第3話 均衡の守人
港町からいくらか離れた、山の中。
洞窟の中で、ヴィクトリアは座っていた。悪霊”アキラ”も目覚めていて、自分の中にいるのを感じる。
目の前には老人。清廉なデザインの衣装に身を包み、有無を言わせぬ雰囲気で、そこに立っている。彼に萎縮しているのか、悪霊はもう暴れようとしなかった。
「修行が、必要じゃ」
彼は繰り返しそう言った。ヴィクトリアはおずおずと尋ねた。
「修行って……なんですの?」
「心を整える修行じゃ」
彼は謎めいてそう言った。
『何言ってんだ、このジジイ』
悪霊アキラは悪態をつく。
ヴィクトリアはステータスを見た。
老師シェン:HP2000 MP2000
彼女にわかることは、相手がただならぬ力の持ち主だということだ。それ以外は謎に包まれている。
ふと、老人はケージを取り出した。中にはネズミが二匹入っており、中の壁で隔てられている。何か魔法がかかっているのか、普通のネズミよりも大きい。凶暴そうに涎を垂らしている。老人は構わず、隔壁を引き抜いた。ネズミは出会い、お互いに牙を剥く。噛みつき、傷つけ合い、最後には両方が血を吹き出して倒れた。ぴくりとも動かない。数瞬後、ケージが限界を迎えて壊れた。
「……」
『……』
「この意味が、わかるかな。若い人たち」
彼は有無を言わさぬ調子で、はっきりと言い渡した。
「このままでは、君たちは死ぬ。どちらかではない。両方じゃ」
歩き回りながら、老人は語る。
「破滅を避けるために、協力せねばならぬ。一つの体を二人で動かすために」
「イヤですわ!」
ヴィクトリアは声を上げた。老人が険しい視線を返す。
「両親からいただいた体をほんの一部でも、得体の知れない亡霊に任せるなんて……!一族に誓って、あり得ませんわ!」
ギュルン。瞳の色が緑に変わり、歯を剥いて吠えた。
『俺だってイヤだねェ!どうして俺のやることをいちいちコイツと分け合わなきゃいけねえ!?この甘ったれた、バカ女と!頭が悪い!』
「侮辱ですわ!」
ヴィクトリアの体は身を捩り、また苦しみ始めた。頭を抱え、壁に打ちつける。
「喝ーッ!!」
そこで、老師シェンの声がビリビリと空気を震わせた。ヴィクトリアは自傷を止め、二人がまた老人を見た。彼は続ける。
「どれだけ互いを傷つけても、お前たち一人がその肉体の支配者になることはできぬ。肉体が衝突に耐え切れず、力尽きるのが先じゃ。ワシは見過ごせぬ」
老人は右手を掲げた。強大な魔力の気配。空間が揺れる。
「力を合わせ、修行せよ。困難を乗り越えるのじゃ」
魔法の呪文が唱えられる。
「〈トランスポート〉!」
「『ウワアアアーッ!?』」
景色が歪み、空間に穴が空いた。中は完全な闇。ヴィクトリアの体が引っ張られて浮かび上がった。逆らえず、穴に吸い込まれていく。遠ざかる世界の中、老人の声が響いた。
「いいか、ゆめゆめ忘れるな!協力じゃ!一つの体を、二人で乗りこなすのじゃ!さすれば道は開かれる!さもなければ……死ぬ!___」
◆------------------◆
「お尻が痛いですわ〜……!」
転送魔法〈トランスポート〉のポータルを潜り抜け、ヴィクトリアは地面に落ちた。尻を打ち、涙目で摩る。
魔法での移動は、空中で溺れたかのような気分だった。まだ世界が回転しているような気がする。げんなりしながら立ち上がる。
「いったいここは何処ですの?」
『おい、ヤベエぞ』
右目が勝手に開いて、悪霊アキラが周囲を窺った。遅れて、ヴィクトリアも視線を上げる。
そこは、古ぼけた屋内だった。天井にはランタンがぶら下がり、オレンジ色の光で部屋を照らしている。テーブルには酒や硬貨が置いてある。
ヴィクトリアを取り囲む人影があった。汚れた衣装を身につけて、それぞれの手には刃物や鈍器。彼らがこちらを見る目が、驚きから怒りへ変わっていった。
ここは……!
「と……盗賊ギルドの中ですわ〜!?」
『早くズラかれーッ!』
「コイツだ!テメエら、殺せ!」
盗賊たちが一斉に襲いかかる。
「〈アクセル〉っ!」
ヴィクトリアは魔法で加速して逃れ、扉を蹴って部屋の外へ飛び出した。
◆------------------◆
「こっちか!?」
「外には出てねえらしい、片っ端から探せ!」
「逃さねえぞ!」
盗賊たちが呼び合いながら、倉庫の前を通り過ぎていく。
ヴィクトリアは葡萄酒タルの陰に隠れ、息を潜めて彼らが去るのを待った。
足音が遠くなり、ほっと息をつく。
「どうしてこんなことに……」
『さあなァ……クソジジイめ』
アキラは右手を使って酒瓶を手に取り、飲もうとする。ヴィクトリアは口を開けず、顔を背けた。酒瓶がしぶしぶ戻される。沈黙。
アキラが切り出す。
『殺そうぜ、あいつら全員』
「あなたの言うことなんか聞きませんわ。また外に出て暴れて、市民も巻き添えするつもりでしょう。許せません」
『ハハッ、どうだかな……』
またしばらく、沈黙が流れた。
『オイ。そう嫌がるな。俺とお前は、大して変わらねえよ』
アキラがまた語りかけた。これまで聞いたことのない冷静な調子だったので、ヴィクトリアは内心驚いた。彼は続ける。
『思い出せよ、馬車が襲撃された時のことを。それから、俺の力を吸い取って、悪党どもを斬り刻んだ時のことをよ。気分良かっただろ』
「……」
悪霊は理性的な、しかし企みを隠した言葉で囁きかける。宿主からの反発は、ない。
『なあ、”協力”しようぜ。嫌いなやつ全員ぶっ殺そう。この前テメエがやったよりも、もっといいやり方があんだよ』
◆------------------◆
部屋を繋ぐ廊下で、盗賊たちが話している。
「見つけたか?」
「いや、いねえよ。どこかに隠れてるんだ」
「ムカつくぜ、あの女……!俺の兄弟を殺すのを見たんだ!許せねえ……死ぬより酷い目に合わせてやる!」
「落ち着けよ……」
一人が肩をすくめ、宥めた。もう一人は宥められても聞かず、横を通り抜けて鼻息荒く捜索を続けようとした。
瞬間、彼の背後でドサリと音がした。振り返ると、今まで話していた相手が倒れていた。首に深い切り傷、血を流している。
「なっ……!?」
「〈アクセル〉」
周囲の人間に聞こえるか否かというボリュームで、魔法の呪文が唱えられるのを聞いた。自分の体の脇を青緑の閃光が通過し、続いて背中に冷たい感触。細い刀身が腰辺りから入り込んで、胸を貫いて出ていた。
悪霊が吠える。
『啜ってやるッ!』
ヴィクトリアの右目が神秘的な緑色に燃え上がり、握る細剣の周りの空気が渦巻き始める。貫かれた盗賊は己の何かが抜き出される感触を覚え、やがて悲鳴をあげた。
「ギャアアアアアアアーッ!!?」
それは建物全体に響くような、恐怖と絶望に満ちた悲鳴だった。彼は苦痛の中、自分のステータスを見る。MPの値がみるみる減少していくのが見えた。
一方、ヴィクトリアのステータスでは、これまでに使用した〈アクセル〉のための減少MPが、盗賊と反比例して回復していた。ちょうど盗賊のMPが0になる頃、ヴィクトリアのMPは再び満タンの150に戻っていた。
悪霊は人の精神力を吸い取り、己の糧にする術を持つ。今回は吸い取った力をそのまま、宿主のヴィクトリアに渡したのだ。同じ肉体を共有しているからこそできる技。これによって彼女の魔術的スタミナは回復。アキラの存在を消費するやり方では、いずれ彼の消滅という限界を迎えた。だがこの方法ならば、半永続的に魔法行使を持続可能。
『悪くねえだろ』
悪霊アキラは得意げに言った。
ヴィクトリアは奪った力が自分に流れ込む感覚を味わいながら、ふてぶてしく答えた。
「悪くありませんわ」
それから程なくして、彼女らは盗賊ギルドの建物の中を前進、奥まで進み、頭領の元まで辿りついた。
「小娘一人……なぜ止められねェ?」
盗賊ギルドのボスは部下たちの「MPが減らない」という報告に懐疑的だったが、目の前で永続的に〈アクセル〉を使いながら部下たちを屠り続ける令嬢剣士の姿を見て、考えを改めざるを得なかった。ヴィクトリアのMPが30になったり120になったり60になったり、最大値150と149の間で行ったり来たりするのを見ながら、彼は己の城の終わりを半ば確信した。
ついにヴィクトリアが最奥に到達し、ボスに斬りかかる。彼は刀を抜いて細剣の一撃を弾き返し、カウンターを繰り出した。〈アクセル〉回避でヴィクトリアは飛び離れ、機会を伺う。〈アクセル〉の連続使用による高速移動は、頭領をかなり焦らせた。MPが0になるかと思うと、細剣の令嬢はすかさず部下を襲って殺し、またMPを満タンに戻す。まさに悪夢だった。ヴィクトリアが己の得物の届く範囲に入った瞬間、彼は釣られて刀を振り抜いた。ヴィクトリアは横凪ぎに迫る刀を潜るように避けて肉薄し、頭領の脇腹から心臓を貫いて肩へ抜けるように細剣を突き刺す。剣先がわずかに刺さったところで、刀身を頭領が掴んで止める。厚い筋肉にものを言わせ、徐々に押し返す。そこでヴィクトリアの右目が妖しい緑に輝いて、わずかに刺さった先端を介して精神力を削った。低い呻き、頭領の抵抗する力が緩み、再び勢いを得た細剣が過たず心臓を貫く。悪霊が
戦闘は終わった。
◆------------------◆
幾重にも偽装されて隠された通路を抜け、ヴィクトリアは盗賊ギルドから街に出た。住民たちは特に気が付かず、せっせと活動を続けている。たった一人、こちらを待ち構えている者があった。
ただならぬ気配の老人。老師シェン。
「見事じゃ。力を合わせ、バランスを取ったな」
『クソジジイ』
ヴィクトリアは肩をすくめた。力を合わせたつもりも、悪霊に心を開いたつもりもない。必要に迫られ、お互いの力を利用しただけだ。老師は構わず頷く。
「まだ、問題は残っておる。互いの不信感は危ういし、加速魔法は強者に通用しないじゃろう。じゃが少なくとも、精神の分裂による危険は無くなった。これからは、お互いについて深く理解していくことじゃ。ワシはいつでもお前たちを見ておるぞ」
老人は厳かに頷くと、いつの間にか人混みの中に姿を消した。
後日、ヴィクトリアはポート・ポートの衛兵から相当な額の報酬金を受け取ることになる。組織的犯罪の温床であり、街一番の厄介ごとだった盗賊ギルドの壊滅は、街全体として歓迎すべきことであった。
彼女はその金を使って、まずは旅の山中に残して来た騎士たちの遺体を回収してもらうよう、傭兵ギルドに依頼した。適切に弔い、家族の元へ送り返されるか、または信仰する神の神殿に預けられるかはそれぞれ決めた。
残りの資金で旅支度を整え、ヴィクトリアは家に帰ることに決めた。そもそも、襲撃を受けたのは帝都に向かう途上のこと。届ける予定の荷物はほとんどダメになってしまったので、旅を続ける必要もなかった。家に帰って起こったことを伝え、それからまたどうするか考えるしかない。
支度を済ませても少し金は余った。
『俺には何も買ってくれなくていいぜ。飯が食いたいとか、女に会いたいとか、ねえんだ。最近は』
一瞬、己に取り憑いた悪霊のことも家族に伝えるべきかと思った。しかし、両親が心配する顔を思い浮かべると、どうしても打ち明ける気にはなれなかった。
金は適当なものに換え、荷造りを終える。
夜が明けた。
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