第39話 巨漢がコソコソやって来た
その日、エロ脳筋こと次兄ガルフがいきなり訪ねてきた。
秘密基地の試走階層のオフロード用周回コースで自転車のテストをしている時にアラートが鳴ったから何事かと思ったよ。
監視カメラで確認したら母屋の方から向かっているガルフが映っていたという訳だ。
しょうがないので自転車のテストは切り上げて空間ゲートで書庫のベッドに戻った。
長兄オルランが勝手に押しつけてくれた俺の病弱設定を利用するためだ。
日に当たっていないから顔色が悪く見えるのも打って付けだ。
向こうが何を言ってくるか分からないから、それらしく振る舞わないとね。
母屋へ戻れとか言われても困るし今さらの話だ。
俺は書庫で引きこもり生活を満喫させてもらうよ。
ガルフはノックもせずにドアを開けササッと中に入ってきた。
ドアを閉める際に190センチはあるであろう巨漢が身を縮めてコソコソと隙間から母屋の様子をうかがう様はコソ泥のようだ。
目撃されていなかったか気にしているようだけど、怪しいったらありゃしない。
ドアを閉め振り返ったガルフは姿勢を正してこちらに向かって悠然と歩いてくる。
余裕のある素振りで兄としての威厳を示したいのかもしれないな。
ただ、小物感あふれる姿を見た直後だと滑稽にしか見えない。
内心では白けているのだけど、それを悟られても面倒なので本を読んでいる振りをして視線を合わせないようにする。
枕元にまでガルフが近づいてきたところで、ようやく顔を上げた。
「喜べ、シド」
久しぶりに顔を合わせたのに挨拶もなしか。
ならば俺から挨拶をする義理もないだろう。
「お前に貴族としての責務の一端を担わせてやろう」
は? と思ったが声は出なかった。
いきなり切り出された用件が訳のわからない内容で呆気にとられてしまったよ。
「ミューラー伯爵家の一員として誇りある仕事を任せてやろうと言うのだ」
こちらの困惑ぶりを見て取ったのか説明を追加するガルフ。
何のことやらサッパリだ。
厄介ごとの匂いだけは嗅ぎ取れたけどね。
これは俺の方から迂闊に喋ったり返事をしたりするとロクなことになるまい。
否定も肯定もせず聞き流すのが正解ではなかろうか。
それはそれでガルフの不興を買うことになるかもしれないが、変に責任を押しつけられて追い込まれる事態に陥るよりはマシだろう。
後で問題が発生した際に知らぬ存ぜぬが通じないかもしれないというリスクもあるけどね。
それでも何か厄介ごとを押しつけようとしているガルフの意に沿うような真似だけはしてやるものか。
「これはとても名誉なことなんだぞ」
静かに反抗心を燃やしている俺を尻目にガルフはベッド脇のサイドテーブルに書類を積み上げる。
軽く辞書くらいの厚みはあるな。
自身に割り当てられた書類仕事を俺に押しつけるつもりか。
大丈夫か、このエロ脳筋?
10才の子供に家の仕事をさせる身内が何処にいるというのか。
小学生レベルの計算ドリルを解くのとは訳が違う。
とっくに成人した大人であるガルフが持て余して難儀するような代物のはず。
「この仕事は伯爵家が管理する領地を運営するために必要なものなのだ」
それを日本であれば小学校に通っているような子供に押しつけるか、普通。
客観的に見て能力が足りていないというのは誰の目にも明らかだろうに。
この男は俺に責任を押しつけるつもりじゃないだろうな。
それとも現実逃避をしているだけなのか。
さすがにそこまで能無しではないとは思うけど、何であれ無責任すぎるだろう。
オルランの捜索をしたときのリーダーシップは何処にいったのかと問い詰めたくなったさ。
……もしかして現場の指揮を執るのは得意だけど書類仕事がからっきしとか言わないよな。
あり得る話かもしれない。
連日のように伯爵代理として辣腕を振るう長姉エレオノーラにドヤされているのも、そういう事務仕事でミスが多いからだったし。
「上がってきた報告から諸費用を間違いなく計算しなければならん」
特に計算は壊滅的と言って差し支えないレベルのようだ。
小学生の計算ドリルを解かせたらどうなることやら。
「ミスは許されん」
アンタはしょっちゅうミスしてるじゃないか。
完全にブーメランだろ、と心の中でツッコミを入れておく。
「しかしだ。貴族家の一員として甘えは許されない」
どの口が言うんだか。
人に自分の仕事を押しつけようとしている人間が甘えるなとは笑止千万。
どんどん心の中が冷えていく。
ガルフに対しては元から何とも思っていなかったが、ゼロに近かった情がマイナスされたのは言うまでもない。
「そこで俺の仕事の一部をシドにも任せてみようということになったのだ」
まるで自分1人で決めたことではないかのように言っているが、そんなことはない。
少なくとも俺が確認した監視映像の中では無かったさ。
無意識のうちに出てきた保身のための言葉であるのは疑う余地もない。
「そういう訳だから任せたぞ」
そう言うやいなや、エロ脳筋ガルフは足早に書庫を立ち去った。
何の説明もなく書類を置いて任せたは酷すぎだ。
バカなのか? 本気でそう思ってしまった。
先日の陣頭指揮を執っていた次兄は何処に行ったのかと思うくらい別人に変貌してしまっている。
おそらくだが現場仕事でしか頭が働かない口なんだろう。
書類仕事になると脳が拒絶反応を起こして頭脳労働を拒否してしまう。
その手の人間は前世で何度も見てきている。
力こそパワーとか宣う脳筋に多かった。
どちらもダメというどうしようもない奴もいたけどね。
そういうのに限って上に媚びへつらうのと他人の手柄をかすめ取るのが上手くて出世してたりするから質が悪い。
でもって息をするようにパワハラをするんだよな。
それがないだけガルフはマシな方か。
仕事の押しつけもパワハラだとは思うけど引き受けた覚えはないし。
後で文句を言われるだろうが知ったことではないな。
手本を示すどころか、まともな説明もなく子供に仕事を押しつけている時点で非常識きわまりないのだ。
まあ、自分が満足にこなせない仕事を説明できるはずもないんだけどさ。
「そこまで頭が回らないってことは現実逃避してるんだろうなぁ」
どれほど難しい書類を持ってきたのだろうかと思わず嘆息してしまう。
重要書類を敷地内とはいえ屋外に持ち出すのはどうなんだろうね。
部外秘レベルのものであるなら重い処分を下されても文句は言えないと思うんですが?
そういや領地運営に必要だと言っていたな。
まあ、あれはいかにも重要で責任ある仕事だというのを強調するため大袈裟に盛って言っていただけだとは思うけど。
「さすがにそこまでバカじゃないだろ」
言いながらエロ脳筋が持ってきた書類を手に取り目を通していく。
「おいおい……」
本当に領内の収入と支出に関連する報告書じゃないか。
こんなのが外部に流出したら色々と問題があるだろうに。
こちらの財政状況を把握された上で経済戦を吹っ掛けられたら分が悪いどころじゃない。
それ以前に情報流出による信用問題に発展するのは必定だ。
商人にそっぽを向かれたら領内の経済運営が立ち行かなくなるぞ。
「アイツはバカだ」
ガルフに割り当てられた仕事は、この報告書から帳簿に記帳することだろう。
収支を把握するためには必要なことだ。
それを手つかずの状態で放り出すとは重要性を理解していないのかね。
「こんな奴にミューラー伯爵家は任せられないな」
アルス国では貴族家の継承は男女にかかわらず長子が基本なのでガルフが継ぐ目はよほどの功績がない限り無理だけど。
ここまで無責任な真似をするとはね。
呆れて言葉も出てこないよ。
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