第5話 離れの書庫

『それでは準備はいいかい?』


 まだだと言ったところで大して引き延ばしはできないだろう。

 まどろっこしいことをしていても何も得るものはないので素直にうなずくと次の瞬間には意識が暗転していた。


 数時間で暗殺される恐れがあるというのに軽率だった。

 完全に意識を失う前にどういう状態になるかくらいは聞いておけば良かったかもしれないと思ったが今さらだ。

 意識を保ったままなら対処のしようもあるが、これでは寝首をかかれてしまえばどうにもならない。

 後は運を天に任せるしかないだろう。


 再び目覚めるまでは、ひたすら夢を見た。

 いや、夢と言うよりは記憶の奔流か。

 世界の管理者はシドの記憶を引き継ぐと言っていたが、こういう形でだとは夢にも思っていなかったさ。

 思い出そうとしなければ気付かない状態より先に見せてくれた方が準備も心構えもできるから親切だとは思うけどね。


 ただ、それならそうと事前に教えておいてほしかったよ。

 何の恨みがあるのかと言いたくなるくらい酷い人生に同情を禁じ得なかったからだ。

 シドが壊れてしまったのも道理と言う他ない。

 むしろ、数限りない苦難によく耐えられたものだと思う。

 俺も似たような人生を何度も体験して耐性をつけていなければ、どうなっていたことか。


 しれっとスパルタなことをしてくれるじゃないか、世界の管理者さん。

 疲れ切った人畜無害そうに見える表情にすっかり騙されてしまった。

 きっとナチュラルサディストだな。

 優男みたいな顔して無意識なS属性ってシャレにならんぞ。


「………………ん」


 唐突に目が覚めた。

 むくりと上半身を起こす。

 寝覚めは悪くない。

 魂のスワップというかトレード転生は問題なく完了したようだ。

 まあ、人々からは神と認識されている世界の管理者がそんなことでミスをするとも思えない。


「ここが死に戻りのリスタートポイントか」


 転生後の体の感触を確かめたくて両手をニギニギと閉じたり開いたりしてみる。

 思った以上にスムーズな感触だ。

 紀文以前の俺だと集中力を高めなければタイムラグなしに動かすことはできなかったのだが。

 世界の管理者が言っていた魂が合わない世界の影響は俺の想像以上だった。


 これなら鍛練を積めば前世よりも早く成果を出すことができそうだ。

 今度はこの体で強くなるのだ。

 単に体を鍛えるだけではなくて魔法の訓練も並行して行わねばならないので時間はいくらあっても足りないだろう。

 それでも、やりがいを感じる。

 先代が地獄だと思っていた生活から抜け出すためにも励むとしよう。


 決意を込めるのに合わせて両手をグッと握りしめる。

 その子供らしくもかわいらしい拳にフッと笑みがこぼれた。


「小さいな」


 10才児なんだから小さくて当たり前なんだが。

 いきなりアラサーの紀文から子供のシドに切り替わったせいか、そんな風に感じてしまった。

 とはいえ何度も転生してきている身からすれば違和感も大きなものではない。

 そのうち慣れるだろう。


 視線を横に移す。

 あたりは薄暗く窓から差し込む光はオレンジ色だ。

 この世界の自然も俺がいた世界とさして変わらぬようなので薄暮の迫る時間帯なのだろう。


 周囲にあるのはやたら背の高い本棚とそこに詰め込まれた数多の本。

 一瞬、書庫で眠ってしまったのかと思ったが、そうではない。

 シドの記憶によれば、ここはミューラー伯爵家の離れにある2階建ての建物だ。

 ここには本だけでなく母屋では不要になったものも大量に詰め込まれている。

 要するに倉庫だな。


 10才にしてシドも不要品扱いされているとはね。

 いくら三男だから跡継ぎやその予備にはなり得ない存在だとはいえ、酷いものである。

 再びシドに対する同情がわき上がってきた。


 おっと、今は俺がシドだったな。

 ややこしいから入れ替わって宍戸紀文となったシドのことは先代と呼ぶことにしよう。

 とにかく先代のこととはいえ自分で自分に同情してどうするんだ。

 そんなことより今後の方針を決めておかなければならない。

 そのためには、まず情報の整理をしよう。


 ミューラー伯爵家は魔法の名門と知られる家系で代々高名な魔法使いを輩出してきた。

 現在はシドの父親であるアルブレヒトが伯爵としてアルス国の辺境付近の領地を治めていることになっている。

 いわゆる領主貴族というやつだが、数年前から護国大臣を拝命しており長男のオルランが領主代行を務めている。


 この男が先代を目の敵にしており多忙なアルブレヒトの目がないことをいいことに虐待同然にいじめていた。

 先代が10才を迎えてからは命すら狙ってきていた訳だが。

 最初は死ねばいいくらいの感覚だったのかもしれない。


 が、オルランから放たれる悪意の手を逃れるたびに殺意が増していったと先代は感じていたようだ。

 最初は事故に見せかけたりと何とでも言い訳のできるようにしていた。

 父である伯爵のことを恐れていたのではないかと先代は結論づけている。

 それでも先代に対する憎悪は抑えきれなかったとも。


 憎悪は悪意の火の粉となって先代に降り注ぐ。

 その度に先代は死に戻ることになったのは言うまでもない。

 先代が成人年齢の15才を超える頃になるとオルランは露骨に暗殺者を差し向けるまでになっていた。


 成人と同時に放逐されたためだろう。

 家の中で死んでしまうと事故や病死として誤魔化す必要があるが、外であれば殺されても強盗やケンカなどいくらでも理由が後付けできる。

 しかも、不審がられることがないよう先代が自立すべく自ら家を出たことにされていた。


 オルランという男、仕事はできるのだ。

 父親から領主代行を任されるだけのことはある。

 成人してから何年かアルブレヒトの補佐として実務経験を積んだので経験不足ということもない。


 にもかかわらず、まだまだ子供の先代に殺意を向けていたのには理由がある。

 それは魔力量の多さだ。

 父であるアルブレヒトすらはるかに凌駕する総魔力量は長兄が己の座を奪われることを危惧するに充分だった。

 先代は魔法が使えなかったが、万が一にも魔法を行使できるようになった場合は父から伯爵位を継ぐことになるかもしれない。

 魔法の名門と知られる家系であるが故にオルランはそう考えたようだ。


 実際は魂が世界に適合しないが故に先代が魔法を使えるはずはなかったがオルランがそれを知る由もない。

 当人ですら諦めきれず様々な文献を読みあさり魔力を制御する訓練も欠かしていなかったのだから。

 となると俺も魔法の鍛錬は慎重に行わなければならないな。

 魔法が使えることが知られたら形振り構わず殺しに来る恐れがある。

 何か対策を考えておくとしよう。


「ん?」


 離れの玄関がノックされる音がした。

 先代の記憶によれば夕食が運ばれてくるタイミングだ。


 俺はベッドから抜け出し玄関に向かう。

 ドアの前に立った時には、すでに人の気配はなかった。

 使用人たちは必要以上にシドと接触しないよう言い渡されているからね。


 ドアを開け下に置かれているトレーを持つ。

 いつもなら食欲をそそる匂いがするところだが、今日は違う。

 薬品が入っているせいだと俺は知っている。

 即死するような毒が使われている訳ではないものの混入しているものは人が口にして良い代物ではない。

 本来であれば、後に誤って調味料に混入してしまったことが発覚するのだけど。

 実際は過ちなどではなく故意であることは疑う余地もない。


 これを食べきってしまうと死にはしないまでも後遺症を残すことになる。

 先代は半分だけ食べて1週間あまり寝込んでいた。

 1日1食で量も少ないため空腹に耐えきれず仕方なくそうしていたのだ。


 確かに空腹ではあるが世界の管理者のサービスなのか現状は耐えられないほどではない。

 ならば、この状況を利用するのも手か。

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