第35話 とりあえず平穏

 何だかんだと精神世界で話し込んでしまった。

 その中で世界の管理者の名前を聞いてみたら──


「好きに呼べばいいよ」


 だそうだ。

 名前がない訳ではないが人間には発音できないらしい。

 見た目も人間である俺に合わせているだけで本来は不定形なんだそうだ。

 よくわからん。


 あえて言うなら何にでもなれるが何者でもないといったところか。

 前任者がいたというくらいだから同族の個体識別はできているようだけど。

 それと性格も大きく違うようだし。

 前任者とやらは怠け者だと聞いた覚えがある。


 じゃあ、俺に彼らが見分けられるのかと問われれば答えはノーだ。

 今の和装青年に変身した姿ならともかく本来の姿をした世界の管理者と前任者を見比べても区別はつけられないだろう。


「では御言葉に甘えて、ノーサムはどう?」


「聞かない名前だね。君はユニークな発想をしているようだ」


 朗らかに笑う世界の管理者。

 割と適当に考えただけなので拒否的な反応をされなくて助かった。


「そりゃどうも」


「で、どういう意味なんだい?」


 スルーできるかと思ったけど甘かったようだ。


「意味と言うほどのものは何もないさ。何者でもなく何者にもなれるというイメージで考えただけだから」


「ああ、なるほど。ノーバディのノーとサムバディのサムをつなげたのか」


 即座に由来を看破されてしまった。

 上機嫌でウンウンとうなずいているので変に警戒しなくても大丈夫だったようで何よりだ。


「オーケー、オーケー、これからはノーサムと呼んでくれたまえ」


 HAHAHA! と快活に笑う世界の管理者あらためノーサム。

 受け入れてくれるなら、ありがたい。

 却下されて再び考えなきゃならなくなるのは面倒くさいからね。


 そんなこんなで色々と教えてもらったりして精神世界から離脱することになった。


「そうだ、忘れていた。シドの魂はどうなったんだ?」


 それを真っ先に聞いておくべきだったな。


「何を言ってるんだ。今は君がシドじゃないか。言いたいことは分かるが、いつまでも宍戸紀文の気分でいてはいけないよ。それは今の紀文くんの居場所を奪うことになるからね」


 そんなつもりではなかったのだが、トレード転生で魂を定着させても本人の意思がどっちつかずだと両方の体に魂が関連付けされてしまうと言われてしまった。

 その結果、強制的に眠らされている先代の魂が体から追いやられることになりかねないそうだ。


「君はもう紀文くんではない。シド・ミューラーだという自覚をもっと強く持たないと」


 指摘されて初めて気付いたけれど今までは自分がシドだという自覚が薄かったような気がする。

 何処かで宍戸紀文としての意識が残っていた。


「わかった。すまない」


「わかればいいんだ。君がシドだという自覚を強く持てば、紀文くんの魂も簡単には引き剥がされたりしないから」


 要するに宍戸紀文の記憶を引き出すのは構わないが線引きはちゃんとしろということなのだろう。

 シドとしての意識が薄いと思わぬポカをすることになりかねないだろうしな。

 なるべく今の家族とはかかわらない方向でとは考えているものの何がどうなるかは分からない。

 余計なトラブルを防ぐためにも留意しておかないと。


 ちなみに先代こと現在の紀文に新たな問題は生じていないようだ。

 このまま眠り続ければ次の人生は問題なく送れるとのこと。

 余計な邪魔が入らないよう常に監視しているそうなので一安心である。

 ノーサムはなんたって神にも等しい世界の管理者だからね。



 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □



 唐突に目が覚めた。

 感覚的なものだが精神世界から帰ってきてすぐにという訳ではなさそうだ。

 睡眠時間もちゃんと確保できたということなのだろう。


「色々と教わったし試してみたいよな」


 まずは鑑定だろう。

 自分がいま上体を起こしたベッドを見て鑑定の魔法を使ってみた。


「えーっと、ベッドに意識を集中して写真を撮るイメージで……」


 教わったことを思い出しながら魔力を制御して魔法を発動する。

 すると、どうだろう。

 瞬く間に脳裏にベッドのイメージが湧き上がった。

 その下には何行かの説明文が付随している。


[低級ベッド]


 1行目は見出しのようだけど、わざわざ低級とかつける必要あるか?

 装飾など一切ないから高級品でないのはわかっているんだ。

 そういうのは説明文の中でお願いしたいよ。


[耐久性:高 快適性:低 装飾:最低]


 2行目は物品としての評価か。

 俺の知りたい情報だけが抽出されているのは、そういう風に考えて魔法を使ったからだな。


[安宿でよく使われている頑丈なだけが取り柄のベッド。寝心地は良くない]


 そして説明文が続く。

 全文は読むまでもないな。

 これの来歴とか誰が作ったかとか知っても意味がないし。

 大事なのは、そういう情報が得られることが確認できたことだ。


「よっし!」


 思わずガッツポーズを取ってしまう。

 今まで散々苦労してきた鑑定の魔法がこんなにあっさり成功したのだから無理もないのだけど。


「とはいえ、これを安易に使う訳にはいかないよな」


 調子に乗って使っている間に誰かに気付かれでもしたら事だ。

 そうそうバレることはないだろうが、勘のいい奴や推理力に長けたのがいると話は変わってくる。

 ホイホイ使うのだけはやめておこう。


 その後は特に代わり映えのない日が続いた。

 いや、それは語弊があるか。

 母屋の方ではてんやわんやしていたしな。


 突如、行方をくらましたオルランのせいで領内の業務が滞っていたからだ。

 仕事はできるくせに資料やマニュアルを残すことをしていなかったため、どうしても時間がかかってしまうことが多々発生した。

 しばらくなら先延ばしにすることで誤魔化せたのだけど。

 現にガルフはそれで乗り切ろうとしていた。

 そんなことではいずれ破綻するのだけど、そこまで考えが及んでいなかったらしい。

 あの男はやはりただのエロ脳筋だな。


 現状は新たな領主代行を任じられたエレオノーラが何とか回しているようだ。

 猫の手も借りたい状況みたいだけどマンパワーでどうにかしている。


 ガルフなどは連日のように殴られていた。

 仕事が遅いと殴る、ミスをすれば殴る、愚痴れば殴る、といった具合に。

 苛烈な性格をしているせいで出戻りしていた姉は基本は口で言い負かすタイプだが、脳筋で頑健なことが取り柄のガルフが相手となると容赦がない。

 姉は魔法だけでなく剣の腕もなかなかのものらしく、ガルフはサンドバッグ状態だ。

 身内だからというのもあるかもしれないが模擬戦では姉の全勝らしい。

 それは反抗もできないよなぁ。


 だからといって同情する気はないけどね。

 尊敬も情もないのだから当然だ。

 オルランのような仕打ちこそしてこないものの病弱であることを馬鹿にするような人間を兄として見ることはできない。


 書庫で生活している限りはかかわってくることもないから平穏だ。

 ただ、いつ何がどうなるかは分からない。

 少なくとも猫よりはマシだろうということで仕事の手伝いに駆り出される恐れは充分にあるからね。

 そういう火の粉が降りかかってくると面倒なので母屋の様子は常にチェックしている。

 今のところは大丈夫なので書庫生活を満喫させてもらっているよ。

 願わくば、ずっと続いてほしいものだ。

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