第2話

           二


「……やっぱり……。」

 圧倒的な恐慌の後、何度も何度も確かめてみたが、彼女の結論は変わらない。

 それ即ち『上は無いけど、下はある。』だ。

 さっきまでは確かに逆だったはずだ。沢崎直として生を受けて二十五年。彼女についていたのは上で、下ではない。決して豊かとはいえない大きさのバストではあったが、ある程度の膨らみはあった。

 だが、今はどうだろう?

 触ってみても覗いてみても、ペッタペタの胸板は大胸筋の発達は感じるものの、女性のそれではない。

 それに、こちらはまだ触っても覗いてもいないのだが、明らかな異物が両足の間にぶら下がっている気がしてならない。

 他にも、先程から彼女が発する独り言が全てイケボで再生されるのは何故なのだろう?

 二十五年間慣れ親しんできた特別高くも低くもないが、意思疎通には困らない程度に響く彼女のいつもの声が聞こえてくることはない。代わりに聞こえてくるのは、この声一つでもしかしたらハーレムすら築けそうな気がする男性の甘い声だ。

「どういうこと?」

 何度目になるか分からない疑問を虚空に投げても答えが返ってくることはない。

 虚空に響くのはイケボなので耳は嬉しいが、問題は解決しない。

 何度水面を覗き込んでも、映るのは涼やかな美貌の男性でしかない。

 こちらも目は嬉しいが、やはり何の問題解決にもならない。

 ため息を一つ吐くと、沢崎直は立ち上がった。

 どうせここにいたって、何もならない。

 そう結論付けて歩き出す。

 目を覚ました直後よりも、身体は動くようになっていた。立って歩く分には何の問題もなさそうだ。それどころか、以前よりも動かしやすい身体になっている。しっかりと鍛えられていて筋肉が程よくついた身体は、俊敏さと力強さを兼ね備え、その上頑丈そうだ。

 立ち上がると、以前よりも視界が高くなっている気がするのもこの身体のせいなのだろう。

「顔良し、スタイル良し、声良しって、人生楽勝モードじゃない?チートか!?」

 平凡代表として、当然の意見を口にしてから、彼女は歩き出す。

 洞窟内には微かな風が吹き込んでおり、その風を頼りにして目的地に当たりを付ける。

 壁に手を当て、風の吹きこんで来る方向に歩き続けると、薄闇の向こうに確かな光が見え始めた。

「今度は泉じゃなくて、出口がいいんだけど……。」

 光は段々と強くなり、白い光が彼女を包み始める。

 その強い白い光は、彼女の人生最期の記憶を呼び起こすには十分だったが、それでも彼女は足を止めずに果敢に歩き続けた。

 そして、視界が開ける。

 光に目を慣らすため、まずは目を閉じる。

 その後、ゆっくりと目を開けた彼女の視界に広がったのは……。

 ……森だった。

 鬱蒼と茂った森だった。

 どうやら彼女が先程までいたのは、森の中にある洞窟の中であったらしい。

 あまりにも森過ぎて大した情報も得られないため、状況が好転したとは言い難いが、彼女は落ち込むことはなかった。

 人生なんて所詮こんなものだ。

 そう易々と問題が解決することなんてない。それどころか問題が問題を連れてやって来ることだってザラだ。

 ため息一つで気分を切り替えると、周囲を観察する。

「……どっちに進んだらいいかな?」

 独り言はもちろんイケボ。まだ慣れない響きに、違和感は付きまとう。

 周囲に人影はなく、道を示す案内板などの類ももちろんない。それどころか舗装された道はおろか、けもの道の形跡すらない。

 どうしたもんかと悩み始める。闇雲に森を歩くなど、あまり上策とは言えない。できれば人のいる場所にたどり着きたいのだが……。


 その時、森に響き渡ったのは女性の耳を劈くような悲鳴だった。


 その悲鳴を聞いて沢崎直は思った。

 どうやらここは天国ではないらしい。

 自分の身に危険が迫っているようだった。

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