第50話 試験農場をどうするか

「ちょっと、それ特級魔法じゃない!」


 姉は驚きの言葉を発した。

 特級の上の超級や固有魔法も使える身としては影操作などデモンストレーション用の魔法でしかなかったのだけど。

 それにエレオノーラも影操作がどうかは知らないが特級魔法は使えるはずだろうに何を言ってるんだか。

 まだまだ俺のことを子供なのにというフィルターにかけて見ているな。


「のようですね」


「のようですねって、アンタねえ。どれだけ非常識なのか分かってるの?」


 呆れ顔になった姉がそんな風に聞いてくるが、それが分かっているなら最初から認識に食い違いが発生したりはしなかった。


「そんなことを言われても書庫の本でしか学習できなかった僕に世間での基準を求められても困るのですが」


「う……」


 罪悪感が湧き上がってしまったようで姉がたじろいでいる。


「僕にとっては普通のことです」


 引け目を感じている状態でこう言い切ってしまうと反論できないみたい。

 とはいえ、姉をやり込めたい訳ではない。

 このまま畳みかけてマウントを取っても印象が悪くなるだけだ。


「世間では非常識らしいので今後は自重しますよ」


 そんな訳で落とし所を設定して引いておく。

 あれこれ追及されなくなれば、それでいいからね。


「そうね。そうしてちょうだい」


 疲れをにじませた表情で深く息を吐き出すエレオノーラ。

 そんなに心労を与えてしまったのかと申し訳なくなったので今後は気をつけねば。


「話は変わるけど」


「はい」


「試験農場はこれくらいの広さで大丈夫かしら」


 ようやく本題だが聞くまでもないと思うんだけどね。

 耕作放棄地だったので土地が痩せていたことを除けば農地として適正なはず。

 少なくとも農地でもなんでもない場所で始めるよりは手間が省けるだろう。

 それでも耕さなければならないんだけど、それに関しても俺が魔法で掘り返したので残りの作業は整えるくらいになっている。


 今から他の候補地を用意して一から始めるとなると、おそらく開墾から始める必要があると思う。

 時間も労力も大幅に無駄にすることになるだろう。

 姉は広くないかもしれないと心配しているみたいだけど、いきなり多岐にわたって実験するのは現実的じゃないし問題あるまい。


「大丈夫でしょう」


 特に迷うこともなく返事をしたつもりだったのだが。


「本当に?」


 姉は不安が拭えないようだ。


「試験農場に求められるのは収穫量ではなく狙い通りの結果が得られるかを確認することじゃないですか」


 より多く収穫できる品種を作り出す場合でも結果から領内での収量の見込みが得られれば良い訳だし。


「最初から、あれもこれもと手を出す訳じゃないでしょう」


「それは……」


 言い淀むところから察するに貸し出した本の内容をすべて実行するつもりか。


「優先順位を決めて順番に進めていきましょうよ。まずは救荒作物の本命と予備がふたつあれば充分です」


 エレオノーラは即答しない。

 根拠もなくふたつで充分と言われても納得しかねるというところか。


「不安があるなら予備をもうひとつ追加すればいいじゃないですか」


 これでも姉は首を縦に振らなかった。

 もっと即断即決する人だと思っていたのだけどな。

 それだけヤバい状況に置かれているからかもしれない。


「種類を増やせばいいというものではありませんよ。人もノウハウもないのに欲張っても失敗するだけです」


 さすがにハッとするものがあったのか──


「それもそうね。焦りは禁物だわ」


 自分を戒める言葉とともに表情を引き締めていた。


「あと、将来的に試験農場を広げたいなら今のうちに開墾を進めておくしかないですよね」


 俺の言葉にエレオノーラが渋い顔を見せる。


「そうしたいのは山々だけど」


「人手不足ですか」


「ええ、そうね。こればかりはどうしようもないわ」


 現状で領内の総責任者である姉が言うからには、そうなんだろう。

 開墾は進めているはずだが試験農場に回せる余力などはないといったところか。

 作物が不足している時に実験などやっていては批判や不満が噴出してもおかしくはないからね。


「そうでもないですよ」


「どういうこと?」


 怪訝な顔をしたエレオノーラが聞いてくる。


「領軍の仕事に組み込めばいいんですよ」


「それは無茶よ。野良仕事をするのは農民であって領軍の仕事ではないわ」


 姉の言葉に黙って聞いていた護衛たちが小さくうなずいている。

 そりゃあ専門外の疲れる仕事なんて誰もしたくないよな。


「そうですか。せっかくの機会をふいにするなんて残念だなぁ」


 俺が芝居がかったわざとらしい物言いをすると姉は怪訝な顔で首をかしげた。

 護衛たちの耳も大きくなっているのがわかる。

 前世のひとつで役者として飯を食っていた経験が生きたかな。

 それとも単に向こうがチョロかっただけか。


「開墾することが何の機会になると言うの?」


「それはもちろん屈強な体に鍛え上げる機会ですよ」


「意味が分からないのだけど?」


「そうですか? 領軍の訓練は技を磨くことに重きを置いているんじゃないかと思うのですが」


 護衛たちを見る限り戦士としては線が細いんだよね。

 前世で騎士だったときも侍だったときも、ここまでスラッとしていたのは若手だけだ。


「それの何処がいけないの?」


「技を維持するための持久力がいかほどか気になりますね」


 視界の片隅で護衛たちが頬を引きつらせているのが見えた。

 心当たりがあるのだろう。


「その技も対人戦に限定されていませんか?」


 先代の記憶を引き継いでいるので聞くまでもないことなんだけどね。


「そうね」


 姉は否定しない。


「領軍の仕事は有事に備えることだと思いますが、そこに領民の安全を守ることが本当に含まれていますか?」


 質問の意図が読み切れなかったのか困惑の表情を浮かべるエレオノーラ。

 それは護衛たちも同様だった。

 彼らは自重して口を閉ざしているが内心では「何を当たり前のことを聞くのか」と思っているに違いない。

 ハッキリと顔には出ていないが彼らには侮るような空気感がある。


「作物に獣害が出ているのに冒険者任せで領軍は出ていないんですよね」


 これは毎朝、姉と朝食を続けている間に雑談の中で聞いたことだ。


「このあたりにダンジョンもないのに、まともに冒険者が来るとでも?」


 商人の護衛や移動の通過点として訪れることがほとんどのはず。

 そうなると滞在中の片手間仕事として受けるのが、せいぜいだろう。


「姉さんは人手不足と言いましたが、使える人材を使わないのは人手不足とは言いませんよ」


 手厳しいことを言ったが反論はなかった。

 おそらく姉にも分かっているのだ。

 ただ、領軍の方まで手が回らないために人任せにしている結果がこれである。


 領軍のトップはガルフのはず。

 現場指揮なら抜かりなくこなせると目されていたんじゃなかったのか。

 周囲の評価通りなら発生している問題を深刻に受け止めていないんだろうなぁ。

 それとも領民の苦境を軽く見ているのか。

 いずれにせよミューラー伯爵家を継ぎたいと考える人間の判断ではないな。


「領軍には意識改革が必要でしょう」


「意識改革ですって?」


「獣害が放置されるのは治安維持ができていれば充分などという考えが蔓延しているからじゃないですか?」


 そこだけ徹底しても農民たちが不利益を被ったり危険にさらされていては意味がない。

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