第33話 精神世界

 俺は白い靄の中にたたずんでいた。

 だが、書庫から出掛けた覚えはない。

 夢遊病という訳でもない。

 この場所に覚えはないものの意識はハッキリあるからね。


 これは夢の中なんだろう。

 明晰夢というやつだな。

 この先に何があるのかは自分でも予測がつかないんだけど。


「夢なんてそんなもんだよなぁ」


「いえ、これは夢ではありませんよ」


「なっ!?」


 独り言のつもりが無いはずの返事があったことに虚を突かれた格好になった俺は相手を誰何することもできずにいた。

 まあ、声に覚えがあるので誰かと問いただすまでもなかった。


「現実世界にあまり干渉したくないので、君が寝ている間に世界の狭間にある精神世界に来てもらったんですよ」


 そう言いながら姿を現したのは思った通り世界の管理者だった。

 同時に靄が晴れていくものの何処までも白い場所だったので、あまり変わったようには感じない。


「とりあえず、お茶でもどうぞ」


 世界の管理者がそう言うと、ちゃぶ台と座布団が音もなくスッと出現した。

 向こうが座ったので俺も座る。

 すると目の前に湯飲みと宙に浮いた急須が出てきてコポコポとお茶が注がれていく。

 茶菓子は羊羹のようだ。

 煎餅だとバリバリ音がして話がしづらいということか。

 精神だけ呼ばれているみたいなのに芸が細かいというか気配りが細かいというか。


「それで、俺に何の用があるんだ?」


 茶飲み話をするためだけに呼ばれたのでないことだけは明らかだ。


「おや、せっかちですね。心配しなくてもここは時間の流れが遅いですからゆっくりしていってください」


 どのくらいゆっくりなのかは知らないが付き合う他なさそうだ。

 勧められるがままに羊羹を食み茶を啜ると何故だか体が軽くなったような気がした。

 ここに実体はなく精神だけだというのに不思議なものである。


「ずいぶんと鍛えているんだねえ」


 世界の管理者には妙な感心をされてしまった。

 そんなことを言われてもなと思いつつ困惑していると……


「羊羹とお茶で蓄積していた疲労は抜けたはずだよ」


「そりゃどうも。けど、俺だけ依怙贔屓されているみたいで居心地悪いんだけど」


「あー、気にしなくていいよ」


 急にフランクになったな。

 こっちが素なのかもしれないけど、どういう風の吹き回しだろう。

 まあ、俺が気にしてもしょうがないか。


「これは本来しておくべきだった説明を忘れていたことの詫びだから」


「は? 詫びってどういう……」


 するべき説明を忘れていたことに対しての詫びというのはわかるけど、そんなことをしてもらうほどの重要事項があるとも思えない。

 だって、トレード転生した直後ならいざ知らず、すでに1ヶ月以上経過しているからね。


「君が鍛えに鍛えている理由は何だい?」


「何ってオルランの奴が契約した悪魔が行方不明だから、そいつと戦えるようにだけど?」


「そのことなんだけど、悪魔は消しておいたから」


「はあっ!?」


 思わず素っ頓狂な声が出てしまった。

 そんなことになっているとは想像すらしてなかったからね。


「消えちゃった彼が前のシドくんを生け贄にするような真似をしてくれたからね」


 彼というのはオルランのことだな。

 確かに俺の魂を餌に悪魔と契約していたみたいだし。


「悪魔の契約って面倒なんだよ。魂にパスが通ってしまうから異世界だろうと追いかけてくることができるからね」


 ん? 狙われていたのは現シドの俺じゃなかったのか。

 トレード転生する前に契約がなされたから先代の魂とつながりができて固定されていたと。

 うわ、恥ずかしいな。

 ずっと自分が狙われているものだと思っていたよ。


「それじゃ困るから名もなき悪魔くんには消えてもらったんだ」


 パスとやらを消すんじゃなくて大本を消滅させるとは徹底してるよな。

 先代が悪魔に狙われなくなるなら何だっていいけどさ。


「で、それを伝えるのを忘れていたってことはトレード転生する時にはもう消えていたんだな」


「その通り。いやぁ、すまないねえ。言い訳になっちゃうけど前任者の後始末で一杯一杯だったんだよ」


「いいけどね。ちゃんと教えてくれたんだし、そんな気にすることでもないと思う」


 一瞬、世界の管理者の顔が呆けたようになった。

 呆気にとられたんだと思うけど、そこまでさせてしまうようなことを言った覚えはないんですがね?


「君はスゴいなぁ」


「何処が?」


 意味がわからないんですけど。


「君と似たような事例が他にもいくつかあったけど、いずれも文句を言われたよ」


「なんなんだ、それ? クレーマーかっての。そんな文句を言うほどのことじゃないだろうに」


 それはともかく、世界の管理者は意外におっちょこちょいなことが判明したな。

 化けの皮が次々にはがれていく感じだけど悪いことじゃないと思う。

 怠惰な前任者よりよほど親近感が湧くというものだ。


「そういう人たちばかりだと助かるんだけどね」


 疲れた笑顔を見せる世界の管理者。

 これは相当な数のクレーマーがいたかモンスタークレーマーがいたかのどっちかだろうな。

 両方だったら目も当てられない。

 そうでないことを願いたいところだけど済んだことを願っても結果は同じだ。

 ここはそっとしておくに限るか。


「ああ、そうそう。悪魔は消えたけど契約者はもう1人いるから油断しちゃダメだよ」


「は? 意味わかんないんだけど。別の悪魔がいるってこと?」


「違う違う。同じ悪魔が2人の人間と契約していたんだよ」


「何それ、そんなことできるんだ!?」


「本契約ならそんなことはできないけどね。どちらも仮契約だったから何の問題もないんだよ」


 大いに問題ありだ。

 悪魔が消えても契約者が残っているなら俺にとっては敵だろう。


「厄介なことにもう1人の契約者も人間やめちゃってるからね」


「ええっ!? またグールと戦わなきゃなんないのっ」


「いやいや、グールじゃないよ。吸血鬼、すなわちバンパイアだ。グールより質が悪い相手だよ」


 そりゃそうだろう。

 アンデッドの中でもグールより上位に位置する存在だ。

 単純な力比べでも勝る上に吸血による眷属化や魅了の魔眼がある。

 そのことを確認するとうなずかれた。


「そうだね。あとは血の操作かな。自分の血を自在に操ることができる。武器にしたり翼にしたり」


「武器はともかく翼にしてどうすんのさ」


「飛ぶんだよ。魔力を帯びているから普通にね」


「うわぁ、シャレにならん」


「そうかい? 君も魔法で飛べるだろう」


「だから問題があるってわかるんだよ」


「そういうものかな?」


「遮蔽物の多い場所で立体的に動かれたらヤバいって」


 攻めるも良し守るも良しだ。

 使いこなされると厄介なんてものじゃない。

 万が一の時には逃走手段としても使われるだろう。


「なるほどねえ。そこは頑張って退治してくれたまえ」


 軽い調子の口ぶりで無責任なことを言ってくれる。

 過干渉よりはずっと良いか。


「肝心の相手は誰なんだよ」


「今の君にはもう1人、兄がいるだろう」


 ガルフか。

 アイツが悪魔と契約していたなんて意外だ。


「人外になるのが奴の望みだったのか」


「彼の願いを叶えるために悪魔がそうしたから、まだ自分がバンパイアだとは気付いてないよ」


 オルランの時と同じか。


「願いとは?」


「女の子にもてたいんだってさ」


 アホだ。そんな理由で悪魔と契約するとかアホすぎるだろう。

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