第5話

「──私が殺してあげよっか」


 脇腹に突き立てられるナイフ。ドスッ、と鈍い音がする。これはオモチャじゃない、紛れもなく本物だ。赤色が身体から溢れて、息も絶え絶えにその場に倒れ込む。今度こそあの女に刺されたのか。クソ。痛い、怖い。――死にたくない。誰か助けて欲しい。救いを求めるように、彼女へと手を伸ばす。


「ふふ。助けて欲しいの?ダメだよ。君は私に殺されるんだから」


 仰向けになった俺に、彼女が跨ってくる。そして何度も何度も、赤く染まった刃を俺の身体に突き立てた。そのまま躊躇いもなく喉を掻っ切られて、最期には声にならない声が……あれ、なんで俺、声出るんだ……。


 「……夢、か」


 目を覚ますと、そこは現実だった。心臓は早鐘を打ち、全身が汗で濡れている。あの女、悪夢になってまで俺の前に出やがった。最悪だ。......そういえば今は何時だろうか。俺は枕元に置いてあった端末を手に取り、時間を確認する。


「7時、半……」


 完全に寝坊だ。朝から既に消耗しているが、そんなことを気にかけている余裕はない。先のことを考えるなら、遅刻などできる筈がない。高校2年にして留年なんてまっぴらごめんだ。


「シャワー、浴びねえと……。時間もギリギリだってのに……」


 心地良い湯飛沫が、先の記憶ごと汗を洗い流してくれる。次第に意識がハッキリとしてくるが、同時に自身が置かれている状況への危機感が大きくなっていく。こんな目に遭ってるのもあの女のせい……いや、そもそも俺のメンタルが弱いせいだ。もし俺を殺すと言うなら、いずれまた彼女に会うことになるのだろう。同じ学校なら、案外すぐに会うことになるのかもしれない。


「……期待してんのか?俺は……。いや、まさかな」


 シャワーを終え、身支度を済ませた後、静かに仏壇の前に座る。平日であろうが休日であろうが、これは俺の日課だ。仏壇の中心、暗がりにひっそりと佇む写真は、色褪せない記憶。……俺の母親だ。ガラス越しに写る笑顔に向かって、しばらくの間手を合わせた。母の死からはもう5年が経つ。だが情けないことに、未だに俺は喪失感と悔恨の情を抱えて生きている。いい加減に前を向かなければならない。きっと母も、俺がここに留まることなど望んでいないから。そんなことは俺が一番わかってる。だが、そんなことは出来ない。俺が病になんて罹らなければ、今頃は……。


「……いってきます」


 物思いに耽るのはやめだ。感傷に浸っていたところで出席はつかない。仏壇の前から立ち上がり、俺は家を後にした。

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