第8話

鐘の音が一限目の終わりを知らせる。わずか20分程だったが、何とか状況は飲み込めた。もっとも、理解までできた訳ではないが。休み時間で周囲は騒めく中、今一度彼女と向き合った。


「『望月 深雪』。私の名前」

「『水無瀬 渚』……って、もう知ってるんだったな」

「あは。律儀に自己紹介までしてくれるんだ、ありがと」


 そう言って笑顔を向ける彼女からは一切の敵意を感じない。それどころか、妙な親しみすらも感じる。


「なあに。そんな疑ったような顔して」

「当たり前だろ。望月なんて名前のヤツ、クラスには居なかったからな」

「え〜?!私ずっとこのクラスの生徒なんだけど!だから水無瀬くんのことも知ってたし……」


 そんな訳がない。いくら出席率が低く、他人への興味がない俺でも、クラスにいるヤツの苗字くらいは聞き覚えがある。

 それにこの女――『望月 深雪』は、最近の俗な言い方をするなら「顔がいい」。均整のとれた輪郭に陶器のような白い肌。料理に例えるならそれは一級品の皿だ。そしてそこに盛り付けられたのは、いわば最高級の料理。キリッとした目に通った鼻筋、肩ほどに掛かる艶のある髪。誰もが羨み、一度は振り向くような美貌。

 クラスにこんな人間がいれば、いくら何でも認知しているはずだ。だが、どう記憶を掘り起こしても『望月 深雪』なんて名前の生徒はどこにもいないのだ。


 (探るべきか……)


 いや、よしておこう。仮にも俺を殺すと言った女だ。今は適当に話を合わせておくのが吉だ。


「あー……、俺あんまり学校来てねえから、勘違いしてんのかも。悪かった」

「ふふ、全然いいよ。気にしてない」


 チャイムが鳴り、二限目が始まる。二限目は確か、英語だったはずだ。


「あ、そうだ。放課後空いてる?お昼は?ちょっと付き合ってよ。二人きりで色々話したいからさ」

「別に構わねえけど……」

「けど?」

「お前といたら目立つ」

「…………」

「授業、始まるぞ」

「……………………」


 あまり気に留めないようにはしているが、彼女からの無言の圧が凄まじい。見たら負けだと視線は黒板にやるが、どうやら彼女が視線を逸らす気はないようだ。


「……わかった、考えとく」

「…………」

「わかった、付き合うからこっち見んな」

「わ、ふふ。ありがと」


 何が目的で誘っているのかはわからないが、彼女が意味不明なのは今に始まったことじゃない。それに、俺は遅かれ早かれ知らなければならないのだ。『望月 深雪』という人間のことを。

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