第56話 姉は忙しい

 翌日の朝食時に自動車の設計図面と必要な素材のリストをエレオノーラに渡した以降は特に変化のない日が続いた。

 姉も忙しいのだろう。

 それでも朝だけは書庫に来て俺と一緒に朝食を取ることを続けていた。

 その際に車の話題は微塵もなかったのが少し意外だったけど。

 他のことはそれなりに話していたんだけど優先順位で考えると農業の方が上だから、そういうこともあるかと流していた。


 実際に農業関連の話題が大半だったし。

 昨日は何をしたのかとか今日の予定とかも話してくれたな。

 他にはガルフの愚痴を聞かされもしたけど。


「昨日も計算を間違えたのよ、あの馬鹿」


「そうなんですね」


 正直、次兄のことはどうでもいいので適当に相づちを打っておく。


「あり得る?」


 そう聞いてくる姉の目は釣り上がっていた。

 かなりお冠なようだ。


「計算を間違えるのはいつものことでしょう」


「暗算ならね。算盤を使っているのに遅いわ間違えるわって、ホント信じられないわよ」


 個人差があるから遅いことに関してはとやかく言うつもりはない。

 俺も前の世界では動作が遅いとよく言われたからね。

 ガルフに同情するつもりは、これっぽっちもないけれど。

 それに算盤を使って連日のように間違えているなど、ちょっと考えづらい。


「それ本当に使い方を理解しているんですか?」


 姉のこめかみに青筋が立った。

 ビキッという擬音が聞こえてきそうなくらい著しい変化だ。


「あのバカなら理解してないことも考えられるわね。この私が直々に叩き込んだというのに」


 低く絞り出すような声で姉が忌々しげな顔をしながら言った。


「使い方は分かるけどモタつくから使ってないかもしれませんよ」


「そっちの方があり得る話ね」


 姉の顔がスッと能面のような無表情になった。

 憤怒の表情は消えたが今の方が怖い。

 怒りは消えるどころか余計に膨れ上がったみたいだね。

 間違っても自分に向けられたいなどとは思わない。


 この後の展開は言わずもがなだろう。

 監視していたら案の定というべきか剣術の訓練と称して引っ張り出されたガルフがエレオノーラにボコボコにされていた。

 その後に算盤の試験を行ったのは下手な誤魔化しをさせないためだろうか。


 結果としてガルフは算盤を使わず仕事をしていたことが判明。

 先に心をへし折っていたおかげか、どうして使わなかったのかも簡単に白状した。

 ガルフ曰く、道具に頼らなくても計算はできるし面倒くさいから使わなかったのだそうだ。

 ちまちましていて性に合わないとも言っていた。

 学習しないよなぁ。

 そんなことを言えば姉の怒りを買うのは言うまでもない。


 黙秘しても徹底追及されるだけだが、だからと言ってバカ正直に心情まで暴露するのはどうかと思う。

 せめて、いくら頑張っても算盤が上達しないから暗算でどうにかしようとしていたと言えばマシだったかもしれないのに。


 実際、ガルフの算盤の腕前は初心者にしても酷いものだった。

 素早く計算しようとすると周囲の玉まで弾いてしまうし、正確にやろうとすると始めたばかりかと思うほど遅くなる。


 そこだけ切り取ればガルフの言い分もわからなくはない。

 同情の余地はないけどね。

 何よりもまず算盤を使いこなせず早々に逃げたのがダメだ。

 それならそれで暗算に切り替えたのだとしても計算ミスを減らそうとしなかったのもアウト。

 そして、いずれにおいても姉に報告しなかったのは怠慢としか言えない。


 こんな風に周囲の信用を失うような真似をする者が貴族家の家督を継げると本気で思っているのだろうか。

 本人は継ぎたいと思っているようだけど、ちゃんと自己評価してそれなのかと問いたい。



 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □



 そんなこんなで数日が経過した。

 今日は屋敷の方が騒がしい。

 来客が何人もいるようだ。

 こういう時は大人しくしているに限るということで地下にこもってバイクの設計をしている。


 自分専用車はどうしたのかと言われそうだけど、車の方はすでに仕上がっている。

 表に出せない仕様になっているので拡張した地下サーキットでしか走らせられないけど。

 もし、これをお披露目することがあるならガイザーをドライバーにするしかないな。

 シチュエーション的には謎の存在が謎の車で参上して問題を解決し去っていくというところか。

 それを想定してではないだろうけど今もリスタがサーキットでかっ飛ばして遊んでいるよ。


 ちなみにバイクの方もとことん趣味に走った仕様なので車と同様の扱いになる。

 ただし、変形させる予定なので試作ですら目途は立っていない。

 模型で確認したけど脆弱で壊れやすいせいだ。

 かといって不格好なマシンは作りたくない。

 変形は漢のロマンだからね。

 ロマンは追及してこそロマンなのだ。


「ん?」


 あれこれと試行錯誤しているとアラートが鳴った。

 書庫に誰か近づいてくるようだ。

 そろそろ日が暮れようかという時間なのに誰だ?

 何にせよ乗り込んでこられると書庫に俺がいないのがバレてしまう。

 しょうがない、戻るか。


 空間ゲートの魔法でサクッと戻ったので余裕はあるが外の様子はあえて確認しない。

 下手にボロを出すような真似はしたくないからだ。

 複数の気配は感じるが敵意は感じないから問題ないだろう。


 そうやって待ち構えていると、書庫の外が少し騒がしくなった。

 馬車が止まる音や話し声がしたかと思うと人が大勢動きだしたようだ。

 どうやら書庫の前で荷下ろしをしているみたいだね。

 その様子をうかがっていると玄関のドアが開いた。


「シド、いるでしょ。ちょっと、いらっしゃい」


 誰かと思えばエレオノーラである。

 なにやら俺に用があるようだけど何だろうね。

 表の荷物と少なからず関わりがあるとは思うけど確かめてみないことには分からない。

 俺はベッドを抜け出して書庫の玄関に向かった。


「何ですか、姉さん? 外が騒がしいようですけど」


「見れば分かるわよ」


 促されて玄関からヒョコッと顔を覗かせると、資材が積み上げられていくのが見えた。


「自動車用の資材ですか」


「ええ」


「職人に作らせるものだとばかり思っていましたよ」


「それもやってるわね。完成の目途がついたから、こちらにも持ってきたのよ」


「んん、どういうことです?」


 ちょっと意味がわからない。

 同じものを作って何の意味があるというのか。


「比較してみようと思ったのよ。シドなら2日もあれば仕上げられるでしょ」


「比較ですか」


「人を乗せるものだから慎重に進めないとね」


 職人が完成させた車のクオリティが気になるのだろう。

 精度が求められる部品が多いからしょうがない。


「それで2日後までに仕上げておけと」


「そういうこと。できるわよね」


「やりますよ」


 その気になれば今日中に仕上げられる。

 というか、今から始めれば日没までに終わらせられるだろう。

 さして複雑な作りをしている訳じゃないからね。

 面倒なのは魔石をすり潰して細粒化しフレーム内に隙間なく詰め込む部分だけだ。

 ここで内部に大きな隙間ができてしまうと魔力の流れに影響してしまうからゴーレム化した後の動作に影響が出てくる。


 デカい魔石をそのまま使えば、そういう心配はしなくてすむのだけど。

 簡単に手に入る材料で大量に魔力を蓄積させようとすると手間がかかる訳だ。

 細かく砕くことで設置場所を自由にできるのは利点でもあるけどね。

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