第51話 馬車の乗り心地は本当に悪かったんだ

 俺の考えをあれこれと述べた結果、エレオノーラはしばし考え込んだ後に開墾を領軍の訓練に組み込むことを決めた。

 意識改革という言葉は姉の琴線に触れたらしい。

 物は言いようである。

 決してチョロいなどと言ってはいけない。


「開墾の場所は試験農場の向かい側にするわ」


 近いしそれがいいだろう。

 開墾中はマージンができるから獣は出てきづらくなる。

 もっともゴブリンなどの魔物は別だ。

 そういう意味でも領軍の兵士が開墾するべきだろう。

 ただの領民と違って戦闘力があるから容易に撃退できる訳だし訓練にもなる。

 もっとも魔物との実戦訓練として考えるとゴブリンごときでは物足りないかもしれないが。


 そんなこんなで試験農場の候補地の視察を終え屋敷に戻ってきた。

 馬車から解放されるのは素直に嬉しい。

 乗り心地は最悪だったからね。

 ズボンの下にクッション材となるシートを仕込んでおいてこの有様だ。

 シートがなければ尻への深刻なダメージと乗り物酔いは避けられなかっただろう。

 あれはヤバい。何とかしないとならないだろう。


 馬車から降り地面を踏みしめると自然と大きなため息が出た。

 背後からクスクスと笑い声が聞こえてくる。


「初めて馬車に乗ったにしては大したものね」


「嫌みですか、姉さん」


 振り返ってエレオノーラを見上げる。


「僕は馬車の乗り心地のひどさに辟易しているんですが」


 愚痴を口にするだけでなく小さく嘆息してしまうことを抑えられない。


「まさか!? 本当に感心しているのよ。最後まで耐えきったのだから」


 どうやら嘘ではないようだ。


「ええ。なんとか舌を噛まずにすみましたよ」


 俺がそう言うと、何故か姉は目を丸くさせる。

 何か変なことを言ったっけ?

 そんな風に考えていると今度は大笑いされてしまった。


「どうして笑うんですか?」


 ムスッとした顔でとがめるように聞く。


「ごめんなさい。悪気はないのよ。ただ、さすがの貴方もそのことには気付かなかったんだと思うと、ついおかしくなってね」


「そのこと、ですか?」


 何が気付かなかったというのだろうか。

 思い当たるものが何もない。


「舌のことしか気にしていないのは初めて馬車に乗るにしてはおかしいのよ」


 指摘されて初めて気付いた。

 実にバカで致命的なミスをしたものだ。


「尻のことでしたらズボンの下に衝撃吸収性の高いシートを入れましたよ」


 今更しらばっくれても意味はないので正直に白状しておく。


「でしょうね。そうでないと平気な顔をしていたのは説明がつかないわ」


 この調子だと往路で気付かれていたと見るべきか。


「平気ではありませんでしたよ。乗り心地の悪さに辟易していたって言ったじゃないですか」


「そうだったわね」


 意味ありげに笑みを浮かべているところを見ると肯定の言葉を額面通りには受け取れない。

 何か企んでいそうだ。


「それで、そのシートは簡単に作れるものなの?」


 そう来たか。

 初めて馬車に乗った俺が平気だったことで衝撃吸収性の高さは疑う余地なしと見て取ったのだろう。

 欲しくなるのは当然だと言える。

 いや、簡単に作れるのかと聞くぐらいだから世間に広めようと考えているのか?


「言っておきますが、これも魔道具ですよ。でなきゃ中に仕込んでいるのが分からないくらい薄くできる訳ないじゃないですか」


 俺の説明を受けて姉は呆気にとられた表情を覗かせたかと思うと「しまった!」という顔で天を仰ぎ見た。


「それはそうよね」


 ションボリと肩を落とすエレオノーラ。


「自然に見えるからこそ違和感があったはずなのに気付けなかったとは情けないわ」


 わかりにくくしたせいで姉を落ち込ませてしまったな。


「最初は普通のクッションにしようかと思ったんですけど、それだと何処でどうなるか分からないじゃないですか」


 姉が選んだ護衛を疑うのは気が引けたのでぼかして言ったが盗難の恐れがあったということだ。

 それ以外にも視察中に馬車を離れる可能性もあった訳で目を離した隙に何者かが盗みを働くことは無いとは言えなかった。

 クッションを盗んでいくかどうかは微妙なところだが。

 フォローのつもりが言い訳になってしまったのも、これまた微妙だ。

 自分でも何がなんだか分からなくなってきたぞ。

 姉のショックが俺にも伝染したのかね。


「言いたいことは分かったわ。肌身離さずの状態なら紛失する恐れはないものね」


 結局、姉にも気を遣わせてしまったようだ。


「それだと馬車の乗り心地を改善するものを普及させる訳にもいかないかぁ」


 姉は残念そうに深く溜め息をついた。

 そんな顔をされると、つい口を出したくなってしまうじゃないか。


「クッションや座席で改善するのは魔道具化が必須なので難しいでしょうね」


「悩ましいわねえ」


 どうやら姉は何としても馬車の乗り心地を改善したいようだ。


「どうしても乗り心地を良くしたいのなら思い切った手を打つ必要はあるでしょうね」


 思い切った手という言葉を耳にした瞬間、姉はギョッとして俺を見た。


「魔道具の普及は焦っちゃダメよ」


 即座にたしなめられてしまった。

 話の流れからそう受け止められるのは自然なことだろう。


「いえ、純粋な魔道具ではありません」


 姉は勘違いをしていると指摘したが見当がつかないのか怪訝な顔をされてしまう。


「魔道具ではない?」


「完全に違うとは言い切れませんが専門の職人がいますから分けて考えるべきです。こっちの方が職人の数は多いはずです」


 エレオノーラはしばし考え込んでいたが、じきに小さく頭を振ってギブアップした。


「ちょっと分からないわね」


「ゴーレムですよ」


「は?」


 ますます困惑の色を濃くしていく姉である。


「ですから馬車をゴーレム化します」


「意味が分からないわ。馬車をゴーレムにできる訳がないでしょう」


 困惑と苛立ちをない交ぜにした顔でエレオノーラは抗議してきた。

 これはゴーレムというものを限定的かつ固定的に認識していそうだ。


「ひとつ姉さんに聞きたいのですが」


「何よ?」


「ゴーレムと聞いてどんなものを想像しますか?」


「どんなものって?」


 姉は再び困惑の色を濃くしている。

 それでも眉根を寄せて考え込み始めた。


「……人型で力が強くて、後は鈍重なことかしらね」


 ほぼ予想通りの答えが返ってきた。


「違いますよ、姉さん。どれも正しい認識とは言えません」


「えっ!?」


 全否定されるとは思っていなかったようで呆気にとられて固まってしまうエレオノーラ。


「まず、世間では人型のゴーレムが大半を占めているようですが、そうでないゴーレムも存在します」


「そうなの!?」


「ええ。人型以外では動物を模したものが多いですね」


「なるほど」


 納得する様子を見せた姉だったが──


「それから生き物の形をしていないゴーレムもあります」


 という俺の言葉に再び驚きを見せる。


「自動で開閉するドアや人や物を乗せて滑るように移動する廊下など色々あるようですよ」


 にわかには信じ難かったのだろう。

 エレオノーラは驚愕の表情で固まってしまっている。


「自動ドアに力は必要ないです。事故が起きると危険ですから」


 安全面に配慮されていないゴーレムだと特にね。


「それに鈍重かどうかは材質や刻み込まれた術式なんかも影響します」


「なんてこと……」


 今までの常識が崩壊したのか姉は愕然とした様子で呟く。

 まあ、本題はここからだ。

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