第44話 姉は今日も相談を持ち込む

 翌朝もエレオノーラは朝食持参でやって来た。

 これ、習慣になるんじゃないだろうな。


 それはそれとして算盤の件は俺の意見を素案にして文官たちが細かく煮詰めるそうだ。

 で、今日の用件はというと……


「あの本はすごいわね!」


 貸し出した農業の本についてのようだ。


「昔のものなのに知らない知識の宝庫だったわ」


 それはさすがに言い過ぎである。

 救荒作物や効率的に収量を上げる農業についてをまとめただけだからね。


「領内で実践できれば良いのだけど、お父様に許可をいただかなくてはならないわね」


 うげっ! そこまでの話になるとは思ってなかったんですが?

 かといって今さら控えるように言う訳にはいかないし。


「うちでは四圃式の農地運営が最適だと思うのだけど上手くいくとは限らない訳だし、牧畜も大幅に変えなければならないとなると許可が下りないかも」


「それなら試験農場でも作ったらどうですか?」


「試験農場?」


 未知の言葉にエレオノーラは頭に疑問符を浮かべたような顔をしているものの否定的な空気は感じられない。

 子供の言うことだからと否定されてもおかしくないと思うのだけど、ずいぶんと信用されたものだ。


「限定的な範囲で今までにない方法を試す農場ですよ」


「狭い場所に限れば失敗しても実害は少なくなるという訳ね」


 メリットはそういうことだ。


「でも、その実害を被る農民からすればたまったものではないわ。失敗すれば利益が出ないし、税金も払わなければならないのだから」


「試験農場は農民には任せませんよ」


 俺が即答すると姉は呆気にとられた顔でしばし固まってしまった。


「……どういうこと? 意味が分からないわ」


 言葉足らずというか説明が良くなかったな。

 農業の専門家に農地で農業をさせないと聞かされれば誰だって困惑するだろう。


「試験農場は当家で完全に管理します」


「まさか文官や武官に農業をさせるというの?」


 さすがに姉からは信じられないという目を向けられてしまった。


「いいえ。役人の地位を与える形で農民を雇います」


 実際には農家を継ぐことのできない労働力としても持て余されている若者が対象になると思う。

 領都であれば農業以外にも仕事があるだろうけど馴染みのある農業の方が知識も経験もある分だけハードルも低いはずだ。

 募集して必要人員を集められるかは、やってみないと分からないけれど。


「役人として雇う理由は?」


「給料を支払った上で収穫物から徴税しなければ農業試験を自由にできるでしょう?」


 この考えは、いささか大胆すぎたかもしれない。

 エレオノーラの目がこれ以上ないくらいに見開いてしまっている。

 すぐ元に戻ったが、そこまで驚くと思ってなかったよ。


「食い扶持が安定していれば失敗を恐れる必要はなくなるということね」


 察しは良くて何よりだ。

 これが次兄ガルフだと難しいだろうなぁ。


「それと税金の心配をしなくて良いなら収量も気にしなくて良くなるので指示に従わせやすくなりますよ」


 まあ、役人の地位を与えることで従わない場合は処罰できるんだけど。

 それで敬遠されると人が集まらなくなるので、心理的な負担を減らして働きやすくなるように考えたつもりだ。


「でも、役人にするのは考え物ね。増長する者が出てくる恐れもあるわよ」


 ただの領民より立場が上で権限が与えられているから姉が懸念するのも無理はない。


「そこは文官でも武官でもないとして権限を絞ってしまえば、ある程度は防げると思います」


「文官でも武官でもない……」


 この世界にはない発想のためかエレオノーラは考え込んでいる。


「とりあえず専門の職能を持った役人ということで技官とでもしましょうか」


「それで本当に人が来るかしらね」


「給料を支払い生活を保障することだけは最低限保証すれば確実に。逆に変なのを採用しないよう試験と面接はした方が良いでしょうね」


「面接はともかく試験は厳しいんじゃない? 読み書きができる農民なんて多くないわよ」


 識字率は高くないだろうと思っていたけど、やっぱりか。


「解答欄を選択式にして試験問題は読み上げれば良いかと。まあ、でも採用後は報告書を書く必要が出てきますから教育する必要は出てきますけど」


「新しいことを始めようとすると一筋縄ではいかないわね」


「納税のように教育が義務化されていませんからね」


 エレオノーラが虚無の顔で俺を見てくる。

 突拍子もないことを言い出したとでも思われているのだろう。


「僕の見立てでは識字率が上がるだけで今より領内の経済が活性化しますよ。さらに計算ができるようになれば流通規模が倍になってもおかしくないと思います」


 見立てと言うよりは前世の経験なんだけど、それだけに確信はある。

 流通規模が倍になるかは他の要素もあるから不透明だけどね。


「そうかしら?」


 俺の発言にはエビデンスがともなっていないので姉もさすがに懐疑的である。


「文官の人たちは読み書き計算ができるから滞ることなく業務を進められるんですよね。それと同じです。彼らが計算ができず字を書けなかったら、どうなります?」


 初めはピンときていなかった姉だが、俺の問いかけにハッとした表情を浮かべた。


「時間が短縮されることで効率が上がるのね」


「そういうことです」


「教育にも力を入れないとダメなのね」


「ダメとまでは言いませんが、学校で学ばせて一定の学力が備われば色々とはかどるようになると思いますよ」


「でも、どうすれば……」


 悩ましげに眉根を寄せるエレオノーラ。


「さっきも言いましたが義務化することですね」


「それは無理よ。子供も労働力として当てにしている親は少なくないわ」


「なにも朝から晩まで学校で拘束する訳じゃないですよ。それと子供を学校に通わせれば手当を支払うとか給食を出すとかすると良いかもしれませんね」


 俺が即答で反論すると姉は呆気にとられた様子を見せる。


「よくもまあ次から次に妙案が出てくるものね」


「伊達にここの蔵書を読みあさっている訳ではありませんよ」


 本当は前世があるからこその発想なんだけど。


「とにかく学校については試験農場をどうにかしてから考えればいいんじゃないですか、姉さん?」


「それもそうね。技官を雇って教育すれば、学校のノウハウも得られそうだし」


 貪欲だねえ。


「まずは試験農場ですよ、姉さん」


「そうね。失敗しても大丈夫なんて夢のようよ」


 夢は言いすぎじゃないですかね。


「試験農場でなら四圃式も試せますよ」


 結果を確認できるようになるまでには時間がかかるけれど。


「まずは、どの救荒作物がこの地に適しているかを確かめるのが先決ですかね」


 虫害が酷くないならトウモロコシが小麦の代替になるだろうし、大豆は調味料の原材料としても有望だ。

 個人的には蕎麦が育ってくれると嬉しいんだけど。

 ただ、急いで備蓄食糧を確保する観点からすると芋類がお手軽か。


「失敗を前提に動けるなら試すのも怖くないわね」


 そして、当たれば大きい。


「もしかして、あの本に書かれていた品種改良というのも試験農場を前提にした発想なのかしら」


「そうかもしれません」


 姉の意欲は尽きることがないようだ。

 この調子なら試験農場だけでなく学校についてもすぐに始めてしまうかもしれない。

 少なくとも雇うことになるであろう技官専用のものは確実に用意するだろう。

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