第3話

「っふ、……ふふ、おっかしい」

「何がおかしいんだよ」

「おかしいのは君……いや私もかな。でも、刺されてるのに普通に喋ってるのもおかしいと思うよ。演技派なんだね」


 どうやら揶揄われていただけのようだ。さっきのは所謂マジックナイフというやつらしい。通り魔じゃなかったのかという安堵感が去った後、沸々と湧き起こってくる羞恥と苛立ちを堪えながら席に戻る。


「あ。今さっきまでよりもずっといい顔してる。怒ってるのか恥ずかしいのかはわからないけど、ちゃんと生きてるって感じ」

「あんたの方がよっぽどいい顔してるよ、随分と楽しそうで」

「皮肉のつもり?少なくとも私は本心なんだけどなあ。」

「……大体あんたが何をしたいのかわからないし、なんで俺を構うのかもわからない。だから怖い」


 状況を理解すれば混乱した心も思考も落ち着くだろうと思ったが、彼女の目的も意図も未だに理解できない。にもかかわらず、続けざまにますます混乱させられるような言葉が飛んできた。

 

「顔」

「……?!」

「あっ、勘違いしないで欲しいんだけど、顔っていうのは顔が好みとか、そういう意味じゃないからね」

「…………」

「期待しちゃった?」

「……別に」

「……あのね。見てて心配だった。たまたま見かけただけだけど、すごく辛そうだったから」

「だからって普通、おもちゃのナイフで刺そうってならないだろ」

「細かいことはいいでしょ。あ、今日これ学校で貰ったんだ〜。別に要らないって思ってたけど、持っててよかった」

「……どうでもいい」

 

 どういう経緯でそんなものを貰うのだろうか。自分が知らないだけで友人と過ごしていると普通のことなのだろうか。何にせよ、自分には関係のない話だ。自慢げにマジックナイフを見せてくる彼女を横目にため息をついた。


「ねえ、聞いてる?」

「聞いてない」

「そっか。……ねえ。ねえ。君はさ、生きるってどういうことだと思う?死ぬってどういうことだと思う?」

「……今呼吸して、心臓が動いてるのが生きてるってこと。で、冷たくなって、動かなくなったら死ぬってこと。それだけ」


 人の死生観なんてそんなに気になるものだろうか。ましてや初対面の相手の。答える義理もないとただ一蹴してもよかったが、後が面倒そうだ。だから当たり障りのない、教科書的な答えを述べておいた。


「そういう意味じゃないってわかってるくせに」

「俺は答えたんだし、次はあんたの番だろ」


 どうでもいいと思っていたはずの、赤の他人の死生観。それを問いかけてしまうのはなぜだろうか。


「へえ〜、気になるんだ。ちょっと嬉しいかも。でも君はまともに答えてくれなかったじゃん。なのに答えないとダメ?」

「最初に聞いたのはそっちだろ。なのに自分だけ答えねえってのはおかしい」

「あ、ロジハラだ、ロジハラ反対!」

「…………」


 どうやら自分は想像以上に面倒な相手に絡まれてしまったらしい。もはや何かを言い返す気力もなく黙りこくっていると、さっきまでへらへらと笑っていただけの彼女が突然神妙な顔つきになった。


「私はね、生きるっていうのは死ぬことだと思うし、死ぬっていうのは生きることだと思うの」


 窓から差していた夕陽が遮られる。どうやらトンネルに入ったらしい。なぜだろうか、向かいの車窓に映った二人はどこか似たもの同士に見える。まだ自分は彼女のことなど何も知らないはずのに。彼女は間違いなく自分とは全く違う存在だ。端的に言えば陰と陽。どちらが陰でどちらが陽かは言うまでもないが。けれどいくら考えたところで、その理由も正体も、今の自分にはわからないみたいだ。


「次は――、――です」


 再びのアナウンス。気づけばトンネルを抜け、再び車内には夕陽が差していた。


「あ、降りなきゃ」

「おい、まだ途中……」

「それじゃね、水無瀬くん」

「?!なんで俺の苗字……!」

「名前の方がよかった?渚くん。なーんて!あ、これ持ってて」

 

 なぜ彼女は自分の名前を知っているのだろうか。こんなにも気になっているのに、話を遮るように彼女がマジックナイフを再び脇腹に押し付けてくる。咄嗟に受け取ってしまったが、今はそんなことはどうでもいい。この疑問を解消したい。だが、そんな自分の感情を裏切るように彼女は立ち上がり、すぐ側の降車口へと向かっていく。


「――君は私が殺してあげる。だから、勝手に死んじゃダメだよ」


 去り際に残した彼女の言葉は物騒なものだった。けれどその言葉とは裏腹に、その背にはまるで天使のような、白い羽すら生えているようにも見えた。

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