第42話 姉、さらに驚く

 翌日は朝からエレオノーラが押しかけてきた。

 2人分の朝食を手にしていたおかげで、すでに済ませていた朝ご飯を再び食べる羽目になりましたよ。


「これが例の本です、姉さん」


 ボロボロの古びた本をエレオノーラに手渡す。


「ずいぶんと古い本のようね」


「そのようです」


 実際は作りたてホヤホヤなんだけどね。

 出所を問われそうだから古く見えるように偽装したのは内緒だ。

 知らぬ存ぜぬで通しても著者を捜し出そうとすることだって考えられるし。

 奥付の概念がない世界で助かったよ。

 巻末にいつの時代の誰が書いたなんて情報が記載されていたら、あれこれと調べられていたと思う。


「綺麗だわ」


 ページをそっとめくりながら目を通していたエレオノーラがぽつりと呟いた。


「え?」


 思わず聞いてしまったさ。

 意味が分からなかったからね。


「どのページも」


 姉がそう言いだした瞬間に偽装できていない所があったのかと内心ひどく動揺してしまったが、どうにか抑えこむ。


「──字が綺麗。同じ大きさ、同じ形、並びも整然としていて少しの乱れもない」


 しまった!

 手書きの本しかない世界で印刷の本を作ってしまったよ。

 かつては手書きの本しかない時代を生きていたこともあるというのに現代文明に染まってしまったせいで、この体たらく。

 間抜けにも程がある。

 とはいえ、その動揺を姉に悟られる訳にはいかない。


「どうすればこんな本が書けるのかしら」


 エレオノーラは驚きと関心が入り交じった疑問を口にした。


「考えられるのは2通りでしょうか」


 俺がそう言うと、本に視線を落としていた姉が顔を跳ね上げるようにしてこちらを見てきた。


「シド、わかるの!?」


「わかるというか、想像がつくというだけの話ですよ」


 とっさに思いついた言い訳が果たして姉に通じるのか。

 冷や汗ものだ。


「それで?」


 待ちきれない様子で先を促されてしまう。

 腹をくくって押し通るしかないな。


「ひとつは単純な方法ですよ、姉さん。ゴーレムを使うんです」


 そう言っただけでエレオノーラの目は獲物を見つけた猟犬のように鋭さを増した。

 俺が普通の子供だったら震え上がっていただろうな。

 殺気がないから怒りの感情などは無いと確信できたので何とも思わなかったけど。


「その発想はなかったわ!」


 姉は興奮気味に鼻息を荒くしている。


「ゴーレムなんて力仕事をさせるためのものだと思っていたけれど、筆記に使うとは考えたわね。正確に同じ動きができるゴーレムならではの斬新な発想じゃない」


「僕が考えた訳じゃありませんよ。それにそういう可能性があるというだけですから」


「もうひとつ、あるのよね?」


 姉は興味津々である。


「ええ、専用の魔道具を使う方法です。ゴーレムの手足がない分コンパクトになりますよ」


「ちょっと待って」


「何です?」


「手のない魔道具でどうやって字を書くというの?」


 印刷の概念がないと、そんな風に思ってしまうものなんだな。


「文字の形をした突起にインクをつけて紙に押しつければいいだけです」


 宍戸紀文だった頃には骨董品となっていたタイプライターなんかもこれだな。

 こちらの世界にはないものだから説明が難しい。

 版画で説明できれば直感的に理解できたと思うのだけど、この世界で版画は普及していないので無理だった。


「それは手で書くよりも時間がかかるのではなくて?」


 姉が怪訝な表情を浮かべながら聞いてきた。

 版画の状態を想像しているのか。

 察しがいいな。


「小さな突起に1文字だけ割り当てて指定した文字が押されていくようにすれば良いじゃないですか」


「よく分からないわね」


 いくら姉の察しが良くても言葉だけで説明するのは限界があるよな。

 俺の説明が下手なだけという話もあるかとは思うけど。


「ご要望とあれば、その魔道具を作りますよ」


「は?」


 短く間の抜けた声を発したエレオノーラが唖然として俺を見たまま固まってしまうことしばし。


「何を言っているのかしら、シド」


 小さく頭を振りながら言っているところを見ると、よほど信じられないのだろう。


「紙に文字を打ち出す魔道具を作ると言ったんですが」


「そんなこと本当にできると思っているの?」


 動揺をあらわにして聞いてくるが無理もない。

 魔道具職人なんて国に何人もいるものじゃないからね。

 ましてや俺は魔法が使えないと思われている。


「魔力操作ができれば魔道具は作れますよ。そういう本を読んで練習しましたからね」


「なっ」


 エレオノーラは驚きの声を発したきり絶句してしまう。


「たとえば、このランプがそうですよ」


 言いながらサイドテーブルに置かれたランプに軽く触れると魔法の光を灯した。


「あらかじめ魔力を注ぎ込んでおけば軽く触れるだけで点灯や消灯ができます」


 そう説明したが、姉は大きく目を見開き魔法のランプに見入っているので耳に届いているかどうか怪しいところだ。

 試しに消灯してみたら我に返ったようになって、こちらを見てきた。


「本当に?」


 言葉を絞り出すようにして聞いてくるエレオノーラ。


「普通のランプはオイルがないとつきませんからね」


 その先は言う必要がなかった。

 表情を渋く変化させた姉を見ればわかる。

 オルランが燃料なんて俺に渡す訳がないのだということを悟ったと。


「苦労させたわね、シド」


「そんなことはないですよ。工夫すれば色々とできることが分かったので充実しています」


 そう言ったら姉の涙腺がゆるみそうになっているんですけど?

 こういうの苦手なんだよね。

 とにかく話を先に進めて湿っぽいのを何とかしないと。


「姉さん、これを見てください」


 サイドテーブルの上に置いておいた魔卓を手に取る。


「それも魔道具なの?」


「ええ」


 適当に簡単な計算式を入力してから姉に手渡した。


「これは……」


 しばし眺めていたエレオノーラの目の色が変わった。


「計算をする魔道具ね?」


「そうですよ。魔法卓上計算機、略して魔卓です」


「こんな複雑な魔道具まで作れるなんて」


 いやいや、ゴーレムに比べればすごく単純なんですけど?


「でも、これは表に出せないわね。騒ぎになるどころではないわよ。これひとつで戦争が起きてもおかしくないくらいだわ」


 いくらなんでも大袈裟な、とは言わない。

 この世界には確かに魔道具があるが魔法のランプのようなものでも、お金持ちだけが購入できる高級品や貴重品として扱われている。

 普及率は推して知るべしというものだ。

 作っておいてなんだけど姉の反応を見たら魔卓がどんな評価を受けるかは想像がつかなくなってしまった。


「血を用いた契約魔法で登録した者以外は使えないようにはしてるんですけどね」


「使って確かめられないから、これが何なのかはわからないと言いたいの? 使っているところを見られたら意味ないわよ」


「いえ、紛失しても召喚魔法を使えば帰ってくるので盗難対策にもなっています」


「だとしてもダメね。これはここで保管しなさい。見なかったことにするわ」


「これくらいの魔道具は当たり前で使える世の中にしたいんですけどね」


 そう言うと、ギョッとした目で見られてしまった。


「シドは恐ろしくも大胆なことを考えているのね。命を狙われる恐れだってあるわよ」


「そうならないような手は考えますよ。今すぐどうにかしたいと思っている訳じゃないですから」


「それを聞いて安心したわ。もし動き出すなら先に相談してね」


「はい、姉さん」


 俺の返事を受けて姉は柔らかい笑みを返してきた。

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