第40話 その日のうちに

 エロ脳筋ガルフが去って数時間ほどで再びアラートが鳴った。


「またバカ兄か?」


 今まで誰も来なかった離れの書庫に来る人間などガルフしか考えられない。


「こっちの迷惑を考えろっての」


 自転車のテストは終わったけど普通に迷惑だ。

 当人としては進捗が気になるんだろうけど。


「あんなもの普通は数時間で処理しきれる訳ないってわからんのかね」


 ガルフが置いていった報告書の書式がバラバラだし、何より数が多い。

 普通は1日仕事だろう。

 書類仕事が苦手なエロ脳筋なら3日かかっても終わるかどうか。


 もっとも引き受けた覚えはないので書類に目を通した後は手をつけていない。

 表向きはね。

 実は映像確認用のタブレット端末に表計算機能を追加して帳簿を仕上げておいた。


 もっとも、これを出力してバカ兄に渡すつもりなどない。

 義理も情もないからね。


 じゃあ、どうして帳簿をつけようと思ったのかという話になると思うけど。

 書類に目を通している間に違和感を感じたから記帳して探ってみることにしたんだよね。

 そしたら報告の矛盾が明らかになった訳だ。


 書類への記載にミスがあるか小遣い稼ぎのために中抜きをしているかが考えられた。

 どっちなんだろうとは思ったものの追求するつもりはない。

 違和感の正体を突き止めるために帳簿づけをしたにすぎないのであって、それを報告するつもりなど毛頭ないのだ。


 だからこそタブレットを使った。

 ストレージやポケットの魔法で亜空間にしまっておけば発見される恐れもない。


 無責任だと言われそうだけど、この仕事は本来割り振られるはずはなかったものである。

 それに俺が気付いたということは姉も気付くだろう。

 次兄はダメそうだけど。

 どう転んでも発覚するなら俺が報告をする必要もない訳だ。


 むしろ藪蛇になって目をつけられかねない。

 余計な真似をして自由を奪われるなど論外であり御免被る。


「さて、病人設定再びだな」


 ササッと地上の書庫に戻ってベッドに潜る。

 押しつけられた仕事は拒否している姿勢を見せつけるためにも読書を続けているという体でいくつもりだ。


 ガンガンガン!


 待っていると力強くドアがノックされた。

 俺は一瞬だが呆気にとられてしまう。

 最初に来たときは何としても目的を達成するためか誰にも見つからないようコソコソしていたというのに。

 仕事の押しつけが成功したら余裕が出てくるものなのか。


 俺が返事をする前に玄関のドアは開かれた。

 そして予想外の人物が書庫の中に入ってくる。

 カツカツと靴音を立てて、背の高い女性が俺がいるベッドの方へ向かって歩を進めてきた。

 その歩みには迷いなど微塵も感じられず俺に用があるのは間違いないようだ。


「シドね?」


 ベッドのすぐそばまで来た女性エレオノーラが声をかけてきた。


「そうですが、貴方は誰ですか?」


 監視カメラで見ていたから、その女性が長姉であることは知っている。

 が、出戻りの姉と先代の間に言葉を交わした記憶はない。

 先代の物心がつく前に嫁いでいき帰ってきたのは最近だったからだ。

 向こうも俺がこんな場所に押し込められているとは知らなかっただろう。


 という訳で下手な芝居を打って姉であることに気付かないふりをしてみた。

 そちらの方が自然だろうからね。


「貴方の姉のエレオノーラよ。覚えていないかしら?」


 姉は名乗ってから問いかけてきた。

 姉のことは先代から受け継いだ記憶の中にわずかに残っている程度だ。

 こういう場合は名乗りを受けて少し思い出した程度に答えるのが正解か。

 実際、家族として接した記憶はほぼ残っていないので嘘にはならない。


「言われてみればという程度にしか」


 正直に答えると少し寂しそうに苦笑されてしまった。


「仕方ないわね。今は兄に代わって領主代理として家にいるのよ」


「帰ってこられたということですか」


「ええ、そうね」


 離婚についてはデリケートな話題になるかと思ったのだけど、エレオノーラはサバサバしている。

 そこから長兄オルランが失踪して病死扱いされたことなどを聞かされた。


「達観してるのね」


「正直に言うと長兄がいなくなって安堵しています」


「虐待されていたのでしょう? 気付かなくて御免なさい」


「気にしていません。書庫から出なければ不干渉でしたし、ツラいと思うようなことは特にありませんでしたよ」


 痛ましげな目を向けられてしまった。


「こんな場所に閉じ込められて、それは……」


「夜中には散歩していましたし閉じ込められたとは思ってないです。むしろ、ここには自由があって居心地が良かったですよ」


「それでも、ここには誰もいないわ。ずっといれば気が変になりそうとかならないの?」


 沈痛な表情を深めていく姉だが何か妙な勘違いをされてしまっているようだ。


「別にそういうことはありませんよ。ここは本も沢山ありますし退屈しません」


 俺の返答にエレオノーラは俺の手元にある本をチラリと見た。

 経営学の本だったので軽く目を見開いている。


「姉さん、もしも僕を母屋の方へ連れて行こうというのなら、やめてください」


 その言葉に反応して口を開きかけた姉だが、俺は次の言葉を被せることでそれを封じる。


「ここは本当に居心地がいいんです」


「でもっ」


 諦めが悪そうなので話題をそらすことにした。


「仕事を押しつけてくる人がいなければ、もっと伸び伸びできるんですけどね」


 そう言うとエレオノーラの表情がサッと変わった。

 一瞬、般若のごとく怒りの表情を覗かせたかと思うとスッと能面のように無表情になる。


「ガルフね」


 次兄の名を出した姉の声は今までとは別人のように冷たかった。


「そうですね。報告書から帳簿に仕上げる仕事は子供には無理があると思いますよ」


 エレオノーラがギョッとした目で俺を見てきた。

 あ、やべ。余計なことを言ってしまったな。


「兄さんがそういう仕事だと言っていたので」


 言い訳がましいが、それでエレオノーラも表情を戻したので、とりあえずは良しとしよう。

 ただ、驚きから怒りにシフトしたようで。


「あんの無駄飯食らいがっ」


 吐き捨てるように言っていた。


「簡単な計算を任せたと言っていたのは何なのかしらね」


 この言葉は俺に聞かせるものではないとわかっていたので怒りの表情を浮かべていても怖いとは思わなかった。

 エロ脳筋はバカなことをしたものだ。

 姉の怒りが降りかかるのは確定したからね。

 同情はしないけど。


「簡単ではないでしょうね。兄さんは計算が苦手のようですし現場仕事の方が向いているんじゃないですか」


 俺がそう言うと姉は意外だと言わんばかりのキョトンとした表情になった。


「よくわかるわね。ずっとここにいるのに」


「帳簿付けから逃げ出すということは書類仕事、特に計算が苦手ということでしょう?」


 そう問いかけると姉はなるほどという表情を見せた。


「確かにシドの言う通りよ。ガルフは計算がてんでダメね」


 そうとわかっていても仕事を割り振らざるを得ない状況なんだな。

 姉には同情を禁じ得ない。

 オルランが先送りにしていた問題を背負わされた上にエロ脳筋ガルフは使えないとくればね。


 せめて電卓がこの世界にあれば少しは楽になると思うんだけどさ。

 魔道具でそれっぽいものは作れるかな。

 虐待を受けていたことを詫びてくれたし俺のことを気遣ってくれたから一肌脱ぐのはやぶさかではない。

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