第7話

時刻は9時30分。教室のドアの前で立ち止まる。


 (入りづれぇ……、連絡も入れてねえしな……)


 遅刻するくらいなら、これまでは欠席することにしていた。中途半端に目立ってしまうからだ。とはいえ、こんなところまで来て帰るわけにもいかない。引き戸に手を掛け、余り音を立てないようにドアを開いた。


「……おはようございます」


 小さく挨拶を溢すと、居眠りしている人間以外が一斉にこちらを向いた。そう新しくはない校舎だ。いくら小さく戸を引いても、それなりに音は鳴ってしまったようだ。彼らとはできる限り視線は合わせず、教壇に立つ教師にだけ目を向ける。そういえば、今日の一限目は担任の授業だったか。彼は自分の諸事情を把握している。そう責め立てられることもないだろう。


「すみません、遅刻しました」

「ああ、水無瀬か。次からは気をつけるようにな」


 やはりこれといった罰はないようだ。大勢の前で叱られでもすればいやに目立ってしまう。それだけは御免被りたい。そのまま自身の席へと足を向かおうとするが、なぜか前まで自分の席だったはずの場所に別の生徒が座っている。どうやら昨日は席替えだったようだ。辺りを見回せば空席を三つほど見つけたが、どれが自分の席かわからない。そんな中、一人の生徒がこちらに声を掛けてきた。


「水無瀬くん、こっちこっち」

「……!」


 親切な奴も居たもんだ。助け舟にあやかり声の主へと視線を向けたが、その先にいた彼女の正体に目を疑った。


 (なんでお前がここにいるんだよ……)


 そこには、俺を殺すと言ったあの女が静かに微笑んでいた。瞬間、教室の空気が凍りついたような感覚が走る。その不気味さに思わず立ち尽くしてしまった。


「おい水無瀬、早く席に着けー」

「あ……すんません」

「そういえば昨日席替えしたこと言ってなかったな。すまんすまん。お前は望月の隣だ」


 彼が指差す先では『望月』と呼ばれた少女がこちらに向かってひらひらと手を振っている。そもそも『望月』なんて生徒はクラスにいなかったはずだ。まさか昨日転校してきたのだろうか。いや、それはない。もしそうならクラスに馴染みすぎている。一歩一歩と得体の知れない存在へと近づき、ようやく自身の席についた。


「おはよ、水無瀬くん」

「……おはよ」

「何か言うことないの?」

「ありすぎて困る」

「ねえ、感謝の一つくらいあってもいいんじゃない?」

「…………」


 てっきり、「質問でもないのか」という意図かと思っていたが、どうやら違ったらしい。だがこればかりは彼女の言う通りだ。溜息を吐きながら、隣で頬を膨らませる彼女に目を向ける。


「さっきは助かった」

「ふふ、どういたしまして。……で!質問とか、ないの?」

「やっぱりさっきのはそういう意味かよ。あるにはある。けど、一旦頭、整理させてくれ……」

「いいじゃん、そんなの。大体君の聞きたいことはわかってるし」

「おい水無瀬ー、望月ー、私語は慎めよー」


 状況が飲み込めず、今が授業中だということすらも忘れてしまっていたようだ。一度彼女からは視線を逸らし、今は大人しく黒板に目をやることにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る