第6話 密かな鍛錬を始める
先代の記憶に従って食事の半分を食べたように見せかけて倒れた振りをした。
半分を残して返却し具合が悪くなった旨を書いたメモを添えただけだが。
それと食べ物を捨てるのは心が痛んだけれど劇薬が混入しているものを食べる訳にはいかない。
廃棄する際には母屋から見えない窓から抜けだし書庫内にあった道具で穴を掘って埋め、誰にも気付かれないように配慮したつもりだ。
結果、母屋の方では上を下への大騒ぎになったようだが、それでも離れに近づくことは許されなかったようだ。
離れの中は言うまでもなく付近に人の気配はない。
俺にとっては好都合な状況だ。
「さて、魔法の練習と行きたいところだけど」
迂闊に魔法を行使するとオルランに気取られる恐れがある。
魔力量こそシドには遠く及ばないとはいえ魔法の大家であるミューラー伯爵家に生まれた者を侮る訳にはいかない。
向こうは俺がいつ魔法を使えるようになるかと神経を尖らせているだろうし。
こういう時は先代の知識が助けになる。
何か良い手はないものかと俺は記憶を探ってみた。
相手に気取られず魔法を使う方法なんて無理難題なんじゃないかと思ったが、そうでもないらしい。
まず、体外に魔力を放出しない魔法であれば間近にいない限り気付かれることがないようだ。
身体強化とか感知系の魔法なんかがそうだな。
他にも魔力を絞り込んだ状態で使う魔法であれば、これも気付かれにくいみたいだ。
小さな炎を灯す点火などがある。
俗に生活魔法と呼ばれる類いのものだ。
故に威力は推して知るべしとも言えるのだけど。
まあ、練習にはなるだろう。
後は結界で遮断した場合も気付かれない。
ただし、結界を構築する際に魔力を使うので発動前に気付かれる恐れがある。
これについては手がない訳ではない。
まず最初に極小の結界を構築し、その中で魔力を放出して大きい結界を展開する。
結界の大きさを超えないよう魔力の放出量を調節する必要があるため構築したい結界の規模によっては繰り返す必要がある。
手間がかかるのと消費する魔力が余分に必要になるのが難点か。
この書庫を覆うくらいに展開するなら3回か4回は結界魔法を行使する必要があるだろう。
倉庫扱いされるだけあって母屋より広いんだよな、ここ。
無駄に広くて火の気がないから冬はとてつもなく寒いらしい。
それも結界で断熱効果を持たせることができるので解決できるのだけど。
という訳で結界を構築していくとしよう。
いきなり結界は難易度が高いようなので点火をまず使ってみる。
人差し指を立ててその先に意識を集中する。
ロウソクをイメージして念じてみたのだけど、あっさりと思い描いた通りの炎が出た。
「こんなに簡単だったとは」
あまりの呆気なさに拍子抜けしてしまい、しばらくの間ボンヤリしてしまったほどだ。
だが、油断してはいけない。
点火はあくまで初歩中の初歩の魔法である。
先代の記憶によると結界は構築完了までの制御難易度が桁違いに跳ね上がるとある。
さて、どうしたものか。
いきなりのステップアップは失敗してしまうかもしれない。
けれども結界なしに魔法を使うのはオルランに気取られる恐れがある。
かといって秘匿性は高いものの難易度は無いに等しい生活魔法ばかり使っていては修行としては非効率だろう。
ここは腹をくくるべきだ。
いつまでも悩んでいては無為に時間を費やすも同然。
ならば少しでも成功の可能性がある方へかけてみるべきだ。
しくじったなら、その時に対処すればいい。
行き当たりばったりとも言うが他に良い手立てを思いつかないのだから仕方あるまい。
決断したなら行動あるのみ。
まずは掌サイズの結界を構築する。
目を閉じ集中力を高め、両掌で包み込むようにしながら間に魔力を少しずつ流し込む。
最初は野球のボール程度の大きさにとどめておく。
ここから先は複雑な呪文を延々と唱えるのが結界を構築する上での常識らしいが、それは無視する。
先代の知識として呪文は記憶しているものの、それは単に暗記しているだけに過ぎない。
唱える練習なんてしていないからね。
短いフレーズならともかく長々と唱える必要があるんじゃ途中で噛んでしまうことは充分に考えられる。
しかも、ぶっつけ本番だ。
それなら無詠唱でイメージを強く念じる方が成功率が高いと判断した。
イメージを具現化するべく内側からは魔力を漏らさない透明な薄膜の球体を想像する。
これだけをひたすらに念じると、呆気なく魔法が発動する手応えを感じた。
「ウソだろ?」
どれほど時間をかけてもと覚悟を決めていたので拍子抜けもいいところだ。
緊張の反動から脱力と同時に溜め息が漏れてしまう。
だが、ここで気を抜いたまま続けてはいけない。
ゆるんだ気のままでは集中を維持できないばかりかイメージも安定しないだろう。
気を引き締め直して次の結界構築に移る。
今度はバランスボールサイズだ。
これもサクッと成功。
次もその次も難なく結界は構築された。
「何だかなぁ」
本来であれば成功したことを喜ぶべきなんだろうけど違和感がハンパないせいで素直に喜べない。
結界魔法が実は簡単だったなんてことはないだろう。
先代が書物から得た知識では俺が最終的に構築した規模だと魔法陣を描いて何人かで儀式を行う必要があったみたいだし。
たとえ結界の効果を魔力隠蔽と音声封印に絞り込んでいたとしてもね。
事前にその知識を記憶の奥底から引っ張り出していたなら、もっと慎重に事を進めていたはずだ。
終わってから、あまりの違和感に検索するとか順序が逆である。
「まあ、いいか」
くよくよしていても仕方ない。
済んだことをやり直すことはできないんだし。
気持ちを切り替えたところで、ひとつ失念していたことに気付いた。
「あー、音が漏れないようにするなら光も封じておくべきだったかなぁ」
音声封印は外部からの音は素通りさせるが結界内の音は外に漏らさないようにしたものだ。
それの光版も結界の効果に上乗せしておけば良かったと今さらながらに後悔している。
書庫の中で派手に魔法を使っても、より気付かれにくくなったはずだからね。
「追加で付与するとかできないかな」
さすがに結界構築後に効果の上乗せなんてのは先代の知識にもない。
放逐後も自分が魔法を使えるようになればと各地の図書館などで書物を読みあさった先代ですら知らないのだ。
俺の思いつきは非常識な発想だったのだろう。
ただ、紀文だったときの感覚だとプログラムに機能追加するためにパッチを当てるようなものなので不可能なことだとは思えないのも事実。
魔法って不思議とアプリに近い感じがするんだよな。
「やってみるか」
なんとなくだけど、できそうな気がしたので挑戦してみることにした。
自分の構築した結界にアクセスして内側からの光が外に漏れないよう書き足す。
これも難なく成功したのだけど。
「あ、いかん」
中を覗かれたときに何も見えないのはさすがにマズいことに気が付いた。
慌ててパッチを当てた部分を消去する。
何とか初期状態に戻って一安心だ。
「困ったね」
今の俺は寝込んでいることになっているから確認しに来る人間がいない訳じゃないのだ。
現に大騒ぎが一段落してから、いつも食事を運ぶ使用人が来ていた。
窓の外から様子をうかがうだけだったけどね。
そうなると対策したいところだけど今は思いつかない。
宿題にして保留にしておくとしよう。
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