第5話

        五


 一頻り泣いた後、ようやく気分が落ち着いてきた。

 目元を両手で拭いながら、呼吸を落ち着ける。

(こんなところで泣いていても何もならない。)

 少しずつ頭も働き始める。

 現在の時刻は分からないが、まだ陽は高い。だが、いつまでも明るいわけがない。ただでさえ、先程命の危機を脱したばかりだ。夜になり暗くなった森に危険は充満しても、安全地帯が広がるとは思えない。

 立ち上がり、周囲を確認する。

 この場所に人の痕跡があったのだから、他にも探せば見つかるかもしれない。痕跡の先には、道や町がある可能性だってある。

 両腕を抱え、警戒しながら辺りをきょろきょろと見回す。

 耳を澄まし、自分の立てる音以外の音を探す。

 そうしてうろうろしていると、耳が小さな音を聞きつけた。

 思わず立ち止まり耳を澄ます。

「……うっ。」

 微かに聞こえてきたのは、人のうめき声のようだった。

 辺りを見回しながら、声の聞こえる方へと足を向ける。

 小さな声を聞き逃さないように慎重に、周囲を警戒しながら進んでいく。

 すると、木の陰になった場所に、うめき声の主を発見した。

 それは、若い女性のようだった。

 周囲の警戒を怠らずに、人影へと近づいていく。

 近づいてみると、その女性は気を失っているようではあったが、一見したところでは大きな怪我をしているように見えなかった。

 そっと近づき、傍らに屈みこむ。

「……あのー。」

 小さな声で呼びかけてみるが、返答はない。

 運転免許取得の時に受けた人命救助の講習を思い出しながら、彼女は続けた。

 まずは、呼吸の確認。

 呻いているので、呼吸はある。よし。

 次は脈の確認。

「……失礼します。」

 一言お断りを入れてから、その女性の腕を取る。

 手首に指を当てると、脈は正常に刻まれていた。脈も良し。

 更に続けて、呼びかけ。

 軽く肩を叩いて、身体を揺らさないように気を付けながら声を掛ける。

「あのー、大丈夫ですか?聞こえますか?」

 返事はなし。

 呼びかけながらも、ざっと視線を動かしその女性の怪我の様子を確認する。

 やはり、出血などは見たところないようだ。

「どこか痛むところはありますか?起きてください。」

 トントンと肩を何度か叩いた時、女性の瞳が僅かに開かれた。

 それを確認して、思わず笑みが浮かぶ。

「大丈夫ですか?分かりますか?」

 呼びかけに、ゆっくりと反応する女性。こちらを見つめる瞳が、少しずつ意識を取り戻す。

「……あっ。」

 女性が小さな声を発する。

 そのことに勇気づけられ、注意を惹きつけるように女性の顔の前で手を振りながら続けた。

「私のことが分かりますか?」

 女性はようやく完全に意識を取り戻し、目の前にいる人間の存在を認識した。

 その瞬間、小さく息を吸い込む。

 そして、

「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ!!!!」

 またしても森の中に耳を劈くような女性の悲鳴がこだました。

 あっ、私、今、男だった。

 沢崎直がその事実に気付いたのは、その悲鳴を浴びた直後の事であった。

 

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