第4話 誇り無き者
ガタガタガタガタ……。馬車は揺れながら荒道を進む。
周囲には草を食む羊の群れがいて、羊飼いたちがこちらに手を振る。
天気は晴れ。温かな陽光が降り注ぐ昼。
『眠くなるなァ……』
客室の窓際、アキラがまったりした調子で言った。
「ちょっと。勝手に
ものを咀嚼しながら開いてしまいかけた自分の口を、ヴィクトリアは手で覆った。唇の端には赤色のソースが付いている。出立の際に買った食料の一つ。
馬車と御者ごと借りた客室に、他の乗客はいない。代わりに、多様な文化が交流する港町ならではの多彩な食料品が積んであった。盗賊ギルド解体の報酬金は多く、移動手段でこのような贅沢をしても全く問題なかった。
『オイ、今度は何食ってる』
「お魚のサンドですわ。港町の名品ですって」
悪霊は鼻を鳴らして、また黙った。生きていたころとは違い、彼が味を感じて楽しむことは無くなった。憑依した宿主が何か美味そうに食べていても、特に何も感じない。
港町ポート・ポートから出発した馬車の隊列は、広大な帝国支配域をぐるりと回って巡る。帝国内で移動の用事がある者は、できるだけ情報を掴んでこの隊列に参加し、目的の場所で離脱する動きを心がける。盗賊や魔物に襲われないために、旅人たちが生み出したシステムだ。かつてヴィクトリアが家から発った折には、タイミングを合わせる余裕がなかった。その結果は知っての通り。
この馬車に乗ってしばらく進めば、帝国から土地を預かって支配する領主のうちの一つ、ウェルス一族の領地がある。その中心が、ヴィクトリアの生家の屋敷。
『お前の家ってのは、どんなのだ』
「うふふ。素敵なところですわ」
ヴィクトリアは得意げに言った。
大きな屋敷に、庭、花畑や厩舎があることを話して聞かせた。共に時間を過ごした人々、お気に入りの場所や季節まで、懐かしく語った。
アキラは黙って聞いていた。耳を傾けているようでも、興味を無くしたようでもあった。どちらなのか、彼女にはよくわからなかった。
「あなたの故郷は?」
『………………』
また、客室を沈黙が支配した。
しばらくして、目的地で馬車から降りた。
◆------------------◆
『入らねえのか』
敷地の前に立ったまま全く進まないヴィクトリアを、アキラが急かした。彼女は気にせず、キョロキョロと辺りを見回している。
「門番がいませんわ。飼い犬も、庭師も……」
見渡す限り、動くものはいなかった。いつもならば人が行き交い、挨拶の声や草を刈る音が聞こえた。ヴィクトリアが外出から帰ったならば、ペットの犬たちが走って出迎えたものだった。
門には鍵がかかっておらず、押してみると簡単に開く。明らかに何かがおかしかった。
『……』
「確かめないと」
門を潜り、庭を抜けて屋敷に入った。正面大玄関にも鍵はかかっていない。屋敷の中は、もぬけの殻だった。ヴィクトリアは走った。
『オイ』
談話室、寝室、書斎、調理場、倉庫、地下室。どこにも、誰もいない。それどころか、家具の数が著しく減っていた。床には重いクローゼットなどを引きずったであろう跡が、屋敷の外へ向かっていくつも残されていた。
「どうして……」
やけに広く感じる生家の中で、ヴィクトリアは壁にもたれながら膝からゆっくり崩れ落ちた。頭の血の巡りが悪く、心地悪い冷たさが流れている。
『空き巣かなんかだろ』
悪霊が淡々と呟いた。
『なんで誰もいないか知らんが……デカい屋敷だ。近所のヤツらがこぞって、隅々まで漁りに来たんじゃねえか?ベッドシーツすら残ってなかったな』
アキラが右膝を上げて起きあがろうとするが、半身のヴィクトリアがまだ動かない。上手く立ち上がれずにバランスを崩し、またへたり込んだ。舌打ちする。
「……どうして……」
『知らねえっつってんだろォ。金に困って夜逃げしたんじゃねえのか?案外、家財道具も自分で売り払ってたりしてな。ハハハハ』
そんなはずはない。ヴィクトリアが反論しようとすると、大玄関の扉が開く音が聞こえた。ハッとして顔を上げ、様子を窺う。
見慣れない男の姿。彼は大声でこちらに呼びかけた。
「おーい!ポート・ポートからの馬車隊に乗ってこの屋敷に来たのは、もしかするとヴィクトリア・ウェルスか!?この屋敷の、娘の!」
ヴィクトリアはふらふらと立ち上がり、階段の手摺りに前のめりになって答えた。
「そうですわ!私はヴィクトリア!この家に何があったか、あなたはご存知ですの!?」
彼は答えた。
「あぁー、もちろんだ。ちょっと、降りて来てくれ。いや、よかったよ」
◆------------------◆
男が言うには、こうだった。
ヴィクトリアが家を出て数日後、領民から領主に対する大規模な反乱があった。かつてないほどの数が集まった人々の怒りは凄まじい勢いで、領主の持つ兵力では到底抑えることができなかった。周辺の領主たちからの支援も満足に受けられないまま、屋敷は陥落した。その際に家の中の物はほとんどが持ち去られ、戦えない人たちも攫われたらしい。
反乱があったという日はちょうど、ヴィクトリアが盗賊に襲われた日と重なるようにも思えた。誰がただの盗賊で、誰が領主の娘を狙った刺客だったのか、今や知る由もないことだった。
「ことのあらましは、そんな感じだ。領主夫妻も反乱の気配に薄々気づいてて、アンタを逃したってことだな。まあ無事でよかった、ウン」
呆然としているヴィクトリアをよそに、男は続けた。
「それで、身内に不幸があったところで恐縮なんだが。ちょっと、書類を書いて欲しくてな」
ヴィクトリアは数枚の紙束を受け取った。それらは契約書のように見えた。男の顔を見る。
「土地の権利書だよ。実のところ、俺は商人でな。アンタの両親は俺から金を借りてたんだ。金はもう残って無さそうだが、実際に何か返してもらわなきゃ、困る」
「あ……」
ぺらぺらと紙をめくってみる。文字は読めるが、契約書の書式や用語は知らない。ただ、自分のよく見知った地域の名前が書いてあるのがわかった。幼い頃、庭のように過ごした場所だ。
ヴィクトリアはまた顔を上げた。
「あ……」
商人の男が立つ玄関の向こうから、続々と人がやってくるのが見える。裕福な身なりの者から、そうでない者まで様々だ。手に手に土地や財産の契約書を持っている。彼らは皆、ずっと機会を伺っていた。そして目撃情報を聞きつけ、まんまと帰って来た娘のところにやって来ているのだった。
「混乱に乗じて物品を持ち去った
ヴィクトリアはペンとインクを受け取る。
集まった人々が自然に列を作る前で、一枚一枚、自分の名前をサインしていった。護衛の騎士と遊んだ草原、滑って転んで大泣きした川沿いの道、朝には美しい紫色の空が見える旧い山……。両親によって支配されていた土地は広大で、全てサインし終わる頃にはすっかり夕方になっていた。
人々が去り、驚くほど静かになった屋敷の中で、ヴィクトリアは何も言わずに立っていた。
『平気か』
アキラが口を開いた。
「彼らを皆殺しにしろと、言ってくれませんのね」
『お前のやる気がないと、どうもな。怒りとか恨みとかよ。お前、今、抜け殻だぜ』
「……」
大玄関に背を向ける。
ふらふらとよろめきながら、今度はゆっくり、屋敷の中を歩いた。かつての生家の面影は少ない。しかし、廊下の端から端までの長さや、曲がり角を曲がった後の景色を見ると、かつて走り回った頃のことが思い出せて、思わず泣きそうになるのだった。ぐっと堪える。
いつの間にか、自分の寝室の前に立っていた。生まれてから成長するまでを過ごした、子供部屋。実際、ほんの数日前まではここで暮らしていたのに。
戸を開ける。
やはり、中にはほとんど何もなかった。さっき見て回った時、すでにわかっていたことだった。しかし、ヴィクトリアはツカツカと入っていく。
黙々と書類にサインしながら、遠い記憶を思い出していた。もしも、この家に万が一のことがあったら。あなたはまっすぐに逃げ出して、ほとぼりが冷めたころに戻って来なさい。そして、ベッドの下の床を開くの。あなたにしか開けられない魔法の扉に、私たちが残せるだけのものを残しておいてあげるから。この家は上手くいかないかも知れないけど、あなたは生きてね。
幼いころに聞いて忘れた母親の声が、今では鮮明に思い出せた。
隠し扉の中には、掛け布団とマットレスが入っていた。よく洗濯されていて、一晩眠るには十分。
また、小さな木箱があった。開けると、中には帝国貨幣の入った小袋がいくつかと、真新しい魔除けのペンダント、そしてメッセージカードが入っていた。カードにはたった二行だけ、いつもの二人の文字で、”愛してる”と書かれていた。書かれてから時間が経っているようには見えない。おそらくはここにあるもの全て、反乱が起こってから用意したもの。
ぱた。カードの上に涙が落ちた。慌てて拭い、カードはポケットに大切にしまったが、流れ出した涙はしばらく止まらなかった。
その晩は子供部屋の奥に寝具を敷いて、そこで眠った。
◆------------------◆
同日、深夜。近くの町の酒場すら、みな酔い潰れて灯りが消えるころ。
二台の馬車が別々の方向からやって来て、屋敷の前に静かに停車した。荷車からはそれぞれ、黒づくめの者たちが降りてくる。手には武器。
リーダー同士が口を開いた。
「夜分にどうも……おや、あなたは武器商さんとこの……」
「おお、そういうあなたは……そこの農場の……」
彼らはお互いに顔見知りで、やや場違いに社交的な挨拶を交わした。
「すると、今夜はアレですか。娘の身柄をですか」
「いやあ、旦那様は商人たちと競争し損ねて、土地をたくさん貰えなかったんですよ。かなりご不満で。そちらも?」
「ええ。残った値打ちものといえば、一人娘しかない、と。まあ、多少の金にはなるのでしょうな……」
「お互い苦労しますね」
そう言って彼らは別れた。彼らの間に緊張感が走ることはなかった。双方のボスはどちらも享楽的な性格であり、落ちぶれた領主の娘を拉致することもほとんど余興の一つに過ぎなかった。どうせ彼女を守る者などいない。どちらが先に見つけてゲットできるか、そんなゲームといったところだった。
しばらく捜索するうち、一方が先に子供部屋に辿り着いた。武器商人の手先。彼らは戸を開き、廃墟にそぐわない匂いを感じ取った。ここにいる。彼らは頷き合って部屋の奥に進み、月明かりに照らされた寝床を目指してこっそりと忍び寄った。
突然、前を歩く数人の首が飛んだ。さらに体が蹴られ、後ろにどさりと倒れる。後続の者たちに血がかかって、彼らの悲鳴があがった。
「ややっ、先を越されましたな!」
もう一方の誘拐グループが、物音を聞きつけてやって来た。
彼らが見たのは、子供部屋の真ん中で緑と青の瞳をそれぞれ輝かせて立つヴィクトリアの姿と、足元に転がる先んじた刺客たちだった。全員首を斬られ、扉の方を向いて倒れている。
「なっ……!?」
「残してくれたお布団を、汚すわけにはいきませんわね」
ヴィクトリアは冷たい声で言い、一歩ずつ近づいた。刺客たちは逆に、一歩ずつ後ずさる。武器商人の部下は、腕っぷしの強さで知られていた。しかし、先に部屋に入った彼らは全滅。
「や、やめてくれ……殺しに来たわけじゃない……」
「そう」
ヴィクトリアは〈アクセル〉を唱え、刺客たちの後ろに降り立った。数瞬後、全員が首から血を吹き出して倒れた。右目が緑の炎を吹き上げ、使ったMPが回復する。
「家も、土地も、もう結構。もとより、私のものではないのだから」
愛され、守られた日々。思えば、愚かな自分には過ぎた寵愛だったかもしれない。
「けれど……父と母が残してくれたこの体と、教えてくれた愛だけは。もう、誰にも渡したくありませんの。誰にも」
『ハハハ……』
その夜、ヴィクトリアは全ての荷物を背負い、しばらくしないうちに屋敷を出た。いつ、同じ企みの刺客たちがまたやってくるか分からない。外に止まっていた二台の馬車の御者を両方脅し、荷台に乗り込んでまたポート・ポートまで走らせた。彼らに金を持たせて帰し、港町の門を潜ったところで、ちょうど朝日が登った。町を流れる運河の水が陽光を受けて煌めき、ヴィクトリアは目を細めた。また朝が来る。
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