いいぞ。よっと!」


 聞こえてくる声は、たっくんだけじゃなく、男の人のものもあった。


 男の保育士さんかな?

 そう思いながら中を見ると、既にほとんどの子はお迎えが来ていたみたいで、残っている子どもはたった二人。

 たっくんと、あと一人は女の子だ。たしか、名前は日向ちゃん。


 たっくんと仲良しの子で、今みたいお迎えに来た時、一緒に遊んでるのを何度か見たことがあるし、私もちょっとだけ一緒に遊んだことがあるんだよね。


 まだ小さいのに顔の形がすっごく整ってるってわかって、大きくなったらすごい美少女になりそう。


 だだ、残っている子供はその二人だけだけど、そこにはさらにもう一人、わたしと同じくらいの男の子がいた。

 そしてそれを見たとたん、私は息を飲む。


「えっ、吉野くん?」


 そこにいたのは、なんとあの、吉野星くん。


 まさかと思ったけど、うちの中学の制服を着てるし、だいいちあんな綺麗な顔を見間違えるなんてありえないから、間違いない。


 どうして吉野くんがここに?

 さらに、驚いたのはそれだけじゃなかった。


 吉野くんは、私が来たことにも気づかず、たっくんや日向ちゃんと、何か話してる。


それから、しゃがんで両腕を広げたかと思うと、たっくんと日向ちゃんは、それぞれ片方ずつ、その腕を掴む。


「二人とも、しっかり掴まってろよ」


 吉野くんはそう言ったかと思うと、そのまま立ち上がり、両腕に二人をぶら下げた。

 そしてそのまま、二人同時に、高々と抱えあげた。


「わぁーーーっ!」


 いわゆるたかいたかいの、両手持ちバージョン。しかも、一度下げたと思ったらまた上げてっていうのを、何度も繰り返してる。


 たっくんや日向ちゃんはそれがすっごく面白いみたいで、その間ずっと、キャッキャと声をあげていた。

 廊下にいた時から聞こえてきた声は、これだったんだ。


 けど、どういうこと?

 なんで吉野くんがここにいるの? それに今の吉野くんは、ニコニコ笑ってて、学校で氷の王子様って言われているのとはまるで別人なんだけど!


 ポカンとしたまま見つめていると、上げ下げの勢いがだんだん弱まっていって、やがてぶら下がっている二人を、ゆっくりと床に下ろす。

 二人ともはしゃぎ疲れたのか、床にたったとたんフラフラとしたけど、吉野くんは再びしゃがんで、それをガッシリ受け止める。


 すると二人は、そのまま吉野くんにもたれかかっちゃった。


「いいか。フラフラのまま立ってたら危ないから、少しだけじっとしておくんだぞ」


 二人の頭を撫でながら、そう話す吉野くん。

 しかも、これまた普段学校では聞かないような、甘〜い声で。

 その様子を見て、気がつけば思わず呟いていた。


「か、可愛い……」


 だってそうでしょう。

 たっくんは元々可愛いし、日向ちゃんだってそう。そんな二人が無邪気に遊んで、しかもしかも、その相手があの吉野くんなんだよ! 今まで見たこともないくらいの笑顔や甘い声で、遊んであげているんだよ。

 これを可愛いって言わずになんて言うの!


 すごいものを見てしまった。

 できることなら、写真に撮って保存しておきたい。

 そう思いながら、見とれていると、たっくんがこっちに気づいた。


「あっ。知世お姉ちゃんだーっ!」

「やっほー、たっくん。今日はママのかわりに私が迎えに来たよーっ!」


 駆け寄ってきたたっくんを受け止め、頭をワシャワシャって撫でる。

 さっきの光景を見たことで可愛さ成分をたっぷり補充しているから、いつもの倍くらいワシャワシャしちゃう。


 だけど、私を見て反応したのは、たっくんだけじゃなかった。

 さっきまで笑っていた吉野くんが、急に顔を強ばらせ、目を丸く大きく見開いた。


「お、お前。確か、うちのクラスの……」

「うん?」

「うちのクラスの……うちのクラスの……」

「えっと……坂部だから。坂部知世」


 吉野くん、私の名前知らなかったんだ。

 ま、まあ、いいけどね。同じクラスって言っても、今まで喋ったことなんてほとんどないんだし、仕方ない。


 それより、今の吉野くんはなんだか激しく動揺していて、顔色も悪い。

 さっきの笑顔とは別の意味で、今こんな吉野くん、初めて見たかも。


 すると今度は、キッと鋭い目つきに変わって、睨むように私を見る。

 ああ、これは割と、普段の氷の王子な吉野くんっぽい。

 なんて、的外れなこと考えてる場合じゃなかった。


 なんだか吉野くん、すごく不機嫌そうに見えるけど、もしかして怒ってる?

 顔の形が整っているだけに、怒った表情には迫力があって睨まれると背中がゾクゾクしてくる。


 思わず後ずさるけど、吉野くんは逃がすかって感じで、どんどん詰め寄ってくる。

 そしてとうとう、壁際に追い詰められ、息がかかるくらいの距離まで迫ってきた。

 こ、怖いんだけど。


「なあ、いつからだ?」

「へっ? い、いつからとは?」

「だから、お前はいつからここにいて、俺のことを見てたのかって言ってるんだよ」

「そ、それは……」


 吉野くんが、二人同時にたかいたかいする少し前くらいから。

 けど、それを正直に言っていいのかわからない。もしかすると、余計怒らせちゃうかも。


「聞いてんのか?」

「ひぃぃっ!」


 さっきの笑顔や甘い声はどこいっちゃったの!?

 今の吉野くんには、ただただ恐怖しかない。


 どうしよう、どうしよう、どうしよう。

 氷の王子様から怒りを買うなんて、もしかして、私の中学生活終わった?


 そう思った、その時だった。


「知世お姉ちゃんのこと、いじめるの?」


 そう言ったのは、たっくんだ。たっくんは目をウルウルさせながら、心配そうに私と吉野くんを交互に見る。


 それだけじゃない。


「お兄ちゃん、イジワルしてるの?」


 日向ちゃんもまた、たっくんと同じように、不安そうな目を向けていた。


 子ども二人に見つめられた吉野くんは、「くっ……」と小さく唸るような声をあげる。


 それから、ほんの少し表情をヒクつかせたかと思うと、無理やりって感じで笑顔を作った。


 それから、二人のすぐ前でしゃがみ込んで、目線が同じくらいの高さになるように合わせて、話す。

 お姉ちゃんから聞いたけど、小さい子どもってこういう話し方をした方が安心するんだって。


「違うんだ。別に、いじめてるわけじゃないんだぞ」

「そうなの?」

「もちろんだ。俺がそんなことするやつに見えるか?」

「見えなーい」


 笑顔を作ったのが良かったのか、目線を合わせた効果があったのか、二人とも、吉野くんの言葉に素直に頷く。


「ただ、ちょっとだけこのお姉ちゃんと話すことがあるから、ちょっとだけ、二人で遊んでてくれないか?」

「うん遊ぶー!」

「僕もー!」


 そうして、二人は遊び始める。

 さっきも思ったけど、吉野くんって、子供の扱いがうまいの?


 けど、今考えるのはそこじゃないかも。

 吉野くん、私と話すことがあるって言ったよね。


「坂部、ちょっといいか」


 やっぱり。

 今度は、いったい何を言われるんだろう。

 お断りしますって言いたかったけど、もちろんそんなことできるわけなくて、ドキドキと冷や汗が止まらなかった。

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